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2019-07-31 07:36:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は、ケアマネ倶楽部(自主勉強会)の打ち合わせが社団事務所で行われました。

 

なんのかんの言って、当社職員を始めメンバーで長いこと続けています。

 

大変なことも多々あるでしょうが、『自分たちで行いたい研修を主体的に企画運営する』という姿勢を、いつも尊敬しています。

 

取りまとめをしている当社リーダーのKさんは、進んで前に出る人ではありませんが、『ケアマネジャーが事業所とか垣根なく、イヤイヤでなく、本音を話しながら学べる場が必要!』という信念を持ち頑張っている姿を見ると、“あぁ、ケアマネジャーの未来は暗くないかもしれない”と思ってしまう単純な私でした☆

 

 

 

 

さて、今朝は脳みそが活動していないので、最近読んだ記事について書きます。

 

突然ですが、皆さんは打ち合わせの際にどんな飲み物を持参しますか?

 

私は一番多いのはエナジードリンク(モンスターの緑)で、その次に多いのが炭酸ジュースです(昔は、毎回大好きな『いちごオレ』を勝って持参していたのですが、さすがに40歳を過ぎてからは自粛しています)。

 

この、打ち合わせの飲み物、最近の若い子は『水』を持参するようです。

 

そして、会議や打ち合わせで、上司から『なんか飲み物買ってきて』と言われたら、『水のペットボトル』を購入しているようで(もしくはお茶)。

 

時代とともに、嗜好も変わるのかなぁ~なんて感じつつ、『若いのにさらに健康にも気をつけているなんて』と、感慨深く思った私ですが、実はこれ、以外に年配者には不評らしい。

 

 

 

 

時代とともに『常識』が変わってゆくのは常であり、別に水が良いとか悪いとか、そんな話ではなく、世代間格差を感じたのは、『会議で(出席者に)何か買ってきて』と言われた時の反応なんです。

 

これ、おもしろい結果が出ていて、若い子ほど“複数のペットボトル購入というミッション”を与えると、水とお茶の傾向が強いらしい(全員ではないですよ。傾向です)。

 

たしかに行政等が主催する会議などは、『水とお茶は経費として計上できる』という理由でお茶が用意されることあります。

 

が、一般企業の・・・自由に選択できる環境でも、主体的に『水』を選択するという現象に、そして、複数の参加者への飲み物を頼まれた際に、自分の好きを基準に購入をする若者に対して、『あぁ、世代間格差はこうして生まれるんだな』ということを感じました。

 

 

 

 

私自身は、若い頃(老健就労時代)に、ボス(看護師長)から、『飲み物は各人の好みを考えながら買いなさい』と言われました。

 

つまり、メンバー構成を主催者に確認し、『この人だったらこの飲み物かな?』とか『少しでもみんなが好きなものを選択できるように』と全部違う種類の飲み物を購入したりと、参加する側の人となりを考えながら購入したものでした。

 

・・・なんて思い出しながら、感慨深く記事を読んでいたら、最後に私の考えと同様のことが書いてあり、さらに

 

『 ま ぁ 、 こ ん な 考 え 自 体 が お っ さ ん な ん だ ろ う 』

 

とまとまっており、ぎゃふんと思いました。

 

あぁ、たかが飲み物選びでも場づくりには大切な要素なのですが、それすら『中高年思考』だったなんて☆ 


2019-07-30 09:26:00

訪問をありがとうございます。

 

先日は、午後から『地域共生社会シュミレーションカードゲームテストプレイ』に参加をさせていただき、夜は当区主任ケアマネ協議会の会議に参加をさせていただきました。

 

介護限定でない集いに行くと、改めて俯瞰的視点や社会の介護に対する見方というものを学ぶことができます。

 

そして、地域共生社会に向かっていく中でケアマネジャーの立ち位置はどこに置くことが最適なんだろうと、改めて考える機会をいただきました。

 

また、会の終了後に、とある行政職員の方とお茶をしながら、官民協働や住民の主体性の引き出し方、その中で専門職の関わり方を意見交換し、大変勉強になりました。

 

私自身、2年前からケアマネジメントは後方支援に回っていますが、改めて他職種からみたケアマネジャーの課題を教えていただいたことは、大変有意義でした。

 

感謝感謝☆

 

 

 

 

さて、今の時期、一人事務所に冷房を入れることのコスパの悪さを感じている私は、毎日(個別ケアマネジメント以外の)事務処理を喫茶店で行っています。

 

多いときは1日3件くらい回ることもあり、勝手に一人で『カフェマスター』と呼んでいます。

 

で、結構さまざまな喫茶店で仕事をしていると、自分の拘りに気付くことがあります。

 

曰く、テーブルの高さや椅子の座り心地であったり、客層(賑やかかそうでないか)でだったり、店内のBGMの大きさであったりetc.

 

ちなみに、一番好きなのは『カフェ〇クリ〇』です。

 

BGMは大きめですが、コンセントがあることと、何よりも机と椅子が大のお気に入りで、1日に1回は通っています。

 

あ、頼むのはいつも『アイスココア』です(メニューを選択するのが面倒で、いつも同じものを頼んでいます)。

 

 

 

 

それにしても、毎回この時期になると疑問に感じるのが、『喫茶店の室温ってどうなっているの?』ということです。

 

本当に寒い!!!

 

どのくらい寒いかというと、長袖必須でないと20分が限界というくらい寒いです。

 

リアルで私と会っている方はご存じだと思いますが、私がいつも腰に長袖を巻き付けているのは、単純に『喫茶店の温度差対策』です。

 

最近では、冷房の風の当たりにくい場所まで研究し、粘っているくらいですが、回転率を上げるためなのか、店内に入った時の爽快感を感じてもらいたいかはわかりませんが、とにかく寒い。

 

脂肪の多い私は、いつも身体を冷やしながら『地球に優しくないよなぁ~』なんてブツブツ言ってます(そんなに長居するなよって?すみません・・・)。

 

 

 

 

と、そんな日々を送っていますが、今週からはいよいよ本格的に地域活動団体の取材が始まるので、わくわくしています。

 

来週以降は、週に3本くらいの取材を行うため、テープ起こしと編集に追われそうですが、これもまた楽しい作業なんです。

 

各々が、それぞれに感じている地域課題に創意工夫しながら前向きに取り組んでいる姿は、タウリン3000以上の元気をもらいます。

 

そして、早く地域活動の応援で事業を確立できるくらいになりたいと願っている私した☆


2019-07-29 09:08:00

訪問をありがとうございます。

 

月曜日が始まったなぁ~、という感じの気分ですが、皆さまはいかがお過ごしですか?

 

今日はお昼から信濃町の行事(?)に参加予定です。

 

3時間みっちり、ワークショップを楽しみたいと思います☆

 

 

 

 

さて、先日れいわ新撰組の重度障がいのある議員さんが、制度の壁にぶつかり『8月1日までに結果をもらえない場合は、私たちは登院することができません』というコメントを出しました。

 

制度の壁というのは、障がい福祉制度で『重度訪問介護』のサービスについて、通勤・就労時はサービスを受けることができないというものです。

 

これは、今までも課題として挙がっていたことでしたが、制度を見直されることはありませんでした。

 

今回、障がい者と呼ばれる方々の当選に伴い、ある意味、どこまでバリアフリーを進められるか、期待が高まっていると感じています。

 

 

 

 

で、ですね、このコメントに対してですが、私は2つの意味でちょっと残念に感じています。

 

現段階での個人的見解なので、今後、更なる情報で意見が変わる可能性はありますが、その理由を書かせていただきたいと思います。

 

また、今回のコメントはお二人を批判する気は全くなく、当事者として社会の改善に向けての行動自体は大変意義があると感じています。

 

まぁ、コメントも取材の切り取りであったため、編集したテレビ局の公平性をどこまで信じるかは…です。

 

 

 

 

今回の参院選では、現行制度に不合理がありそれを当事者の立場から発信していく、ということで当選をされた方々です。

 

また、現に重度訪問介護を必要としており、今後、議員活動を行う際にも彼らは介助者を必要とするでしょう。

 

ここで、一つ目の残念だと感じた部分は、記者会見で出したコメント、『私たちは制度を変えてもらわないと登院することができません』という言葉についてです。

 

確かに現行制度では、就労に対しての障がい福祉制度内の『重度訪問介護』は利用できません。

 

それは、制度側の言い分としては、『所得を得ているからそれに伴う支援は自費で行ってくださいね』ということでしょうが、一方で障がい者差別解消法第4条の『差別の禁止』を考えると、健常者ができていることを障がい者が行うための手段として活用する権利は、確保されることが大切だと感じており、制度の不合理だと、私は感じています。

 

障がい者基本法第4条(差別の禁止)※本文の字をそのまま引用

第四条 何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することとその他の権利権益を侵害する行為をしてはならない。

2 社会的障壁の除去は、それを必要としている障害者が現に存じ、かつ、その実施に伴う負担が過重でないときは、それを怠ることによって前項の規定に違反することとならないよう、その実施について必要かつ合理的な配慮がなされなければならない。

3 国は、第一項の規定に違反する行為の防止に関する啓発及び知識の普及を図るため、当該行為の防止を図るために必要な情報の収集、整理及び提供を行うこととする。

 

上記の法からも、QOLの観点からも、就労を理由に支援を必須とする人から取り上げる行為は、再検討を要すると私は感じています。

 

 

 

 

が!!!

 

今回私が違和感を感じたのは、『制度を変えてもらわないと登院できない』という言葉です。

 

どんなに不合理で検討の必要性のある事項であっても、『現行は就労と支援の両立』は認められていません。

 

しかしそれは『自費で重度訪問介護を活用することが認められていないわけではない』のです。

 

だから、彼女のコメントはある意味ミスリードの部分があると感じました(ここが一つ目の残念なところ)。

 

 

 

 

そして、もう一つの残念は、『〇〇してくれないと▲▲できません』というのは、『駆け引き的発言』にも見えてしまったのです(もちろんご本人は無意識だと思いますし、発言の受け取り方は人それぞれ違うので、私個人の感覚です)。

 

これは非常にもったいない発言だと思っています。

 

今回の当選は、当事者が議会で問題定義・発信することに意味があるということで当選を託されたのだと私は認識しています。

 

が、制度が変わるまで『登院できません』と言われてしまうと、正直、世論の反応としては(善し悪しは別として)『じゃあ、何で立候補したの?』『現行制度を理解して立候補したんじゃないの?』となってしまいかねません(現にそういう風潮が高まっていますし、私自身、そういう気持ちもあります)。

 

そうではなく、『私たちは常時支援を必要としており、就労時の制度利用を再検討することを提言したいと考えています。そのために、ボランティアが可能な方は手伝ってください』等、世論を巻き込む出し方をすれば良かったのになぁ~、と感じてしまいました。

 

そこを大変残念に感じています。

 

また、今回の件を『特例でやれば良い』という意見もありましたが、それはそれで『じゃあ現に不合理を感じている人はどうなるの?』『なに?地位が上がったり、声が大きいと制度も柔軟に変えてもらえるの?』という悩ましさが生じます。

 

正当な主張だからこそ、上手に主張しないと深い議論をしないこの国では、障がい者の間違ったイメージを植えつけて欲しくないなぁ・・・と思ってしまいました。

 

『正論が正解ではない』なんです。

 

 

 

 

制度を変えるって、本当に時間がかかります。

 

そして、障がい者・健常者など意識の壁を低くしていくことは、とてもとても時間がかかると思っています。

 

だからこそ、矢面に立って活動をされるお二人は本当に大変だと思いますが、ご自身の活動如何が今後のバリアフリーを広げるものとして、上手に社会を巻き込みながら活動をしていただきたいと思います。


2019-07-28 06:54:00

訪問をありがとうございます。

 

前回このサイトを更新してからもデ〇ーズで気が狂うジレンマを抱きつつ資料作成をして、4時過ぎになんとか終えることができました!

 

頑張った、私☆

 

そんなわけで、中途半端に寝ると気がついたら夜になっていた・・・をなくすため、そのまま起きている私です。

 

 

 

 

さて、今日は時事ニュースからの話になりますが、かんぽ生命の保険を売る郵便局員が、契約者に対して保険をかける相手(被保険者)を短期間で変えさせる手口で、訪問実績稼ぎをしたとみられることが分かった事件についてです。

 

これ、いくつもの重大な問題があるのですが、昨日久々にテレビを観ていても取り上げられることがなく、あれぇ???と疑問に感じました(テレビ局の忖度だとは思いたくないけど、明らかに違和感があります)。

 

そんなわけで、今日は、『大組織で取り組まれる悪事は、当事者意識を持ちにくい』について、書かせていただきます。

 

 

 

 

アメリカの社会心理学者に、スタンレー・ミルグラムという人がいました。

 

この人は「アイヒマン実験」でも知られる人なのですが、彼は「人が集団で何かをやるときには、個人の良心は働きにくくなる」という仮説を立て、実験をしました。

 

ちなみに、アイヒマン実験というのは、2人の被験者と白衣を着た実験担当者が参加します。

 

被験者2人にはクジを引いてもらい、どちらか1人が「先生」の役を、もう1人が生徒の役を務め、生徒側は単語の組み合わせを暗記しテストを受け、生徒役が間違える度に、先生役は罰として生徒役に電気ショックを与えるという実験です。

 

この電気ショック装置にはボタンが30個ついており、15ボルトをスタートに15ボルトずつ電圧を上げるように指示されています(最高は450ボルトです)。

 

実験が始めると、生徒役と先生役はインターフォンを通じてやりとりするのですが、生徒役が間違えると電流を上げる中、75ボルトを過ぎたあたりから生徒は様子が変わり、150ボルトに達すると、「もうダメだ、出してくれ!実験は辞める!助けてください!」と叫びを発します。270ボルトになると断末魔の叫びを発し始め、300ボルトに至っては「質問されても答えない!とにかく出してくれ!心臓がもうダメだ!!」と叫ぶだけで、質問に返答しなくなります。

 

この実験、白衣を着た実験担当者と生徒役はサクラなのですが、ミルグラムの実験では40人の被験者のうち、65%にあたる26人が、痛みで絶叫し最後には気絶してしまう(ように見える)生徒に、最後の450ボルトの電気ショックを与えました。

 

これだけ多くの人が、明らかに生命の危険が懸念されるレベルまで、実験を続けてしまったのです。

 

とはいえ、先生役の被験者が全く葛藤なく行ったわけではなく、途中途中で葛藤を示していたようですが、「何か問題が発生すれば、責任は全て大学側で取る」という言葉を聞くと、納得したように実験を継続したようです。

 

 

 

 

そこでミルは『「自らの意思で手を下している感覚」の強度は、非人道的な行動への関わりにおいて、決定的な影響を与えるのではないか』と仮説を立て、それを明らかにするために、更なる実験を行います。

 

そして、先生役を2人にし(そのうちの1人が被験者)、ボタンを押す係はサクラが担い、被験者には回答の正誤の判断と電圧の数字を読み上げるという役割を被験者に与える実験を行いました(生徒役はサクラ)。

 

今回は被験者の役割は『回答の正誤を判断し、与える電気ショックの電圧の数字を読み上げることだけ』となり、関与としては前回の実験よりも消極的になります。

 

また、2人体制で行うため、精神的負担も前回より軽くなっています。

 

結果、最高の450ボルトまで実験を継続した被験者は40人中37人・・・つまり93%となり、ミルの仮説は検証されたのです。

 

この実験は1960年代に行われたのですが、その後1980年代中頃まであらゆる国でも同様の実験を行った結果、ほとんどがミルグラムの実験結果以上の高い服従率を示したと言われています。

 

つまり、この『「自らの意思で手を下している感覚」の強度は、非人道的な行動への関わりにおいて、決定的な影響を与える』ということは、アメリカ固有の国民性ではなく、人間の普遍的な性質を反映しているということが実験により明らかになったのです。

 

 

 

 

とまぁ、長々と実験について書いてしまいましたが、何が言いたいかというと、『今回のかんぽ詐欺(私は詐欺だと認識しています)について、職員にとっては、自責の念はそれほど強くなかったのではないか?』ということなのです。

 

『会社(または上司)に指示されたから』と思うことで、その行為が詐欺であっても、『指示されて動いているだけの自分』は良心や自制心が働きにくくなっていたのではないかということです。

 

そして、今回は大きな犯罪に至りましたが、実は私たちも『介護保険』というルールに則って支援をしている中で、その内容について自分で一つひとつ確認しながら進めないと、もしかしたらかんぽ職員のうような状況になってしまう可能性がないとは言えないと思うのです。

 

それは犯罪といった大事ではないにしても、『制度(ルール)がこうだから仕方ない』という言葉を盾に、利用者やその家族が望む生活を諦めさせてしまうことがあるかもしれない。

 

なぁんてことを考えてしまい、改めて『できない理由よりできる方法を考え実践する』という当社の方針の大切さを実感した次第でした☆

 

※これを書いている中、気がついたら外は大雨です。皆さま、天候が不安定なので、本日は無理をせずにお過ごしくださいませ☆


2019-07-27 23:40:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は午後から資料つくりをしていました。

 

今までの介護保険の変化と、次期改定のポイントとその論点、そして、論点に対して今までどんな会議でどのように話し合われていたかを、パワーポイント資料で作成しようと思って取り組んだのですが・・・すでに挫折しそうな自分がいます。

 

いうか、さまざまな会議資料を読むだけで、頭が痛くなっています☆

 

あぁ、誰か私に読んでポイントを一発で理解できる知恵を授けてくれないかしら・・・。

 

 

 

 

と、そんなわけで、ブツブツ言いながら取り組んでいるのですが、その中で一番感じているのは『一体、国民はどこまで国に保障を求めているのだろう?』ということです。

 

介護保険って、医療保険の増大に歯止めを効かせるために創られた制度ですが、現在長期目線での議論は、『共生社会という形で全世代型社会保険にしようよ』という流れもあります。

 

つまり、障がいも子育ても全てひっくるめて『保障』から『保険』にしちゃおうというわけです。

 

また、医療費削減のために、介護保険を医療にとっての“次なる旨味商売”となるよう誘導している感も否めないというか、そして、一部の大手企業に優遇するような制度変革になっているというか・・・。

 

一部の職権や利益誘導の手段として、保険が使われるってどうなんだろう?

 

そんなモヤモヤを抱えつつ、一方では『一部の正義感の強い人の頑張りに依存するより、いっそ介護保険事業もビジネスとして割り切って考える制度になった方が良いのかなぁ・・・』とも感じています。

 

 

 

 

制度開始から今まで(平成30年度の改正まで)で、介護保険の報酬はマイナス4.23%です。

 

この数字を大きいと捉えるか、小さいと捉えるかは個々の判断によるでしょうが、一つ感じることは、制度創設時から事業をされていた方々も、そろそろ貯金が底をついてきたんじゃないかな・・・ということです。

 

また、今後の事業をどうするかは、次期改定に係っている部分が大きいんじゃないかな・・・と感じています。

 

そして、制度施行後に個々の正義で事業を始めた方々は、今、ギリギリのところで事業を運営されていると思います。

 

その方々は、もっとシビアに次期改定によって、事業の存続を考えているのではないかな・・・と感じています。

 

望む望まないに限らず、今の介護保険は『我慢比べ』をしている状況に見える・・・もとい、そうせざるを得ない状況なんだと、私は勝手に思っています。

 

 

 

 

明確な正解はないけれど、今後の社会保障の在り方、社会保険の在り方を、今一度、国民レベルの議論にした方が良いんじゃないあかなぁ~、なんて、資料つくりをしつつ感じている私でした。

 

そんなことを考えつつ、途中で寄った本屋で『14歳からの哲学』という本を見つけたので購入し、長男に渡したらお礼の後に言われた一言。

 

『・ ・ ・ 僕 、 も う 1 5 歳 な ん だ よ ね 』

 

長男の年齢をはっきりと把握していない親って・・・(反省です)。


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