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2019-05-19 12:09:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は一日中爆睡し、目が覚めたら今日でした。

 

今日はこれから地域でサイトを一緒につくっている仲間の行うイベントに行く予定です☆

 

 

 

 

さて、突然ですが、最近モヤモヤしている事があるのでそのことについて書かせていただきます。

 

モヤモヤしている事というのは、『今の時代は物質に恵まれ自由を謳歌できるという、ある意味とても幸せな時代だけど、根底に必要な“道徳心”とか“倫理観”を持っていないと、大変なことになるのではないか?』ということです。

 

というわけで、今日は経済の話から、そのあたりを書いてみたいと思います(私自身、考えながら書くため何分まとまっていない文章になると思いますが、ご容赦くださいませ)☆

 

 

 

 

今度一万円札の顔になる『渋沢栄一さん』と経済の父と呼ばれた『アダム・スミス』について共通点があるのですが、皆さん、なんだと思いますか?

 

渋沢栄一さんは、『論語と算盤』という超ベストセラーを書いた方ですが、この方の言いたいことは『倫理観と営利はバランスよくね』ということです。

 

そして一方のアダム・スミスは『資本論』という本の中で『見えざる手』という表現を使っており、この意味は『全ての人が道徳に基づいて自分の利益を追求すれば経済はうまいこと回る』ということを書かれています。

 

そう、どちらにも共通していること、それは『道徳心とか倫理観と営利はバランスよく進めていかないとね』ということです。

 

これは、いつの時代にもとても重要な事だと私は考えています。

 

そして、これは経済だけの話ではなく、私たち個人個人の気持ちの在り方についても大切な視点だと考えています。

 

『道徳心(倫理観)と自由はバランスよく持とうね』というか、道徳心を持ちながら毎日を過ごすことが、世の中のバランスを取る上でとても大切というか。

 

つまり、『自己主張とお互いさま精神の両方をバランスよく持つことは大切だよね』ということです。

 

 

 

 

振り返って、今の社会はどうでしょう。

 

戦後、現在の高齢者と呼ばれる方々を中心に、日本は高度経済成長を成し遂げ一気に豊かな国になりました。

 

その後、バブル崩壊(1992年)となったわけですが、その恩恵を食い潰しながら日本は安穏と毎日を過ごして来れました。

 

が、その食い潰しは限界に来ています。

 

そんな状況の中、私たちはどんな方向に進みたいと思っているのかを、今一度真剣に考える時期に来ているのではないかと思うわけで。

 

 

 

 

そんなわけで、最近また『論語』を読み返している私ですが、考えてみれば、そもそも『道徳心・倫理観』というものを今の日本人は持っているのか?という疑問にぶち当たりました。

 

私自身、後期高齢者の方々と接する機会が多いので、当たり前のように倫理観や道徳心というものをベースに毎日を過ごすことができていますが、戦後生まれた人たちは、もしかしたら道徳心とか倫理観というものを意識しなくても良い社会に慣れてしまっているのではないかということに気づきました。

 

だから、色んなところで諍いが起きているのかもしれない。

 

例えばそれは、満員電車にベビーカーを乗せることの是非であったり、育児参加に関する是非であったり、雇用に関する課題であったり、格差社会の拡大であったりetc

 

 

 

 

以前、中野信子氏が話していましたが、日本人はそもそも幸せホルモンと呼ばれる『セロトニン』が少ない方が多いのだそうです(セロトニンが少ないと、不安を感じやすくなり損害を回避する傾向が高まり、コミュニティの空気を敏感に察したり、他人に合わせようとするのが得意になります)。

 

それは国民性とも大きく関係しており、そもそもが真面目で誠実な反面、『真面目にやっているのに報われない』と感じやすい傾向があるのだそう。

 

誠実である一方で、不平等に敏感で、不満が嵩じて妬みの感情が生まれやすいのだそうです。

 

だからこそ、その不満を抑える『道徳心・倫理観』って大切だと思うのですが、さてはて、これをどうやって私たちは育めばよいのか?

 

そんなことをモンモンとイロイロ考え込んでしまっている私でした。