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2019-07-21 07:24:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は参院選挙投票日ですね。

 

期日前投票をしていない私は、この後、家族会議を行い選挙に行こうと思っています。

 

※選挙の時は、子ども達に選挙権がないため、各党派の主張をオトナが要約しみんなで話し合っています。最終的には私自身が決めるのですが、子ども達の意見を聴くと『はっ!』とすることがあるので、結構楽しいしお勧めです☆

 

我が家は子どもと一緒に選挙に行くのですが、この行為って結構重要だと感じていて、選挙に行くたびに『義務と権利』については、切々と語っています(ウザがられるけど・・・)。

 

 

 

 

さて、私は月に2回程度関わっている仕事で、『あらゆる新聞の社会保障関係だけを切り取った記事を読める』という特典をいただいています。

 

これは、本当にありがたいです。

 

の情報をたくさん集めることで、今後の社会が視えることが多々あるのと、同じニュース報道でも、各社の書き方や割く紙面の大きさによって、その新聞社の思想がわかります。

 

これがおもしろく、毎回3時間以上の時間を使って、半月分の新聞を読み込んでは重要事項をメモし、後日、情報を集約しながら将来予測をしている私です(ホント、オタクですね)。

 

で、私の個人的な嗜好を書いてもおもしろくないので、今日は『気遣い』というものについて書いてみることにしました。

 

 

 

 

結構・・・いつも感じているのですが、『気遣い』って、善いものと悪いものがあると私は感じています。

 

で、その善し悪しのジャッジについて、先日『どこで判断しているのだろう?』とぼんやり考えていたのですが、その答えを見つけました。

 

善い気遣いは、『私を私として考え扱ってくれるもの』で、逆に悪い気遣いは、『肩書きによって変化する扱いや型どおりなマナーや独りよがりな気遣い』です。

 

私はこんな感じで、気遣いを捉えているのですが、皆さんはいかがですか?

 

 

 

 

私を知っている人はご存じだと思いますが、私は肩書きによって態度を変えるということはしないです。

 

もとい、肩書きというものはあえて意識せずに接しているというか。

 

なぜかというと、『肩書きを先にみてしまうと、相手を正しく観察しないままに、ニセモノの気遣いをしてしまうから』なんですね。

 

これ、分かっていただけるでしょうか?

 

 

 

 

私にとって気遣いとは、相手を慮(おもんぱか)る気持ちの表れです。

 

例えば、『田中さん』という方がいたとして、その方が課長だとしてもヒラだとしても社長さんだとしても、今、目の前にいる『田中さん』の思考だとか、性格が変わるわけではありません。

 

でも、肩書きから入ってしまうと、『田中さんという人がはどういう人で、どうしたら田中さんが気持ちよくこの時間を過ごしてもらえるか?』を考えることなく、一般的なマナーを当てはめ対応してしまうのです(いつも書いている思考の停止です)。

 

つまり、肩書によって態度や態度を変えると言う行為は、私にとっては気遣いではなく、『ただの自己満足』だと感じてしまうのです。

 

あと、“私だったら”の思考も、完全に『独りよがり』だと思ってしまっています(自分と相手は価値観が違うから、自分の物差しでしか物事を考えられないのは、相手を慮っているとはいえないという考え方です)。

 

 

 

 

気遣いは逆だよ、というのが私の持論です。

 

そうではなくて、先に『田中さん』という人から入ると、『田中さんは何をされたら嬉しくて、何をされることがイヤなんだろう?』と相手の観察をします。

 

その後に、肩書きを『あ、今日はこのメンツで田中さんはこういう役を担っているから、皆の手前、ここは田中さんをこういう風に立てておこう』とか『この企業の社風はこうだから、この話題には気をつけよう』とか追加項目として活用する方が、本当の意味で、相手に合った気遣いができると思うんですよね。

 

・・・とそんなことを考えながら、夫と話をしていたら言われた一言。

 

『 一 番 大 切 な の は “ 自 分 自 身 が そ の 場 を 楽 し む こ と ” だ よ ね 』

 

なんだか、彼に敵がいない理由が分かるような気がした一言でしたが、同時に、もやっとした私でした。

 

そして、その後『確かにそうだね。で、その上で“相手に対しての気遣いって何だと思う?”』と、夫にしつこく迫っていた私でした。

 

あぁ、やっぱり私は面倒くさい人間です☆

 

皆さんは、他者への気遣いをどのように考え実践していますか?


2019-07-20 07:24:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、ケアマネ倶楽部(地域の自主勉強会)で、リハビリの先生に講義をしてもらいました。

 

そして、この方の考え方は、私と通じる部分がたくさんあり、改めて同じ業界に目指しているものが同じ人がいるということに、心強さを感じました。

 

ここでも何度も書かせていただいていますが、今は時代の過渡期であり、介護保険制度もそうです。

 

その中で、ケアマネジャーが介護保険のルールに縛られている限り、介護支援専門員の役割は今後淘汰される可能性が高く、この視点の転換をどう行うかがポイントになります。

 

そのあたりを、どの程度のケアマネジャーが自覚しているかが肝になると思うし、そこを何とかしたくて私は活動を続けています。

 

今は、いわゆる介護支援専門員の自己満足に陥る研修(私たち頑張っているよね、とか、小手先のハウツー研修)ではなく、原点回帰された研修や、他職種の研修から自らの役割を内省するとか、そういう研修が必要になっているのだと感じています。

 

まぁ、こんな考え方を持っている人はごく少数なので、流行りませんけどね。

 

ただ、しつこく書きますが、『ケアマネジャーが、このまま介護保険制度の中だけの介護支援専門員に甘んじている限り、そして、担当ご利用者の支援しか視ていない限り、その将来は明るくない』です。

 

そうではなく、『介護支援専門員という役割を通じて、ご利用者の何を豊かにするのか?』『そのために私たちが行うことは何なのか?』の視点で自らが考えていかないとなぁ~、とか、いろいろそんなことを考えています。

 

目先のことや、個人の満足・損得で動く時代ではないということですね(社会はそんなものを求めていない)☆

 

それにしても、朝からこのテンションの私って・・・。

 

 

 

 

さて、そんなわけで、今日は『きちんと考えるということ』について書いてみたいと思います。

 

先日、『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』という書籍を読んだため、その中の一部を用いながら書かせていただきます。

 

例えば、道徳と倫理の違いについては、こんなことが書いてありました。

 

曰く、『道徳とは、善と悪、正しいことと間違っていることを区別する人間の能力である』とのこと。

 

そして、『倫理とは、道徳的な問題を考察すること』となっています(ただし、人の行動に干渉したり、こうすべきだと言うような行動に関する指示はしない)。

 

つい一緒にしてしまいがちな事柄ですが、こうして改めて一つひとつを考えてみると、違うことがわかります。

 

また、権利と義務については、こんな感じで書いてあります。

 

『権利は義務も伴う。多くの義務は私たち自身が何を正しい、何を間違っていると考えるかによる。また、法律で決められていて遵守しなければならない義務もある。例えば、子どもには教育への権利があるが、教育は義務でもある』

 

『社会は、私たちが法を守り、人として生きることを求める。もし法律や規則を破った場合は、罰側が伴う』

 

こういう原則的な部分や言葉の解釈をきちんと理解した上で、フィンランドの子ども達は『もし自分で宿題について決める権利があるとしたら、どんな義務がついてくるか?』とか、『現在の社会が認めないような権利はあるか?』などについて考え意見交換をします。

 

諸外国では、小学校の頃からこういう『考える力』というものを育んでいるわけで、それを考えると、グローバル社会と言われる現代で、日本人が議論が苦手ということもよく分かります。

 

 

 

 

どの物事にも一長一短はあるわけで、私は日本の教育は『高水準な質の担保』だと考えています。

 

つまり、全国民が土台の基礎部分はしっかりと学校で身につけることができるわけで、これは素晴らしいことだと感じています。

 

その上で、日本人がアップデートするのに必要なスキルは、『知識を用いて考える力を身につける術』と『それを第三者に伝える言語力』だと感じています。

 

だから、『フェンランドと日本は教育が違うから、今更そんなこと言われても・・・』とは思ってほしくないです。

 

誰でも、気付いたときから実践・訓練すれば、絶対にらせん状にスキルは上がっていきますから。

 

大切なことは、『言い訳せずに実践すること』なんです。

 

 

 

 

時代の過渡期は、答えという答えがないから不安に感じる人もいますが、逆に考えればチャンスがたくさんあるということです。

 

そして、思考力を始め、物事は鍛えれば伸びます☆

 

物事のポジティブ面を見て、未来を明るく捉えながら、今週末は、改めて、ご自身の仕事(ケアマネジャー)を通じて、社会に与えるインパクトを考えてみませんか?


2019-07-19 07:27:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日、ちょっと嬉しいことがありました。

 

私は4月から新たに、とある部署のお手伝いをしているのですが、そこで隣の席に座っている方は、かなりの高い能力を持った方です。

 

どんな能力がどのくらいあるかというと、恐ろしくロジカル思考が秀でていて、彼が本気で取り組んだら、どんな人でも勝てないだろうというくらい、議論をするときには完璧な意見を持って臨むのです。

 

また、法令関係については徹底的に調べながら、しっかりとした根拠を持って説明をしてくれます。

 

その姿勢は素晴らしく、一歩でも近づきたいと思う私は、彼に質問しては返答の言い方を盗もうとしたり、他の方と議論している様子を、勝手にこっそり勉強させていただいています(どういう視点で何を使って調べ上げるのかは勉強になります)。

 

そんな彼から、私は毎回記録を添削していただいているのですが、昨日言われた、嬉しい一言。

 

『加藤さんの記録の書き方は良いですね』

 

 

 

 

うふふ♡

 

褒められると、どこまでも舞い上がってしまう私は、かなり有頂天に☆

 

とはいえ、文章にはまだまだ赤ペンがたくさん入りますが、『1年後に自分がいるか分からないので、できる限り気がついたことは指導させていただきます』と、これまた忙しいにも関わらず、男前な台詞を言ってくださいました。

 

真摯に仕事と向き合っている方は、なんと素晴らしく心の広いことか。

 

毎日22時過ぎまで残業をするくらい忙しいのに、それでも横やりの私の書類チェックをしてくれる方に、感謝感謝と同時に、『教えた甲斐があった』と思ってもらえるよう、わかりやすく文章をしようと、改めて感じた次第です。

 

そして、帰りの電車の中ではニヤニヤが止まらず、ただのアヤシイ人に成り下がってしまった私でした☆

 

 

 

 

そんなわけで、今日も当たり前のことを書いてしまいますが、人って怒られるより褒められたり期待された方が嬉しいですね。

 

一方で、私たちは、ウッカリすると、人の良い部分よりも気になる部分に目が行ってしまう傾向があります。

 

気になる部分はグッと抑えて、人の良い部分に注目し、そこを口に出していこうと、改めて思いました。

 

 

 

 

皆さんもそうだと思いますが、私の周りはステキな人がたくさんいます。

 

今日は、これからサービスBがあり、参加者の一人が今日からちょっとお休みするのですが、それをちょっと相談すると、今日参加してくれるボランティアさん2名が、たくさんフォローをしてくれました。

 

そして、夜はケアマネ倶楽部があります。

 

これは、当社居宅のリーダーが『みんなフラットな関係で、楽しく背伸びせずに勉強する場を持ちたい』ということで、3月に1回開催しています。

 

あぁ、私の周囲はすごい人ばかりで、そういう方々と接することで、たくさんの元気をいただいているんだなぁ、と感じる今日この頃。

 

そして、ふと、気付きました。

 

 

 

 

私 、 誰 か に 元 気 を あ げ て い る か し ら ? ? ? 

 

 

 

 

・・・さぁ、今日も一日、楽しみますよ~♪


2019-07-18 20:23:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、午後から健康マージャンが行われ、夕方から月1回の勉強会と定期会議、その後、大切な知人と会合でした。

 

最近気がつきましたが、私はどうも、午後からの予定を詰め込む傾向が高いようです。

 

頭を使うことは午前中に行い、人と会うのは午後から。

 

最近はずっとこんな感じです。

 

 

 

 

さて、今日は良い話とモヤモヤした話と、どちらを書こうか迷ったのですが、良い話を書くことにしました。

 

一昨日、子育て支援の勉強会の前に、12時半から早めに来た主催者(Aさん)と来客(Bさん)があり、3人で話をしていました。

 

このお二人は教育のスペシャリストです。

 

どちらも小学校教育に50年は関わっており、お一人は今でも現役で、隣県から小学生に俳句を教えに来てくださっています。

 

で、ですね、3人で話をしている時は、お互いの自己紹介や、主催者の世界一周旅行で盛り上がったのですが、その後、13時半からもう一人(私が待ち合わせしていた方、Cさん)が加わり、4人で話をしました。

 

内容は、現場の教育者として感じている課題と、現在取り組んでいることについてです。

 

 

 

 

最初に、一番若手のCさんが、教鞭を執っていた時に感じていた課題を話してくださいました。

 

満たされていない現代の子ども(人間関係含)、ゲームなどその場限りの快楽に走ってしまう傾向、いじめについて、学校という存在について、格差社会、虐待、教師の持つジレンマetc.

 

便利さ故に失ったものを課題とし、与えられたものをただ受ける教育でなく、自ら考える力を育むにはどうしたら良いかを話してくださいました。

 

70歳を超えたお二人は、『いやぁ~、若い人がこうやって真剣に教育と向き合って頑張っているのは良いねぇ~』なんて、好々爺のごとく、ニコニコしながら話を聴いていました(本当に嬉しそうだった!)。

 

 

 

 

で、Cさんが一息ついた後、Bさんが話をしました。

 

Bさん:『Cさん、世の中って、昔と今、どちらの方が良くなっていると思う?』

 

Cさん:『今の子はかわいそうですよ。いじめや虐待とか・・・。先日の札幌のニュースは本当に胸が痛みました。』

 

Bさん:『そうだよね。本当にあの事件は痛ましい・・・。でもね、昔に比べたら、今は子どもの人権が確立できているんだよ。虐待・いじめ、概念が焦点化しているというのは進歩だと、僕は思うんだ。』

 

Cさん:『・・・。』

 

Bさん:『ニュースで取り上げられることが多いから、社会で虐待やいじめが多いように見えるけど、虐待はいじめはね、減っているの。戦前もだけど、戦後はね、子どもの人権なんてなかったのよ。親に殴られるのなんて当たり前。いじめがあっても当たり前の世の中だったの。それが少しずつ世の中が豊かになると同時に、“子どもを守ろう”という考えになってきた。これは長い目で見たら進化だし、良くなっているのよ。』

 

Bさん:『同様にね、昔は・・・昭和30年、40年くらいまではレイプも当たり前だった。昔はね、なかなか結婚できなかったから、既成事実を先に作っちゃえっていうことが、当然のように行われていたの。それがだんだん“だめだよね”となってきたの。今だけをみると、さも、とんでもなく悪い世の中にあると感じるけど、昔からみたら、ある意味今は幸せに近づいていると思うよ。

 

Bさん:『今でもたくさんの理不尽なことはあるし、課題もたくさんある。ただ、未来は明るくみていたいよね。そして、自分が取り組む活動は、楽しくやった方が良いのよ。運動は明るくないと続かないし、大きくならないのよ。』

 

Bさん:『区民もリスクマネジメントなど、声を挙げるようになっている。それは理不尽を感じることもあるけど、考えようによっては、それだけ民意が反映されているってことなんだよね。』

 

もう、本当に好々爺の表情で、初っぱなから確信をついてきたBさん。

 

その話し方がまた穏やかで、思わず聴き入ってしまった、私とCさんです。

 

確かに『べき論』から入る活動は、どうしても重くなりがちだし、苦しくなることも、多々ある。

 

それよりも、未来を明るくみながら、そこに自分たちの描いている姿を乗せて、楽しく活動をした方が、人は協力してくれる。

 

こうして読むと『当たり前だよ』と思うかもしれませんが、正論を振りかざすリスクに、改めて気をつけなきゃと思った私です☆

 

 

 

 

で、その後、Aさん・Bさん・Cさんで盛り上がっていた話が、『どう見えるかって重要だよね』ということと、『それにしても学校っていう仕組みは独特だよね』という話です。

 

曰く、いじめ等のニュースを見ると、さも一方的にいじめられている子がいるように映るけど、現場で教師が見ている限り、“どの場面を切り取るか(ニュースに流れるか?)”で、事実とは必ずしも一致しないイメージを、世の中に与えることが少なくないとのこと(結構ここは長く話していて、勉強になりました)。

 

また、“学校という場の独特さについては、幼少期から同年代の人ばかりを一カ所に集めて競争させるなんて、学校はある意味独特すぎるよね”という話でした。

 

そして、“昔の寺子屋みたいな多世代の交流の場があったら、もう少し生きやすくなるかもね”と言う話で終わりました。

 

その話の後、Aさんが来てこっそりと『加藤さん、子育ての活動を具現化する時、この場所を借りても良い?』と聞かれたので、『どうぞどうぞ』とお返事をさせていただきました。

 

 

 

 

Bさんはご自宅に要介護の奥様がおられるとのことで勉強会には参加せずに帰宅されたのですが、私にとっては、なんともステキな出会いでした。

 

そして、本当に偉い人というのは、柔和で親しみある風貌をしているなぁ~、と、改めて感じた私です。

 

また一人、人生のお手本となる方と出逢えたことに、感謝感謝です。

 

こうやって、たくさんの活動家の方々と会う機会のある私は本当に幸せです。

 

そして、場数を踏ませていただいたおかげで、少し話をしたら、『あ、この方は本物だ』とか、『あ、この方は活動を通じて自分売りをしたいんだな』とか、分かるようになってきました(これは隣区で地域活動をしている友人も言っていました。嘘みたいだけど、なんか分かるのです)。

 

 

 

 

自分の損得を超えた視点で、誰かのために活動を行える方がいる。

 

その事実に、いつも元気をいただきます。

 

本当に人生って楽しいし、人って素晴らしいと思います。

 

皆さんは、毎日の人との関係を大切に育んでいますか?


2019-07-18 08:33:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は友人と4時間半飲みながら話をして、帰宅後は悶々として眠れなかった私。

 

今も、色々な意味で、気持ちの整理がついていません。

 

そのため、本日の更新は夜にさせていただきます。

 

まぁ、今の世の中、大切にするものってなんなんでしょう?…なんて考えながら、本日も仕事に励みます☆


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