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2019-05-11 07:26:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、朝からサービスBを開催しつつ、お昼からは全国首長交流会という勉強会に参加してきました(交流会が主目的ですが、私は交流会よりその前の勉強に重きを置いていました)。

 

今日も9時半から17時まで開催されるため出席しますが、首長さんの全体を俯瞰的に捉えて課題に優先順位をつけながら市区町村の事業に取り組むという仕事は、本当に大変そうだなぁ~、と思いました。

 

ちなみに昨日は、「人口減少社会における社会・経済システムを展望する」「環境改善について」「地方創生を新たなビジネスで」「司法による地方自治体支援」等について、各省庁の方々より受講しました。

 

興味の有無に関わらず講義を受けることで、私自身の無知の知を十分に感じることができました☆

 

今回も勉強会案内をくださったNさん、ありがとうございます。

 

 

 

 

さて、今日はタイトルの数字についての話です。

 

これは、財務省が10日に出した国債や仮入金などを合計した「国の借金」の額を国民(1億2623万人)一人あたり平均で出した数字です。

 

借金といっても、そのまますべてが借金ではなく投資もある為、この金額がマルっと負担と思うのは違いますが、それでも3年連続で過去最大額を出しているという状況を、私は異常だと感じています(大体、国民の借金と言われていますが、正確には政府がした借金なので、「はぁ、そうですか」と素直に受け入れることができないのは私だけでしょうか?)。

 

とは言え、日本国が背負っている借金の額は人口減少に反比例しており、昨日の参院本会議で決まった幼児教育・保育無償化等を考えても、(10月に消費税が上がったとしても)これからは、さらに厳しい時代に入ると感じており、国はどこで折り合いをつけようとしているのかは注視していくことが必要かと思っています。

 

ちなみに、2018年度末時点で1103兆3543億円になっており、1年前に比べて15兆5414億円増えていると出ています(うち、国債が976兆8035億円)。

 

※私は借金自体が問題とは捉えていません。今は景気回復の必要もあると思いますが、金融緩和を含めバランスを考えてほしいと、個人的には感じています。

 

 

 

 

・・・とそんなことを考えつつ、先日読んだ「日本沈没」というマンガの一節を思い出しました。

 

これは、タイトルのとおり「日本が1年近くかけて水没する」という内容を記したマンガなのですが、本質を捉えているセリフがいくつかあり、読み応えがあると感じています。

 

ちょっと長くなりますが、引用させていただきますね。

 

 

 

 

「これから起こる事は間違いなく“国難”だ。君は君の責務を、『D計画』は『D計画』の責務を、政府は政府の責務を、国民は国民の責務を全うしなければ乗り越えられない。

一人で背負い込んだつもりの者が声の大きな代表者になり、責任を放棄した多くの人々がその代表者に喝采を送れば、それは20世紀に“独裁”と呼ばれたシステムだ。そうではなく、チームプレーにより、全員の納得する結果を目指さなければならない。その為には…誰かひとりが領分を超えて奪ったり、逆に背負い込んだりしてはならない。同時に、社会の中の誰ひとりとして、個人の責務を放棄してはならない。この世界はそうしたルールによってのみ、まともに動くようになりつつある」

 

もし…誰もが…その責務を負わなかったとしたら?」

 

「情報理論の見地において、そういう“社会”をもう“社会”とは呼ばない。もし日本人の「責任放棄者」の率が限界地を超えているなら…実はこの国は、もうとっくに終わっている事になる」

 

「日本沈没:一色登希彦(原作:小松左京)」4巻より

 

 

 

 

 

国民の責務というものは(教育・勤労・納税)の三大義務を始め、それぞれの制度などに沿って「義務」という形であります(例えば、介護保険で言うと第4条には“国民の努力義務”という形で「自らも健康に努めなさいよ」というものがあります)。

 

こんな感じで、どんなルールにも「義務と権利」はセットであるものです。

 

が、これは私見ですが、最近はどうも「自由の権利」という名の下に、義務の部分がおざなりになり権利ばかりが主張されているように感じています。

 

本来、日本人は真面目で愚直で個人の損得よりもお互いさまを美徳とする国民性があると捉えていますが、そのバランスが崩れてきているように感じるのは、私だけでしょうか?

 

キッカケは国の借金からでしたが、そこから今後の国民の在り方というものを、今一度私たちは考えなければならない時期に来ているのかなぁ~、と実感したニュースでした☆

 

皆さんは、現在の社会についてどのように考えていますか?


2019-05-10 07:28:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、1日外出していました。

 

今日も昼から外出し、明日と2日かけて首長交流会に紛れ込んできます☆

 

 

 

 

さて、昨日は昨年購入した本を読みました。

 

というのも、とてもお高い薬品として登場したがん治療薬「オプジーボ」の効果についてのニュースを観たため、社会保障について改めて考えてみたいと思い読み返したのです。

 

社会保障関連の書籍はたくさん読んでいますが、中でも江崎禎英さんが書かれた『社会は変えられる』という書籍はとても分かりやすく、かつ、本質をついた展開をしています。

 

社会保障の現状を非常にシビア(冷静)に捉えつつ、それを悲観することなく前向きに転換しながらできることを探し、提案している一冊です。

 

社会保障関係者にはぜひとも一読いただきたい書籍です(この方の主張を私は全て賛成ではありませんが、たくさんの気づきとそこからの思考の発展をいただきました)。

 

購入後、時々読んでは元気をいただいているのですが、いくつか(といっても長いけど)引用させていただきます☆

 

※本文をそのまま引用するため長いです。

 

 

 

 

『現在の社会保障制度の状況は、太平洋戦争の末期に似ています。一説には、一つの予算費目が国家予算の3割を超えると、社会は破たんに向かうと言われています。歴史的には太平洋戦争が始まる段階における軍事費がそうでした。今、社会保障関連の予算は、国家予算の3割を超えています。しかも国の政策を実施するための予算である一般歳出における社会保障関連の事業に使われています。(P12 )』

 

『物事に行き詰まった時、一歩引いてより広い視座から全体像を俯瞰できるかどうかで、その後の展開は大きく変わります。傍目八目という言葉があるように、少し離れた所から全体像を見れば、豪華客船は推進力を失い危機的な状況にあることがわかります。しかし、船の中にいる人には、多少船足が遅くなっていることは感じられても、船全体がどうなっているのかはわかりません。(P15、16)』

 

『注意しなければならないのは、制度がうまく回らなくなったからといって、制度利用者に自粛を求めたり、制度そのものを否定するような極端な議論に走ってしまうことです。どのような制度もそれを整備する際には合理的な理由があったはずです。安易に「死生観」に逃げ込んだり、制度の抜本改革を叫ぶのではなく、守るべきものと変えるべきものを冷静に見極める必要があります。(P22)』

 

『誰しもが心の中では「このまま進めば大変なことになる」と気づいています。しかし「自分は今まで通り頑張っていれば誰かが何とかしてくれる」と思っていると、太平洋戦争と同じ轍を踏むことになります。あの時、軍人も政治家も「このままではいけない」とわかっていながら「そんなことはとても言えない」という社会の空気に流され、何もできないまま破たんを迎えたのです。(P101)

 

江崎禎英著 「社会は変えられる」より引用

 

 

 

 

社会保障ほど視点がバラバラでまとまりにくい議論はないと、私は思っています。

 

そして、時代の転換期の今だからこそ、今までの「あるべき論」に捉われず、個人の損得に縛られず、「どうすれば私たちは幸せに生活することができるのだろうか?」という全体最適の視点で考え行動することができるかが問われていると私は思っています。

 

だから、私は私にできることから取り組みます☆

 

皆さんは、どんなことを考えどんなことに取り組みますか?


2019-05-09 07:28:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は中小企業家同友会の江東支部例会がありました。

 

単純に経営のみでなく、理念や想いについても学ぶことはたくさんあり、今回も実りの多い会でした。

 

その後の懇親会は毎回盛り上がりますが、皆さん、午前様帰宅でも恐らく今日は元気に出社されていることでしょう。

 

他者に優しく、心身共に前向きでタフな方々が本当に多いです。

 

 

 

 

さて、今日は私が仕事をする上で日頃から意識していることについて書かせていただきます。

 

何かを取り決める際、様々な意見やそれに対する賛成と反対は必ずあると思います。

 

その時に何を意識して最終決断するかというと、私は『全体最適とスピード』を意識しています。

 

 

 

全体最適については具体的に書くと、『誰の意見かは意識しないようにして、各意見を並べて最適な案はどれか?』の視点で物事を考えるようにしています。

 

というのも、全員が満足することを目標にしてしまうと各人の意見調整に時間がかかり、時間ばかりがムダにかかってしまう恐れがあるからです。

 

そして、誰かの顔を立てるような意思決定をしてしまうと組織に派閥が生じやすくなるし、何より決定に私自身が責任を持てなくなると考えているからです(誰かのせいにしてしまいがちになるというか)。

 

とは言え人間は感情で動く生き物なので、日頃から現状把握・根回しや事前調整は必要だと思います。

 

が、最終的に『どうしよう?』を考える時は、私は皆の意見を聞いた上で全体最適と思える意思決定しています。

 

どのくらい早いかというと、職場の仲間から『加藤に議題を挙げると即決されてしまうから、事前に皆で充分意見交換しよう』と社内で言われるくらいです。

 

これはスピードに関することなのですが、思考力さえ鍛えておけば、会議で挙がるような議題って多分恐らく時間をかけてもけなくても結論は早く出せると考えています。

 

 

 

物事って熟考した方が良いことはたくさんありますが、考えることが好きな私は、結構日頃から色々なことを考えたり、思考を深めるために土台となるデータを取得していると自負しています。

 

点の情報をつなぎ抽象化して多角的に物事を考える練習をしていると、自然と答えって導くことが早くなるのですよね。

 

考える力の深さって、才能とというよりは好奇心の有無と訓練だと私は思っています。

 

日頃から、『今日はこのテーマについて〇分で結論を出そう』とゲーム感覚でやったり、何に対しても興味を持って『なんで私はこれを行う必要があるのだろう?』とか『もっと効果的に行うにはどうしたら良いか?』などを考えながら過ごしていると、思考力はかなり高まると思います。

 

また、正解探しに時間を費やすよりは、取りあえずやってみて考えるというトライ&エラーを繰り返すと、自然と失敗から様々なことを学び、正解探しがうまくなっているような気がしています。

 

そんなわけで、私に話を持ってきた時は大抵即決してしまいますが、それは考えていないわけではないです☆

 

皆さんはどのように考える力を育んでいますか?


2019-05-08 07:24:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、一日外出したり事務所で実績を行ったりしていました。

 

そして、夜はケアマネ倶楽部勉強会の資料つくりをしました(あ、今回のテーマは『入退院連携について』です)。

 

最近、ケアマネの腕が落ちたなぁ~と感じるのですが、とにかく資料つくりに時間がかかるようになりました。

 

法令等勉強する時間が少なくなると、こういうところにも実力の低下が顕れるのですね☆

 

 

 

 

さて、今日は地域の話です。

 

私は地域で尊敬している方がたくさんいますが、中でも地域で助け合い活動を行っているWさんを誰よりも尊敬しています。

 

この方は中学校卒業後に家庭の事情で就労、その後事業を興し軌道に乗ったところで学校に通い直し、55歳の時カンボジアにボランティアの一環で訪問した際に、現地の子ども達のキラキラした目を見て、「子ども達の明るい未来のために何かしたい」と思い、それ以降20年以上の間、子育て支援や町内会長などを行っている方です。

 

とても人当たりが良く温厚なのですが、芯の強さを持っていて、会うたびにたくさんの学びや気づきをいただいています。

 

そんなWさんが会長となって立ち上げたのが、「江東区助け合い活動連絡会」です。

 

 

 

 

この名前は以前からちょこちょこ出ていると思いますが、地域の住民が主体となって『地域に助け合いやつながりの輪を拡げよう』ということを目的とした会です。

 

この会の素晴らしいところは、行政(福祉部や地域振興部)・社会福祉協議会を巻き込みながら、地域の連携を図るため毎月会議や勉強会を行い、さらに必要に応じて警察や緑化・清掃の方々とも連携を図っているところです。

 

様々な活動をしている方々が、情報共有をしたり意見交換することで、多角的視点で地域の課題を発見することができます。

 

そして、何より素晴らしいことは、課題や発見を行動に結びつけるところです。

 

昨日は総会前打ち合わせがあったのですが、昨年度から取り組んでいる「社会貢献大學」や、地域住民が交流のきっかけになるためのスポーツ「グランドゴルフ」の説明がありました(社会貢献大學の話はいつか書きたいと思います)。

 

また、共生社会を見据えている為、障がい者活動に長年取り組んでいる方に世話人として今年度から入っていただくことができました(これで、高齢者・子育て・障がい者・まちづくり全てのメンバーが世話人に入ったことになります)。

 

一つひとつ良いと思うことを実践し、その中で地域に求められる形を探るスタンスを、私はとてもとても支持しています。

 

総会は5月14日(火)13:30からティアラこうとうで行います。

 

ご都合のつく方は、ぜひ、お越しください☆


2019-05-07 07:42:00

訪問をありがとうございます。

 

いよいよ今日から世の中は通常営業となりました。

 

皆さんはモチベーションを上げておられますか?

 

 

 

 

さて、昨日本を読んでいて、気づいたことがあります。

 

それは、タイトルにも書かせていただきましたが、『実は人の強さの差異って、覚悟のあるなしや強弱なのかもしれない』ということです。

 

というのも、とても尊敬する方の本を読んでいたのですけど、その中でやたらと『弱い人』『弱者にも』というように、いわゆる世間で弱いとされている人についての対応策について書いてあったのです(あ、私はこの方の主張に総論賛成です)。

 

その時に、『そもそも人の強さとか弱さってなんだ?』ということを、悶々と考え出してしまった私です。

 

そして、夜中にやっと『あ、もしかしたら人の強弱って、実は覚悟の強さなのかもしれない』ということに気づき、今こうして書かせていただいています。

 

 

 

 

そう考えると、非常に様々なことがしっくりきます。

 

どうしても成し遂げたいことがある人は、それを叶えるために覚悟を決めて取り組むから強くなれる。

 

特別成し遂げたい何かがない人は、それに伴う覚悟は必要ないので状況に流されやすいのかもしれない。

 

そんなことを考えて、非常にすっきりした気持ちで眠ることができました。

 

 

 

 

で、ですね、これは個人的な考えですが、私は人が全員『何かしらの覚悟を持つ必要はないのではないかな』と思っています。

 

もとい、覚悟があるから偉いとか、ないからダメだとか二項対立的な捉え方ではなく、色んな生き方があって良いと思うのです。

 

私は自分で成し遂げたいビジョンがあると言えば何だかカッコよく聞こえるかもしれませんが、実はただのエゴだし、逆に言えばそれがなければ怠惰な毎日を送っていると思います。

 

だからこそ、明確な覚悟がなくても毎日をきちんと動かしている方々を尊敬するというか。

 

むしろ、明確な覚悟がない方が、他者の意見を素直に聴く事ができ、対立も少なくなるのではないかなぁ~、とすら感じています。

 

 

 

 

と同時に、自分の生き方には責任を持つ意味でも、『自分が何が好きで、何ができて、何を不得手としているか』は知っておいた方が良いと思います。

 

というのも、昔から父に『自分を知り、人に与える影響も考えながら生きなさい』と言われて育ちました。

 

自分を知るって言葉で書くのは簡単ですが、実行するのは本当に大変で、私は未だに自分を理解しきれたとは思えません。

 

みたくない部分は見なかったことにしてうやむやにすることはたくさんあるし、『今日は特別♪』という言葉は大好きです。

 

が、漫然と毎日を過ごすのではなく、自分の言動を意識し傾向を知ることができれば、倫理観を持って(目指す自分と現在の自分の乖離を把握できるため)襟を正して生きることができるというのが、父の理屈です。

 

 

 

話が逸れましたが、とにもかくにも人の強さが覚悟だとすれば、何となく世の中で『弱者』と言われている方々の対応は必然的にわかる気がします。

 

そして、それは金銭的に支援するということではなく、もっと別のアプローチが必要だということも視えてきました(それにしても、この弱者という言葉は本当に嫌いです!!!)。

 

 

 

 

そんなこんなで朝を迎えましたが、長男にその話を朝一番にした時に言われた一言☆

 

『お母さんって、社会に影響を与えることには覚悟が決まっているけど、甘いものを我慢するという覚悟もそのくらいあったらいいのにね』

 

う・・・うるさい!!!

 

『私は高校卒業時に、生涯、減量(ダイエット)はしないと決めたんだぁ~』と言い返しましたが、ニヤニヤしている長男を想像して、悔しくなっている私です。

 

皆さんは、覚悟を持って取り組んだ経験、または覚悟を持って取り組んでいることはありますか?


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