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訪問をありがとうございます。
今週は何かと追われている私で、朝のサイト更新が叶わず、ランダムな時間で更新をしています。
そんな中、先ほど知人から『ねぇ・・・サイトの更新ないけど、体調崩した?』と連絡をいただきました。
はっと思い確認をすると、更新したつもりで、またしても下書きに昨日のサイトを入れていた私☆
慌てて更新に切り替えた次第です。
そして、私は元気です☆
さて、先日、『正義の教室』という本を読みました。
タイトルの通り、倫理に関する内容なのですが、高校生の男の子が主人公となっており、生徒会役員の子達と倫理の授業を通して『正義とは何か?』を学んでいく・・・という内容です。
あ、こんな書き方をすると、『なんて重苦しい本なんだ』と思われるかもしれませんが、作者は飲茶さんです(名前からしてちょっとふざけていると感じるのは私だけ?)。
スラスラと読みやすく、でも可能な限りわかりやすく倫理や価値観の違いについて書いてくれていますので、興味のある方は週末に本屋さんかAmazonに走ってくださいませ。
ちなみに、私は内容は100点でしたが、最後の最後のオチに納得がいかず、何だかちょっと不完全燃焼でした☆
本の中身をここで書くわけにはいかないのですが、本に出てきた『なるほど!』ということだけ、書かせていただきますね。
それは、『人間が持つ正義の判断基準は、平等・自由・宗教のどれかに当てはまる』という言葉です。
この部分について、ちょっと説明します。
平等の正義を実現するには、功利主義的考えとなり、これは最大幸福を重視して正義をジャッジするという考え方です。
そして、自由を正義を実現するには、自由主義的考えとなり、幸福かどうかは関係なく、自由かを重視して正義をジャッジするという考え方です。
最後の、宗教はいわゆる道徳のことですが、宗教の正義を実現するには、直観主義的考えとなり、道徳(あるべき論)を重視した考え方です。
で、ですね、私、この部分を読んだときに、思ったのです。
『あぁ、世の中でされている様々な議論って、まとまるわけがないよな』と。
だって、どっちの方向を向いているか?そもそもメンバーの価値観が、平等・自由・宗教のどれかを知らないままに議論を開始しても、みている景色が違うのに、話が噛み合うはずがないじゃないですか。
と同時に、日本人はとにかく『正解』を求めたがる民族だと思っています(そんなにたくさんの外国人を知っているわけではないですが・・・)。
これは、二項対立を生みやすく、『どっちが正しいか?』に議論が流れがちなわけですが、そもそも世の中のほとんどの物事に『絶対の正解』なんてないわけで。
様々な会議等で成される議論が、円滑に進まない理由というか、日本人が議論が苦手とする理由のひとつが分かった気がしました。
少し前に、誰かが話していたのですが、『議論をすることの良さは、知識を学び自分の考えを持ち、それを軸に他者の意見を聴いて、より自分の視野を広げることだ』みたいな言葉がありました。
だから、議論の中で『答えを出さなければならない』という思い込みから、まず離れることが大切だ、と。
本当に、その通りだと思います。
時代が変わり、今までの『直線をまっすぐ走れば良い時代』から『先が見えない混沌とした道を自らが選んで進んでいく時代』に切り替わった今、大切なことは、“誰かの選んだレールに乗っかって走ること”ではなく、“自らが物事を知り(知識を持ち)考えて走る”ことが求められます。
学ぶ時間をしっかりと持ち、色んな意見を聴きながら自分の意見を確立していく。
自分と違う意見があれば、その立場に立って改めて物事を考えることで、より自分の考えを高みに上げていく(多角的視点を持つ)。
ちょっと堅い言葉になりますが、私はそれが人間の進化だと思うし、今の時代は過去から比べて進化しているのだと、改めて感じました。
なぁんて考えていたのですが、考えがまとまってニヤニヤしていたら、目の前の低いガラス越しにいたおじさんと目が合ってドッキリ!
外で思考を深める時は、ニヤニヤしないように気をつけなければと反省した私でした☆