インフォメーション

2019-07-26 14:48:00

訪問をありがとうございます。

 

今週は何かと追われている私で、朝のサイト更新が叶わず、ランダムな時間で更新をしています。

 

そんな中、先ほど知人から『ねぇ・・・サイトの更新ないけど、体調崩した?』と連絡をいただきました。

 

はっと思い確認をすると、更新したつもりで、またしても下書きに昨日のサイトを入れていた私☆

 

慌てて更新に切り替えた次第です。

 

そして、私は元気です☆

 

 

 

 

さて、先日、『正義の教室』という本を読みました。

 

タイトルの通り、倫理に関する内容なのですが、高校生の男の子が主人公となっており、生徒会役員の子達と倫理の授業を通して『正義とは何か?』を学んでいく・・・という内容です。

 

あ、こんな書き方をすると、『なんて重苦しい本なんだ』と思われるかもしれませんが、作者は飲茶さんです(名前からしてちょっとふざけていると感じるのは私だけ?)。

 

スラスラと読みやすく、でも可能な限りわかりやすく倫理や価値観の違いについて書いてくれていますので、興味のある方は週末に本屋さんかAmazonに走ってくださいませ。

 

ちなみに、私は内容は100点でしたが、最後の最後のオチに納得がいかず、何だかちょっと不完全燃焼でした☆

 

 

 

 

本の中身をここで書くわけにはいかないのですが、本に出てきた『なるほど!』ということだけ、書かせていただきますね。

 

それは、『人間が持つ正義の判断基準は、平等・自由・宗教のどれかに当てはまる』という言葉です。

 

この部分について、ちょっと説明します。

 

平等の正義を実現するには、功利主義的考えとなり、これは最大幸福を重視して正義をジャッジするという考え方です。

 

そして、自由を正義を実現するには、自由主義的考えとなり、幸福かどうかは関係なく、自由かを重視して正義をジャッジするという考え方です。

 

最後の、宗教はいわゆる道徳のことですが、宗教の正義を実現するには、直観主義的考えとなり、道徳(あるべき論)を重視した考え方です。

 

 

 

 

で、ですね、私、この部分を読んだときに、思ったのです。

 

『あぁ、世の中でされている様々な議論って、まとまるわけがないよな』と。

 

だって、どっちの方向を向いているか?そもそもメンバーの価値観が、平等・自由・宗教のどれかを知らないままに議論を開始しても、みている景色が違うのに、話が噛み合うはずがないじゃないですか。

 

と同時に、日本人はとにかく『正解』を求めたがる民族だと思っています(そんなにたくさんの外国人を知っているわけではないですが・・・)。

 

これは、二項対立を生みやすく、『どっちが正しいか?』に議論が流れがちなわけですが、そもそも世の中のほとんどの物事に『絶対の正解』なんてないわけで。

 

様々な会議等で成される議論が、円滑に進まない理由というか、日本人が議論が苦手とする理由のひとつが分かった気がしました。

 

 

 

 

少し前に、誰かが話していたのですが、『議論をすることの良さは、知識を学び自分の考えを持ち、それを軸に他者の意見を聴いて、より自分の視野を広げることだ』みたいな言葉がありました。

 

だから、議論の中で『答えを出さなければならない』という思い込みから、まず離れることが大切だ、と。

 

本当に、その通りだと思います。

 

時代が変わり、今までの『直線をまっすぐ走れば良い時代』から『先が見えない混沌とした道を自らが選んで進んでいく時代』に切り替わった今、大切なことは、“誰かの選んだレールに乗っかって走ること”ではなく、“自らが物事を知り(知識を持ち)考えて走る”ことが求められます。

 

学ぶ時間をしっかりと持ち、色んな意見を聴きながら自分の意見を確立していく。

 

自分と違う意見があれば、その立場に立って改めて物事を考えることで、より自分の考えを高みに上げていく(多角的視点を持つ)。

 

ちょっと堅い言葉になりますが、私はそれが人間の進化だと思うし、今の時代は過去から比べて進化しているのだと、改めて感じました。

 

 

 

 

なぁんて考えていたのですが、考えがまとまってニヤニヤしていたら、目の前の低いガラス越しにいたおじさんと目が合ってドッキリ!

 

外で思考を深める時は、ニヤニヤしないように気をつけなければと反省した私でした☆


2019-07-25 09:12:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、とても楽しい一日でした。

 

午前中は地域の活動団体にメールを送ったり銀行に行ったりとしましたが、午後からは2件のモニタリング、その後、夜からは飯田橋で勉強会に参加(区民主体の勉強会)。

 

そして、そこで一緒に参加した区内のケアマネ仲間とサシ飲み☆

 

今後、どうやって地域ケアマネジャーに今後の流れを知ってもらい、どうやって組織の体系化を行うかを、発展的に話し合いました。

 

 

 

 

・・・というわけで、今日は、『ケアマネジャーが今後、社会に対してインパクトを与えるにはどうしたら良いか?』について、書かせていただきます。

 

今回も、全くもって私の独断と偏見ため、ご笑覧くださいませ☆

 

 

 

 

結論から書いてしまうと、『ケアマネジャーは今後の国の動向を理解し、逆算方式でいつまでに何をするかを明確にし、地域で客観的データを基に言語力を持って、ロジカルに介護の現状を行政に挙げていくこと』が求められると思っています(長っ!)。

 

しつこく書きますが、今、ケアマネジャーがまとまるのは『地域の』ケアマネジャー同士なんです。

 

自分達の主義主張の同じ人ではないんです。

 

そして、行政や国を動かすには、署名やデモではありません(パフォーマンス的に行うのは良いかもしれませんが・・・)。

 

客観的データを根拠とした提言なのです。

 

こんな書き方をすると嫌がる方も多いのですが、感情論でいくら現状を訴えても、システムの中で動いている人間には響かないのです。

 

当区の主任ケアマネ立ち上げの際も行いましたが、行政が欲しいのは『根拠ある理論』であり、それはアンケート等をとって客観的数字を基に、ケアマネジャーが自らの知識を持って分析(遡上されている審議会議論を把握して現状との差異を分析する)し、提言することです。

 

この客観的データの取得・・・都道府県レベルで行うことは困難で、地方分権型システムの介護保険は、保険者単位で取り組むことがベストだと思っています。

 

そして、それを集約し課題を整理して、『(データから)何の支援が必要で、自分たちはそのためにこうします。だから、保険者はこの部分で一緒に協力してください』という形で、提言をしていかないと、国や行政は動いてはくれません。

 

だから、地域のケアマネジャーがまとまり、ひとつになることが大切だと私は考えています。

 

 

 

 

この『地域のケアマネジャーがまとまる』ことは、別の視点で考えても本当に必要なことです。

 

行政は、一人ひとりの声に反応することは困難です。

 

だからこそ、地域のケアマネジャーが勉強会を開催する等して、時期改正に向けて、現在挙がっている議論の焦点を共有し、そこから起こりうる弊害を予測し、それに対しての根拠となるデータを集め、議論の焦点と客観的データを基に、様々な角度から議論を重ね、提言内容を固めていくことが、とてもとても大切なのです。

 

時期改正は、今後の介護保険・・・もとい、障がい・子育て等にも大きな影響を与えることになると、私は感じています。

 

システムで動いている日本で、現状とシステムに差異がある時、そこに対して声を挙げていくことが、ケアマネジャーの大きな役割のひとつだと感じており、それができた時に、始めて社会にインパクトを与えるとともに、ケアマネジャーという存在が、社会に認められると、私は思うのです(その後に報酬の提言ができる)。

 

それと同時に、次期改定から実施予定の「主任ケアマネ管理者要件」が絡んでくるのです。

 

これはケアマネジャーの進化を求められていると私は認識しているのですが、要は「個別ケースにのみ対応するのではなく、地域マネジメントの視点も持ちながら、制度を正しく運用しなさいよ」ということなのです(主任ケアマネを置けば良いというわけではない)。

 

これが実践された時、主任ケアマネであり管理者である人は、制度と現実と会社の要求に悩む人が増えると、私は予測しています。

 

なぜなら、この3つは、見ている方向と向かってほしい未来が乖離しているからです。

 

それをどうにかするためには、せめて、制度と現実の差異を減らし、会社には制度の説明ができないと苦しさは拭えず、これを個々の主任ケアマネで乗り切ることはできないと感じています。

 

だから、地域の主任ケアマネジャーがまとまることが大切なのです。

 

 

 

 

非常に残念ですが、今のケアマネジャーは介護保険システムのイチ歯車に成り下がっています。

 

参院選が終わり、これから本格議論が始まるからこそ堅い内容となりますが、今、地域がまとまり行動を起こさなければ、介護保険はトップダウン式で従来通りの『ルールに人を当てはめる制度』になってしまいます。

 

そして、なぜ今私がそのことに危機感を抱いているかというと、次期改定・・・そして次々期改正では、本当に支援を必要とする人が支援を受けることができず、かといって地域の受け皿もない中に、放り出されてしまう社会になると感じているからです。

 

ここで、『私はこう思う!』ということを、声高に発するつもりはありません。

 

が、少なくとも、時期改定の論点ポイントを各自が把握し、現状と摺り合わせ、予測できるリスクや可能性を検討し、必要な策を提言していくことが、とてもとても大切だと感じています。

 

 

 

 

なんてウダウダ書いていたら、昨夜研修を一緒に受講し、主任ケアマネ協議会発起人でもご一緒させていただいた大御所Hさんから電話とメールをいただきました。

 

『ねぇ、加藤さん。昨夜の研修みたいに、今の現状や現在されている議論について、主任の仲間に知ってもらうことって大切だと思わない?こういうことを講義してもらえたら良いわよねぇ~。そこから“現状はこうで、当区ではこうしていこう”と言うのをみんなで考えたら良いわよねぇ~』(この方は恐ろしく半口ですが、こんな感じでおっとりとした口調で話をされるのです)

 

いやぁ、同じ考えを持っている人がいるというのは、本当に心強いです。

 

そして、先生とのパイプはHさんが持っているので、後はお金の問題だな・・・と思いながら、皮算用してしまう私でした☆


2019-07-24 07:26:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、午前中に一般社団の活動を行いました。

 

・・・と言っても、ひたすら地域団体さんにメールを送るという、何とも地味な作業でして☆

 

隣では、友人がボランティアで経理をしてくれました。

 

そして、午後からはスマホ教室とその取材立会い、夜は自転車で20分ほどの距離にある会館で、区の長期計画説明会を聴講しました。

 

 

 

 

さて、昨日、ニッセイ基礎研究所の資料を読んでいたのですが、その時に『地域づくり』について書かれており、課題を改めて整理することができました。

 

徐々に本格議論されている介護保険制度改正について、2期前から予防の強化が進み、認知症施策大綱も加わったことで、一層の地域マネジメントが求められています。

 

つまり、『これからは介護保険等、保険財源だけでなく、地域住民も巻き込みながらみんなでまちづくりをしていきましょう』というものなのですが、この言い分自体は非常に当たり前のことです。

 

本来、地域というものは、そこに住んでいる住民が主体となり地域をつくり、行政というのは補完的役割を果たすことで地域の基盤を支えるという関係性が、諸外国をみていても通常のシステムなのです。

 

しかし、日本は戦後、素晴らしすぎる社会保障、そのなかにある社会保険のおかげで、国民は国や行政依存体質になってしまいました。

 

これは国が悪いとか国民が悪いとか、そういう話ではなく、高度経済成長期から2000年くらいまではそれができる体力が日本にあったというだけの話です。

 

で、悩ましいのは、転換のきっかけとなったのが、『財源・人材不足』から来たことなのです。

 

 

 

 

一般的な反応として、自発的に始めた活動に人はコミットしますが、言われてやらされる活動には責任も持たず反発しますよね。

 

それが今の地域づくりにも起きており、今後の行政の地域住民に対しての介入の仕方というものは、とても難しいと感じています。

 

本当は、どこの国でも住民が主体的に地域に関わり、行政はその活動の中で、地域住民では解決できない部分を担ったり、予算をつけたり、活動を担保することが望ましい形です。

 

一方で現状は、大半の行政が国の施策で動いているから、住民への配慮が足りず、ペロッと『こういうように国は動いていますので、皆さん、協力をお願いします』と言ってしまう。

 

行政としては、何ら間違ったことをしていません。

 

自分たちの役割を全うしているだけですから。

 

ただ、人って感情で動くのですよね。

 

その部分の配慮というか、戦略が求められているということは、理解された方が良い気がしています。

 

そうしないと、住民対行政という二項対立を生みかねず、住民からはそっぽを向かれ、行政は『ここの住民は意識が低い』という“自分たちはやることやったけど住民が協力してくれない”という、非常に残念な結果になってしまうことが予測できます。

 

 

 

 

何度も書いてしまいますが、地域づくり・まちづくりのポイントとなるのは、70代の方々です(本当のお互いさまを知っている最後の世代)。

 

この世代が元気なうちに、彼らの協力を得ながらまちづくりを進めていかないと、本当に日本という国は超個人主義の自己責任社会になってしまいます。

 

今回の国の動向は、地域がつながり、本当の意味での“幸福度”を考え直す、良いチャンスだと私は感じています。

 

だからこそ、言われたから取り組むではなく主体性を持って、他分野(子育て・まちづくりの課等)とも協力しつつ、その地域の良さを最大限引き出せるアプローチを、行政は住民に対して行っていただきたいと思います。

 

なぁんて考えながら、当区の来年度からの長期計画案説明会を聴講したのですが、企画課の皆さんは、しっかりと住民の声を聴き、丁寧に説明・対応されていました(今回異動された部長が素晴らしい能力を発揮されています)。

 

時代の揺り戻しで、社会システムが見直されている今だからこそ、個の損得を外して地域のために考え行動する。

 

良い意味での自分ごと化の伝播が、住みやすい社会をつくると考えています。

 

私も微力ながら、お手伝いできる部分はさせていただきます☆


2019-07-23 07:24:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、地域の住民主体の研究会でスマートフォン講座について、20代の講師と一緒に講義の時間を持たせていただきました。

 

40名弱の方々にご参加いただき、彼にはスマホ教室の状況・効果の説明、私は地域活動と健康寿命延伸の因果性についての説明です(ガチ、フレイルとかサルコペニアとかそういう専門話と、科学的データに基づいた健康延伸の取り組みについての話をしました)。

 

いやぁ、70代後半から80代の方々に、堅い内容をいかにわかりやすく、聴きやすく話すかがポイントとなるなぁ~と思いながら始めたのですが、皆さんに楽しみながら、地域活動や他者との交流が、いかに健康に大きな影響を及ぼすかを理解していただき、良かったです。

 

終了後、『あの資料っていただける?』等、問い合わせをいただいたり、夜に別の会で参加者と会ったという知人から、『加藤さんの話が適度に緩くておもしろかったと言ってたよ~』と、間接的にお褒めの言葉をいただきました。

 

また、明日当法人で開催するスマホ教室に参加されるという方もおられ、あぁ、良かった良かったと思った次第です。

 

一歩ずつですが、地域の方々に協力をいただきながら、住民主体の活動を応援していきたいと思っています。

 

そして、一緒に10月オープンのサイトについての協力依頼もしてしまった私です☆

 

 

 

 

さて、今日はその研究会の後、スマホ教室講師の方と知人とで懇親会を行いました。

 

いやぁ、3時間、本当に濃い時間を過ごすことができ、本当に幸せだと感じています。

 

様々な話題が挙がったのですが、何が良いって、誰もがお互いの価値観を認め、大切な部分は(違いも含め)共有できたことです。

 

そして、『同じ方向を向いてそれぞれができることに取り組もうね』ということを確認できたことが、何よりの財産です。

 

 

 

 

今更ですが、実は介護の業界は、この『他人の価値観を認め合う』ということが難しい側面があると感じてます。

 

ケアマネジャーもですが、実は介護に関する団体数って少なくないんですよね。

 

その中で、いわゆる団体同士が連携できているのは、『日本ケアマネ協会』と『都道府県ケアマネ協会』と『(東京都の場合は)地域のケアマネ協会』です。

 

他、日本ケアマネジメント学会は、協会に入ってる会員さんも多数加入しています。

 

私は東京都の職能団体の活動を中心にお手伝いをさせていただいていますが、この団体の非常にステキだなと思っているところは、『主体的に地域と連携を図る活動を行っている』ことと、『WHATの研修を行うことで、有資格者全体のボトムアップに貢献している』という部分です。

 

『社会貢献』の視点で、東京都の看板を背負い、東京都や医師会等他職種とも連携を図りながら、医療福祉の貢献を行っています。

 

そして何より、職能団体自体がきちんと組織化されていて、各委員会では主体的に役を担った方々が、活動に参画してくれています。

 

その想いは、『現場のケアマネジャーの声をまんべんなく拾いながら、社会に求められる職能団体としてまとめていく』という部分のビジョンが共有できています。

 

各々の介護やケアマネジメントに関する思想・価値観はありますが、ビジョンがしっかりとしているため、建設的な意見交換ができるというか(あ、これは私の所属している2つの委員会の話です)。

 

相手の意見と自分の意見を二項対立的に捉えるのではなく、様々な角度から意見を聴き、『全体最適視点』で議論できるというのは、素晴らしいと思います。

 

 

 

 

一般に、他職種と比べて介護保険の中でしか活躍の機会のないケアマネジャーは、社会認知度でいえば、まだまだ低いですが、だからこそ、自ら役割を宣言し、その役割に向かって研鑽するということは、とてもとても大切だと感じています。

 

結果が出るには時間を要する取り組みですが、だからこそ長期視点でコツコツと、できることに取り組んでいきたいと思います。

 

目指すは、社会にとって必要とされる存在になること。

 

皆さんに元気をいただきながら、これからもできることは主体的に取り組んでいきたいと思っています☆


2019-07-22 07:27:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は毎回チェックしている放送が更新されていたので、それを観ました。

 

NHKBSが放送している『欲望の資本主義』シリーズで、今回は『欲望の貨幣論2019』です。

 

https://www.dailymotion.com/video/x7ddulh(前編)

 

https://www.dailymotion.com/video/x7dj2q4(後編)

 

 

興味のある方はご覧ください。

 

 

 

 

そんなわけで、資本主義経済と人間の幸福という、本当にどうでも良いことを悶々と考えてしまったのですが、うまくまとまりそうで、今ひとつ、うまく思考をまとめることができていません。

 

というわけで、今日は別の話題を書こうと思います。

 

最近、様々な社会課題を目にしていますが、それらに対して感じること。

 

それは『実は、直接的な支援よりなにより、今の社会に一番必要とされているのは“理解”ではないか』ということです。

 

認知症、発達障害、虐待、いじめ、引きこもり、対人の悩みetc.

 

こういうのって、いわゆる『その道のプロと呼ばれる専門職』が介入して支援を進めることも必要だと思いますが、それ以上に大切なことは、『認知症(発達障がい・虐待・いじめ・引きこもり)の人が引き起こす言動を理解しようとすること』なんじゃないかなぁ・・・と思うわけで。

 

 

 

 

例えば『Aさんは発達障がいがある』という場合。

 

発達障がいというものを、きちんと理解していないと『障がいがある』にフォーカスしてしまい、『支援が必要!』となってしまいます。

 

でも、実は発達障がいって、社会不適合部分もありますが、同時に秀でている強みもたくさんあるんですよね。

 

『発達障がい』という言葉に引きずられるのではなく、『Aさん』という個人の言動をみて、『なんでAさんはこんな行動を取ったのだろうか?』と理解しようとする気持ちが必要だと思うのです

 

認知症についても同様です。

 

『Aさんは認知症』ときくと、『支援が必要!』ではなく、認知症という症状を正しく知り、理解することが必要なのではないかと思うわけで。

 

※私達は介護の専門職だから認知症と言っても、その進行具合によって様々な症状レベルがあることを知っていますが、世間様はそのあたりをよく知らず、認知症と聞くと『大変!』と思ってしまう人が多いわけです。

 

引きこもりや虐待については、その背景を知ろうとせずに、『状態』に注目してしまい、『なんとかしないといけないんじゃないの?』となってしまっていますが、必要なのは『なぜそうなったのか?』の理解の部分なのではないかと思うわけで。

 

今の社会には、そういうカテゴライズすることで『理解しよう』と言う気持ちが減ってしまったことが、生きにくさを助長している気がします。

 

そうではなく、『個人』をみて、『Aさんは認知症(発達障がい等)があるけど、こういう強みがあるよね』というように、状態を理解した上で、個人の持つ強みにフォーカスすることなんじゃないかなぁ、と思うのです。

 

これが本当の意味でのダイバーシティ(多様化)だと思うんですよね。

 

 

 

 

今の時代は『ちょっと変な人』の存在を許してくれません。

 

昔だったら、『ちょっとずれているよね。でも一緒にいるから折り合いをつけよう』というのが、『あぁ、あの人は〇〇(疾患名)だから(排除しなきゃ)』という感じになっています。

 

疾患名のついていないものには、状態を掲げて『問題ある人』にカテゴライズしてしまいます。

 

そして、お決まりのように、疾患や問題行動等を理由に社会の目に見えるところから排除しようとしてしまいます。

 

こういう社会って、なんだかつまらないと感じてしまうのは、私だけでしょうか?

 

いろいろな人がいて世の中は成り立っていて、だからこそ、大変だけどおもしろい一面がある。

 

その大変を排除すると、同時におもしろさも失われてしまうんですよね。

 

そんなことを考えながら、様々な年代の人がいる喫茶店で、朝からぼーっとし、『あぁ、どなたさまか私の面倒くささを受け入れてくれる人はいないかしら?』なんて考えている私でした☆


1 2 3 4 5 6 7