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2019-05-20 08:45:00

訪問をありがとうございます。

 

今朝は、一つ仕事を行ってからの記事作成となったためアップ時間が遅れました。

 

皆さま、充実した休日を過ごされたでしょうか?

 

私は、墨田川マルシェというイベントを観に行き、あぁ、オシャレなイベントは集客もお値段も良いなぁ~、と感動してきました。

 

 

 

 

さて、今年4月から始まった働き方改革の影響が、ジワリジワリと出てきていることがニュースでわかりました。

 

以前、経団連の中西会長が終身雇用の終焉を示唆されましたが、それより一足早く働き方改革は始まったわけで。

 

ご覧になった方もおられるかもしれませんが、5月14日放送のNHK『クローズアップ現代+』では働き方改革によって住宅ローンが滞り、住まいを失った方々などのインタビューも出ていました。

 

普段、ローンを組む際は年収ベースでいくら借り入れができるかを計算しますが、これって残業代もしっかりと入っているのですよね。

 

で、今回の残業上限に伴い、大半の企業は残業手当のカットを行い、結果、時間は自由になったものの家計に大打撃を与えられ、ローンを組んでいた方々が返済できずに手放す羽目になった、ということです。

 

 

 

 

みずほ総合研究所の試算では、働き方改革によって一律に60時間超の残業時間が規制された場合、一人当たり月7万円、国全体で5.6兆円の給与が削減されると算出しています。

 

また、パーソル総合研究所が行った調査では、『基本給だけでは足りない』という会社員は6割を超えたとのこと。

 

ここに来て、日本の働き方は本格的に大きくシフトチェンジした影響が出だしている、というわけです。

 

で、ですね、私は国や企業を批判する気はありません。

 

今回のシフトチェンジ自体は、限界を決めず自分のやりたいことをできる自由を手に入れるチャンスだと思うからです。

 

労働はあくまでも市場が主導を握るものであり、今までこの切り替えは来ると言われていたので、準備時間はあったと思っています。

 

一方で、この働き方改革の影響で気になったのは、『この変化自体は数年前から言われていたにも関わらず、実行されてから困る人が予想以上に多そうだ』ということに対して衝撃を受けています。

 

ということは、今後来る終身雇用の終焉や社会保障の大々的な見直しなどの波に乗り切れる方が、どのくらいいるのだろうということです。

 

 

 

 

そう、今後終身雇用が保障されない、かつ、定年という概念さえもなくなるという社会の変化に、はたして働く人は耐えうることができるのか?ということが、心配であり、今の段階で対策を打っていない方は、早急にご自身の人生設計について考え直した方が良いと思うのです。

 

私は経済に明るくないので『これ』という決定打をお伝えすることはできませんが、個々が自分に合った生活スタイルを終末期まで考えデザインすること(終末期までがポイントです)。

 

自分の得手を活かして現在の生活スタイルを維持する方向に行くのか、地域の小さな経済圏の中で助け合いをベースとしたお金だけに依存しない生活スタイルに切り替えるのか?

 

どんな方法でも良いと思うのですが、大切なことは『入りと出のバランスが取れた自分なりの生活設計をすること』で、これは、周囲をうかがい合わせることではなく、『私はどういう人生を送りたいのか?』を本気で考えないといけない、ということです。

 

これ、本当に必要だと思っています。

 

なぜなら、働き方改革の後に来るのは社会保障の大幅な見直しで、それは働き世代というよりも高齢者を対象に考え直さなくてはならない時代が来るからです。

 

 

 

 

後期高齢者の医療や介護保険の負担割合も変わると思います。

 

保険適応範囲も変わると思います。

 

実際に起きてから『困った!』と嘆くのではなく、少し先を見越してアンテナを張り情報を集め『私はどうしたいのか?』を問うこと。

 

物事はオモテとウラの両面があり、雇用の自由を獲得できたことは良い部分ですが、自分の言動に責任を取る必要性がまずます高まっています。

 

私は行き過ぎた自己責任が嫌で小さな経済圏を創ろうとしていますが、ホント、自分自身でしっかり考え、家族間で気持ちをすり合わせ、同じ方向を向いて進んでいけば、乗り切れることだと思いますので、ここはチャンスと捉えてしっかりと考え行動していきましょう☆


2019-05-19 16:35:00

訪問をありがとうございます。

 

今朝、家でぼんやりテレビを観ていた時、作家川村元気さんが認知症の母子の話を書いた書籍を発売したというニュースが目に入りました。

 

川村元気さんと言えば、『電車男』『君の名は』『告白』『億男』など数々の映画などでも有名な方ですが、私はこの方の書籍を読んだことはありませんでした。

 

で、早速江東区に向かう最中に書店で購入し読みました。

 

 

 

 

認知症についての書籍と言えば、(私の中で)一番古いものは、有吉佐和子さんの『恍惚の人』です(今調べたら1972年の作品だったらしい)。

 

私は短大生の時に読みました

 

有吉さん自身が10年近く取材を重ねて綴った作品だったようですが、文壇からは冷遇されたようです(Wikipedia先生より)。

 

改めて(本屋で立ち読みしながら)サラッと読んでみると、何というか、認知症症状の周辺症状と呼ばれる行動(徘徊とか放尿とか弄便とか異食とかとか)が中心で、ある意味『あぁ、もしかしたらこの本がきっかけで認知症のイメージが世の中につくられてしまったのかもしれない』と感じざるを得ませんでした。

 

この本の主人公は嫁で、義父を介護するという話だったのですが、認知症本人の心情等は一切触れることなく、介護者だった昭子(主人公)の視点で書かれており、詳細は分かりませんが映画化されていたと思います。

 

 

 

 

次に読んだ認知症に関する書籍は、萩原浩さんの書かれた『明日の記憶』です。

 

この本は、元々私が好きな作家だったため、たまたま読んだら認知症に関する本だった…というものでしたが、認知症本人の目線から書かれた本で、萩原さん独特のユーモアと感動を織り交ぜた作品です(2004年作)。

 

この本を読んだ渡辺謙さんが大変感動して映画化されていましたが、映画のほうは何というか、渡辺さんの想いがちょっぴり強すぎていたような気がしました(私の主観です)。

 

萩原さんのうまいな~と思うところは、認知症を患った本人が、徐々に一つひとつの物事を忘れていく様を上手に描写してあると同時に、ユーモアを交えてその重さを薄めてくれているところです

 

また、いたずらにショッキングな部分だけを取り上げるのではなく、エピソード一つひとつに『認知症の方目線』が上手に入っていて、当事者の気持ちを理解しやすい内容だったと思います。

 

 

 

 

そして、今回の書籍。

 

川村さんの読者は若い方も多いと思うので、この本を通して『認知症』というものが、どのように社会から認識されるのかを注視していきたいと思います。

 

と同時に、今のこの安心安全で便利な社会において、人の終末期を含めてどのように過ごすことがその人にとっての幸せなのだろうか?親子とは、夫婦とは、家族とは一体何だろうか?などを考えてしまいました。

 

そして、改めて時代を踏まえて、これらの書籍をじっくりと読み比べてみたいと思った私でした☆


2019-05-19 12:09:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は一日中爆睡し、目が覚めたら今日でした。

 

今日はこれから地域でサイトを一緒につくっている仲間の行うイベントに行く予定です☆

 

 

 

 

さて、突然ですが、最近モヤモヤしている事があるのでそのことについて書かせていただきます。

 

モヤモヤしている事というのは、『今の時代は物質に恵まれ自由を謳歌できるという、ある意味とても幸せな時代だけど、根底に必要な“道徳心”とか“倫理観”を持っていないと、大変なことになるのではないか?』ということです。

 

というわけで、今日は経済の話から、そのあたりを書いてみたいと思います(私自身、考えながら書くため何分まとまっていない文章になると思いますが、ご容赦くださいませ)☆

 

 

 

 

今度一万円札の顔になる『渋沢栄一さん』と経済の父と呼ばれた『アダム・スミス』について共通点があるのですが、皆さん、なんだと思いますか?

 

渋沢栄一さんは、『論語と算盤』という超ベストセラーを書いた方ですが、この方の言いたいことは『倫理観と営利はバランスよくね』ということです。

 

そして一方のアダム・スミスは『資本論』という本の中で『見えざる手』という表現を使っており、この意味は『全ての人が道徳に基づいて自分の利益を追求すれば経済はうまいこと回る』ということを書かれています。

 

そう、どちらにも共通していること、それは『道徳心とか倫理観と営利はバランスよく進めていかないとね』ということです。

 

これは、いつの時代にもとても重要な事だと私は考えています。

 

そして、これは経済だけの話ではなく、私たち個人個人の気持ちの在り方についても大切な視点だと考えています。

 

『道徳心(倫理観)と自由はバランスよく持とうね』というか、道徳心を持ちながら毎日を過ごすことが、世の中のバランスを取る上でとても大切というか。

 

つまり、『自己主張とお互いさま精神の両方をバランスよく持つことは大切だよね』ということです。

 

 

 

 

振り返って、今の社会はどうでしょう。

 

戦後、現在の高齢者と呼ばれる方々を中心に、日本は高度経済成長を成し遂げ一気に豊かな国になりました。

 

その後、バブル崩壊(1992年)となったわけですが、その恩恵を食い潰しながら日本は安穏と毎日を過ごして来れました。

 

が、その食い潰しは限界に来ています。

 

そんな状況の中、私たちはどんな方向に進みたいと思っているのかを、今一度真剣に考える時期に来ているのではないかと思うわけで。

 

 

 

 

そんなわけで、最近また『論語』を読み返している私ですが、考えてみれば、そもそも『道徳心・倫理観』というものを今の日本人は持っているのか?という疑問にぶち当たりました。

 

私自身、後期高齢者の方々と接する機会が多いので、当たり前のように倫理観や道徳心というものをベースに毎日を過ごすことができていますが、戦後生まれた人たちは、もしかしたら道徳心とか倫理観というものを意識しなくても良い社会に慣れてしまっているのではないかということに気づきました。

 

だから、色んなところで諍いが起きているのかもしれない。

 

例えばそれは、満員電車にベビーカーを乗せることの是非であったり、育児参加に関する是非であったり、雇用に関する課題であったり、格差社会の拡大であったりetc

 

 

 

 

以前、中野信子氏が話していましたが、日本人はそもそも幸せホルモンと呼ばれる『セロトニン』が少ない方が多いのだそうです(セロトニンが少ないと、不安を感じやすくなり損害を回避する傾向が高まり、コミュニティの空気を敏感に察したり、他人に合わせようとするのが得意になります)。

 

それは国民性とも大きく関係しており、そもそもが真面目で誠実な反面、『真面目にやっているのに報われない』と感じやすい傾向があるのだそう。

 

誠実である一方で、不平等に敏感で、不満が嵩じて妬みの感情が生まれやすいのだそうです。

 

だからこそ、その不満を抑える『道徳心・倫理観』って大切だと思うのですが、さてはて、これをどうやって私たちは育めばよいのか?

 

そんなことをモンモンとイロイロ考え込んでしまっている私でした。

 


2019-05-18 07:42:00

訪問をありがとうござます。

 

今週は夜の予定が目白押しでしたが、怒涛の1週間がようやく終わりました。

 

う・・・嬉しい!!!

 

今日はこの後ゆっくりと休みたいと思います(二度寝です)☆

 

 

 

 

さて、今日は認知症についての記事から書かせていただきます。

 

16日に政府は、70代に占める認知症の人の割合を、2025年までの6年間で6%減少するとの具体的目標を公表しました。

 

これ(具体的数値の公表)は地味かもしれませんが画期的なことです。

 

そして同時に、根拠ある具体的取り組みがないにも関わらず、先に数字をアップさせてしまう内閣の様子に『勇気あるなぁ~』と思いました(そのくらい満喫の課題なのでしょう)。

 

で、具体的に政府の挙げている認知症予防の取り組みというのはこんな感じです。

 

■運動予防の解消や社会参加を促すための「通いの場」の拡充

 

■保健師や管理栄養士による健康相談

 

■自治体が実施する取り組みの好事例集の作成       

 

など、となっています。

 

つまり、要約すると、

 

具 体 的 目 標 は 掲 げ た け ど 、 や る こ と は 変 わ ら な い よ 

 

ということですね、はい☆

 

 

 

 

認知症については、科学的根拠に基づいた予防の在り方を研究したり実践が進められていますが、今一つ、決め手となるものはありません。

 

が、運動で身体機能を維持すること、社会参加で自分自身の居場所をつくること、栄養を中心としたバランスの良い食事と健康意識で、認知症に限らずある程度の心身の機能低下は防げることは既に実証されています。

 

そして、認知症に関しては治療法が確立していないこともあるため、安易に数値に捉われず「誰もが住みやすいまちづくり」という環境面の工夫が同時進行で必要だと個人的には感じています。

 

つまり、『個人が予防に取り組むことを推進するのと同じくらい、社会に正しい認知症の知識を普及し、どんな状況になっても安心して生活できる地域づくりをつくるという、両輪が必要なんじゃないかなぁ~』と思うわけで。

 

 

 

 

そりゃあ、本人の努力は必要です。

 

が、過剰に『予防』を謳うことで、認知症になった人は『予防の取組を十分にしていない人』というレッテルがつかないかと、ちょっと心配してしまいます(あと、間違った予防法が取り上げられて情報に振り回されないかが心配)。

 

そして、疾患の原因が分からないことが『認知症』の不安を煽り、様々な理由で症状が進行してしまった認知症高齢者のイメージが『認知症になることは・・・』という、間違ったイメージを生んでいるこの環境面のマインド転換も必要だと感じているというか(本当にこの間違った思い込みやイメージで、認知症の方々やそのご家族は大変なストレスを感じているのです)。

 

別に認知症に限ったことではありませんが、個人をカテゴライズしたり必要以上に警戒せずに、フラットな気持ちで『〇〇さん』として接することって大切だと思うのですよね。

 

というわけで、具体的目標を掲げることは良いと思うのですが、その数値にとらわれ過ぎず、私たちにできることは、どんな状況でも住みやすい社会を創るために何ができるかを考え、実践していくことなのかなぁ~と、当たり前の結論に落ち着いた私でした☆

 

皆さんは、認知症の具体的数値目標について、どう感じていますか?


2019-05-17 07:27:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は午前中は眉間にシワを寄せながら経理を行い、午後からは地域限定サイトの打ち合わせを行いました。

 

そして、夜は中小企業家同友会の勉強会です(今回はSDGS関連でした)。

 

 

 

 

さて、今日はどんなことを書こうか迷ったのですが、先日、総会があった際に地域で子ども食堂を提供している方と話したことをSDGSに絡めて書かせていただきます。

 

まず、SDGSについての説明ですが、国連が発端となり世界的にも取り組まれている活動で、『だれひとり取り残さない』をスローガンに、17の目標があります。

 

結論から書かせていただくと、(うまく回る仕組みができれば)17の目標と〇〇食堂に照らし合わせると、実に9つもの目標に貢献することができると私は考えています。

 

具体的には、『貧困をなくそう』『飢餓をゼロに』『すべての人に健康と福祉を』『質の高い教育をみんなに(地域交流の中での道徳・躾の獲得という意味で目標対象となると判断)』『人や国の不平等をなくそう』『住み続けられるまちづくりを』『つくる責任つかう責任(再生可能性)』『平和と公正をすべての人に』『パートナーシップで目標を達成しよう』です。

 

つまり、〇〇食堂は、社会的需要と貢献度が高い事業となりえているということが言えます。

 

 

 

 

さて、ここで現在の状況を書かせていただきますね。

 

先日、子ども食堂を運営している団体さんに現状を聞いたところ、とにかく食材の確保が困難で、ボランティア団体の負担はかなり大きいとのことです。

 

具体的には、お米の確保は何とかなっているのですが、野菜やお肉など(傷みやすいもの)の調達が困難、とのお話でした。

 

『いや、社会から求められていることは分かるし自分達も頑張るつもりでいるけど、実際毎回50食以上分の食材を確保するのは大変なんだよ』とのことです。

 

本当に良いことに取り組んでいるのに、食材確保という課題で悩んでいる状況があります。

 

 

 

 

一方で、この国ではスーパーやコンビニなどで、たくさんの消費期限切れの食材が廃棄されています(ちなみに、消費期限とは『品質劣化に伴い安全性を欠く恐れのないと認められる期限』を言います)。

 

ここで皆さんにお聞きしたいのですが、大抵のものは消費期限が1日過ぎても食べれません?

 

 

 

 

一方では、食材が足りなくて困っている。

 

もう一方ではせっかくの食材を消費期限切れで(お金をかけて)廃棄している。

 

ここを上手につなぐことができれば・・・子ども食堂や誰でも食堂に活用する仕組みさえできれば、廃棄処理の手間は減り、地球にも優しく、かつ地域で安定した食事確保を行うことができます。

 

とは言え、各ボランティア団体が個別にスーパーを廻って協力を求めることは困難です。

 

、ネットワークをつくり、インターネットで食材の提供が可能な仕組みをつくれば、食を通じて地域力を上げることもできると私は思っています。

 

なぁんて。

 

そんなことを考えながら、何か良い仕組みはないかと模索していますが、改めて地域力を上げるには、住民と活動団体と企業と行政との連携が必要だな、と感じました。


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