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訪問をありがとうございます。
今日は、午前中に自転車で20分ほどのところにある児童館で取材をし、終了後一緒に取材をした方と打ち合わせをしてダッシュで帰社。
地域の方とランチをしてから、そのままスマホ教室に流れ込み、終了と同時に活動団体さんに取材をし、夜は区の主任ケアマネジャー協議会の会議に参加をしました。
最近はこんな調子で、地域活動がほとんどを占めています。
時間的には余裕のない日々ですが、様々な方々と会い話を聴くことで、元気をいただくことができるのは、本当にありがたいと感じています。
そう考えると、人との付き合いがたくさんある私は幸せなんですね☆
さて、今日はこれからテープ起こしをしないといけないので短めに書かせていただきます。
誰かと会う約束をしている前とか、朝の出勤前に読む言葉です(ノートにメモしています)。
『あなたに出会った人がみな、最高の気分になれるように、親切と慈愛を込めて人に接しなさい。あなたの愛が、表情や眼差し、微笑み、言葉に、あらわれるようにするのです。』
この言葉は、マザーテレサさんが発した言葉です。
日々、やることがたくさんあると、ついつい時間に追われそうになりますが、どんな時でも誰かと過ごす時間は大切にしたい。
数か月前に自分が余裕のない状態であることに気づいた時に、自戒としてノートに記載した言葉ですが、私の場合は、これは朝読むと結構意識して他人様との時間を大切にすることができます。
“忙しいのは私の都合で、相手さまはそんなこと関係ないのだから、どんな時でも相手を大切にする気持ちは忘れないように”
感謝やお礼は口に出す、自分も相手も心地よく思える時間を過ごす☆
当たり前のことかもしれませんが、7月からはこのことを意識して毎日を過ごしています。
もし、『ちょっと今、心身に余裕がないな』と思う方がおられたら、ぜひ、マザーテレサの言葉を朝に読んでみてください☆
訪問をありがとうございます。
土曜日は、一日家族のいる中で、子ども達と遊んだり、漫画を読んでいた私ですが、皆さま、充実した休みを過ごされたでしょうか?
あ、ちなみに今回の漫画は『健康で文化的なナントカ』という、以前ドラマ化されたことのある漫画と、『ちいさい人』という児童相談所のシリーズ(続編があるのでシリーズです)、『元ヤン』という全15巻の長編でしたが、どれもたくさんの気づきと学びをもらいました。
ちなみに今回のタイトルは、少年漫画(喧嘩マンガ)のセリフから書いています。
あぁ、なんとなく私の脳が女性思考ではないことがお判りいただけると思います。
さて、そのタイトルの『生々流転』ですが、言い換えると、『行く川の流れは絶えずして しかも元の水にあらず』ということで、『見た目は同じでも(時の流れと共に)中身は変わる』という意味です。
これを受け入れることができると、世の中の詳細に気がつくことができ、さらに『〇〇は、なぜ△△から××に変わったのだろうか?』と考えることで自身の思考を深め、物事を表面だけでなく、重層的に捉えることができると考えています。
まぁ、あんまりそれを他人様に話すと『面倒くさい人』になってしまいますが、今の時代はこれを考えることがとても大切で、こういうことを思う存分意見交換できる仲間を持てる人が、次の時代を理解して行動できるんだろうなぁと考えています。
ググれば簡単に回答が出る社会だからこそ、敢えてその奥を楽しみながら考える。
これは、不確かな今の時代を楽しくする一つの手段ではないでしょうか?
訪問をありがとうございます。
今月は、地域活動団体様の取材作業の他、経済ニュースサイトにコメントを残しているため、1か月サイトの更新をお休みしています。
体調が悪いわけでもなく、意図的にお休みしていますので、『なんだよー』と思われた方がおられたらごめんなさい☆
さて、少し前に、『夜回り先生』で有名な水谷修先生が、自身のHPサイトを閉鎖したというニュースを見ました。
この先生、一時メディアでも取り上げられていましたが、実はずっとその前から活動をされていて、メディアに取り上げられなくなった今までも地道に活動をされているという方でした。
その先生のサイトで、最後に更新された8月21日タイトルが、『さようなら、哀しい』です。
そこには、『私に相談している人の何人が私の本を読んでくれているのか。誰かから聞いて私に相談。でも、それは哀しい。ただひたすら続く何百本の日々の相談。私の本を読んでくれればそこに答えが。疲れました。』とあります。
同日、その前の更新は『さようなら。哀しいけどさようなら。もう、疲れました。これで、このホームページは閉じます。さようなら。』とありました。
水谷先生はご自身ががんの闘病生活を送られていたこともあり、サイト閉鎖の真意はわかりません。
が、十何年続けた活動の最後の更新が『哀しい』ということに、私は胸をえぐられる気持ちで読みました。
いや、別に先生と交流があったわけではありません。
ただ、らせん状に社会を良くしようという信念を持ち、そのために利他主義的に活動されていた方が、現実のもぐら叩きのような、次々と増えていく相談に追われ疲弊してしまうという現状が強く理解でき、何ともやるせない気持ちを抱いたのです。
そして、このように利他主義で社会をよくする一方で、彼らの善意にただ乗りしようとしている人が増えているのが、今の社会なのだと、改めて実感させられたのです。
私は過去から今の社会の流れを見ていて、非常に強い危機感を持っています。
それは、『今の社会風潮は、善意の人がただ乗りしたい人に凌駕されてしまうのではないか?』という危機感です。
だからこそ、一番地道に地域活動やボランティアをしている方々の想いと活動を保持できる仕組みづくりをしないとと思って行動をしていますが、その最中に知った水谷先生の今回のニュース。
これは、私自身にとっては、とてもとても哀しいことでした。
そして、改めて、この社会風潮を変えるには、長い時間がかかるかもしれないけど、取り組むことが必要。そして、“すべての困っている人”を対象にするのではなく、善意の人も、善意を与える人を選ばなくてはならない時代になっていることを改めて実感しました。
哀しい現実ですが、ただ乗りしようとする人は、基本スタイルが個人の損得勘定で、善意の行動をサービスと勘違いして使います。
だから、ただ乗りの人が増えると『お互いさま』の輪が広がりにくいのです。
さらには、彼ら(ただ乗りの人)は、善意の人の行動を『好きでやっているんでしょ』と言います。
自分が社会の主人公だと感じているので、『私らしく生きること』の視点で物事を捉えてり判断し、他者に対して想いを馳せるという気持ちが薄くなっています。
だから、『なんで善意の方々は利他主義的な行動をとるのか?』に対して、『好きでやっているんでしょ』という結論になってしまうのだと思います。
いや、善意の人は自分への見返りを期待しているわけではないので、半分その意見は合っているかもしれません。
が、彼らが活動を通して期待しているのは、『らせん状に社会が良くなっていくこと』であり、言い換えれば『恩送り』的な思想から来る行動も、多分にあると私は感じています。
最近言われている『自分を大切に』『自分が好きと思うことに取り組もう』『自分らしく』といったキャッチフレーズは、とても都合良く使われており、これが社会の自己中心化・個人主義を助長していると感じています。
自分も大切ですが、根本的な部分が抜けており、それは『人間は集団で生活を成り立たせているものであり、社会の中に生かされている』という感覚です。
今の社会は、このバランスがとても悪いと私は感じています。
そして、今後の社会保障変革で、ただ乗りをする人はより増えると私は危惧しています。
とはいえ、私一人、自分だけでできる範囲は限られています。
だからこそ、様々な方々に話を聴いたり意見交換をしながら、よりよい社会を創るためにはどうしたら良いかを考え行動するとともに、その活動の中で仲間を見つけていこうと考えています。
ここに来てくださる方々は、ただ乗り人間ではないと思うので、あえて書いてしまいますが、残念なことに世の中には思った以上にただ乗りしようとする人がいます。
そういう人たちに、皆さんの取り組みが潰されることのないよう気を付けてください、ということを書きたくて、サイトを更新させていただきました。
訪問をありがとうございます。
今日は、サービスB終了後、自転車で20分くらいかかる場所に取材に行ってきました。
いやね、今日は盛だくさんだったんです。
…というのも、朝一番から喫茶店で取り組んでいたのは7月経理の出納簿作成です。
本当に私、興味のないことは、ぎりぎりにならないと取り組めなくて、取り組むと、ものすごい勢いで集中して行うのです。
で、その後に、来週社内勉強会で使う事例を作成しながら、サービスBに参加をしていました。
毎年ですが、この時期のサービスBは自由参加にしており、決して無理してこないよう呼び掛けています。
が、ありがたいことに、皆さん極力休まずに来てくださいます。
今日は、娘さんといらした方もおられ、『あぁ、世間様はお盆休みだなぁ』と思いながら迎え入れました。
その中で、参加者の方は全員戦争体験者なのですが、皆さん、昨日の終戦日の話題をきっかけに、声を詰まらせながら当時の体験を語ってくださいました。
当区は、終戦記念日よりも原爆被災日よりも何よりも、3月10日に受けた東京大空襲が、皆さんの中では一番印象にあるとのこと。
この3月10日の夜間大空襲では罹災者が100万人を超えたと言われています。
その時の混乱の様子を、参加者の方が語ってくださいました。
語り手も聴き手も戦争体験者。
それぞれが、それぞれの想いを馳せながら過ごす時間は、言葉にならない時間でした。
私は両親が山口県出身で広島県に親戚もいるため、戦争というと原爆の印象が大きいです。
昨夜は遅い帰宅だったのですが、夜中からはだしのゲンの作家が書いた自叙伝を呼んでいました。
昨夜の書物と今日の話を聴きながら改めて感じたのは、どちらも被害にあっているのは一般市民ということです。
国同士の利害関係など様々な思惑で行われている戦争ですが、被害にあうのは一般市民なのです。
そして、戦争が起きる可能性というのは、いつの時代もあるのだということです(第二次大戦後、世界のどこかで毎日戦争は起きています)。
今の現代の便利さ・快適さに慣れてしまい、戦後74年間の間に哀愁として一つの歴史としてはいけないんだということを、改めて感じました。
日々の幸せに感謝して毎日を過ごす。
平和は当たり前ではない。
そのことを年配者はよく口にしますが、そうした実感のこもった言葉であり、このことに私たちは想いを馳せながらこれからも平和な社会を築いていくことが大切だと、改めて感じました。
最後に、参加者の男性が言っていた言葉です。
『あの時は、信じられないくらいにたくさんの人が死んだ。大空襲以外にも本当にたくさんの人が死んだ。その様子はすさまじいものだったし、においも忘れられない。あの出来事は一生忘れられないよ。(中略)戦争はね・・・どんな理由があっても絶対にしてはいけないんだ。それだけは、絶対に自分達の中で決意しないと、忘れたときに同じことを繰り返してしまう。今の若い人には想像もつかないかもしれないけど、家族を失う悲しみ、やるせなさ。日本は、そういう思いは二度としちゃあいけないんだよ』
終了後、ボランティアの方々が、『〇〇さんの話は今の若い子達にも聴いてもらいたい。戦争体験者が減っている今、書物だけでは感じ取れない空気を、生の声を、〇〇さんが元気なうちに話してもらう機会を創ろう』と話しておられました。
政治的な話をここですることはありませんが、1年に1回ですが、私たちは当たり前に享受している平和というものを、じっくりと考えることが大切なのだと、参加者の方々の話を聴きながら思いました。
訪問をありがとうございます。
久しぶりの更新ですが、皆さま元気にお過ごしでしょうか?
私は、今日は取材が2件と給与振り込み、職員会議があります。
今は空き時間を全てテープ起こしに使っており、これがとても楽しいのですがとても時間がかかり、1日36時間になればよいのに…と、相変わらず欲張りなことを考えています。
さて、今まで10以上の活動団体さんの取材をさせていただいている中で、おもしろい法則を見つけました。
これは、どんな取り組みでも応用できると思いますので、今日はそのうちの1つについて、書かせていただきますね。
結論から書くと、継続的に安定・発展している団体さんは、『創意工夫のしかけ』『周囲に感謝』『効果的なつながり作成』をされています。
そして、今日は『創意工夫のしかけ』について書かせていただきます。
これは、ほぼすべての方々が、ストレートに自分たちの主張を訴えた活動を実践するのではなく、様々な仕掛けを施しながら実践しています。
まずは、取り組み自体を面白くするしかけ☆
これは、どなたも話していたのですが、『楽しくないと人は来ない。だから楽しくなるしかけが必要』ということです。
この『楽しい』は、参加する(してほしい)人はもちろん、協力者の方に対しても楽しめるようなしかけを常に考えています。
その工夫の仕方が、半端なく常識を取っ払ったもので、思わず『あ、それ良いね!』といってしまうものなのです。
例えば、こんな感じです。
■集合住宅で住民同士の交流を深めるため、住民を40名ほど集め、どの階のどこにどんな人が住んでいるかをゲーム感覚で実感した後、その結果を持って『住居内でお互いを知る関係性は大切』と住民自身に言わせる。
■外国人との住まいの課題に対して『わかりやすいのが良い!』ということで、公社に『ごみ捨てルールの表記はイラストにするように』とアドバイスをする。
■防災訓練をきっかけに料理を集合住宅の皆で作り、それを届けるという名目で高齢者のご自宅訪問を行うことで、相手が警戒しない安否確認方法を行う(しかも届けるメンバーは毎回違う人にして顔の見える関係つくりを行っている)。
■バザーやフリーマーケットを企画して世代間交流を図ったり、さらにそれを発展し、高齢者からの出展物を募り、取りに行く名目で自宅から出られない方々との交流を図る。
等々。
お気づきの方もおられるかもしれませんが、これらって『すべて、相手目線で考えている』のですよね。
■どうしたら住民が受け身にならないように、団地内人間関係の希薄さに気づき『何とかしないと』と思わせることができるか?
■どうしたら相手が理解し行動できるようになるか?
■どうしたら高齢者の自尊心を傷つけずに顔の見える関係つくりができるか?
■どうしたら若者が団地住民と交流を持ちたくなるか?(負担なく)会話の機会を自然と作れるきっかけができるか?
こういうことを考え実践することに、地域活動の取り組みの楽しさがあり、実践することで新たなアイデアが生まれ、それをまた、相手目線で取り組みしかけを考えながら実践する。
このスパイラルの中で、関わる仲間との交流を深め親睦し、より強いつながりを築きながら、新たな取り組みを行っているのです。
これが、『地域活動やボランティアの魅力』だと、私は感じています。
以前書いたことがありますが、地域活動やボランティアに長年取り組んでいる方々ほど、『やってあげる感覚』の方はいません。
むしろ、『どうしたら地域がより良くなるか?そのために自分は何ができるか?』の視点しかありません。
それは、目には見えないけれど、与える以上の楽しさや充実感を彼らは知っているからだと、数々の取材をしながら理解しました。
あぁ、私も精進しなきゃ☆