インフォメーション
訪問をありがとうございます。
昨夜は職能団体大規模研修のお手伝いをしてきた私です。
ケアマネジャーは多岐に渡って様々な知識を求められますが、ぐーたらな私は自分が全てを網羅しようと気はサラサラなく、各分野においてオタクレベルに詳しい人を確保することに力を入れている状態です。
自分の脳みその大きさと海馬を全く信用していない私ならではのぐーたらっぷりは、他のケアマネジャーさんに会うたびに反省しています。
それにしても、研修に参加される方々をみる度に、ケアマネジャーは真面目だなぁ~と感じます(必要な研修は多すぎると思う)。
そして、本日は自宅で夫と子ども達とマッタリする予定の私です☆
さて、今日はちょっとまともなことを書こうと思います。
十年位前にネットの情報を自前のノートに記載をしたため出典元は不明瞭ですが、相手に情報をうまく伝える方法です。
アクティブラーニングでは平均記憶率についてこんなデータが出ています。
講義を受ける・・・5%
(書籍等を)読む・・・10%
視聴覚教材を用いる・・・20%
実験機材を用いる・・・30%
グループ討論をする・・・50%
自ら体験する・・・75%
他の人に教える・・・90%
ここでのポイントは“他の人に教える”についてです。
私たちは日頃から様々なコミュニケーションを取っていますが、どれだけの方々が『相手に正しく伝えること』を意識して毎日を過ごしているでしょうか?
こんな質問をした時に、『あ、私は日頃から意識しているよ』という方は、恐らく少ないと思っています。
だからこそ、言語力を磨き、相手がわかる説明力をつけるって、とても希少価値があるのですね。
というわけで、私がメモに忠実に実行している訓練が、下記のとおりです。
1)興味を惹く:人が誰しも持つ欲と恐怖を刺激する(悪意のないものです)。
2)相手の持っている知識や認識にアクセスする(相手の知識(理解度)や認識(バイアス)を把握する)
3)目的を示す(明確になるほど手段(行動)は定着しやすく変化しやすい)
4)大枠を見せる(全体を見せた上で理解してもらいたい部分を明確化)
5)つなげる(A→Bの→の部分の説明。因果関係・帰納法・周辺知識等々)
6)具体化・事例・証拠を出す(相手の頭の中に具体的なイメージを持ってもらう)
7)転移(応用。得たものを他のことにも応用できるような説明ができたかの確認)
本当はもっと細かくて例文とかもあるのですが割愛させていただきます。
個人的には説明力の技術を上げるには、“相手を観察する力”が大きく関わると感じています。
そして、説明力が向上するかしないかは『学びと実践を日々の意識にどれだけ落とし込めるか?』であり、このことを意識することで、自分にとっても相手にとってもハッピーなコミュニケーションが築けるのではないかなぁ~と考えています。
お時間のある方は、書店に『上手に説明する方法』とかたくさんあるため立ち読みしてみてください☆
訪問をありがとうございます。
昨夜は知人と久々にじっくり話をしました。
みんな忙しいんだなぁ~と思いつつ、体調を崩さないように気をつけて頑張ってほしいと思いました。
さて、以前から地域づくりについて関わらせていただいていますが、私の行動をみて“何焦っているの?”と思われる方もいるかもしれません。
そのあたりを本日は書かせてください。
地域づくりというのは、いわゆる“地縁”であり、構築するのに長い年月を要します。
そして、人から人に伝わっていくものだと私は認識しています。
それでですね、その地縁についても70代より前の方で確立できている方々は少ないと、私は認識しています。
つまり、現在必要と言われている地域づくりの要は70代以上の方々が鍵を握っているというわけです。
そして、非常に辛い部分ではありますが、この方々はずっと元気でおられるわけではありません。
いつまでも元気でいていただきたいとは思いますが、10年先20年先を考えた時に、第一線で活躍し続けているのは難しいでしょう。
そう考えたら、地縁を知っている方々の元気なうちから地域づくりをある程度引き継いでいかないといけないというのが、私の考えです。
この年代の方々に土台を作っていただき、そこから仕組み化していくことが何よりも重要だと考えています。
風習は良い部分と改善が必要な部分とありますが、この孤立している現代でゼロから地域づくりを構築するのは無理。
地域づくりは(人間同士の感情が入るため)システマチックにはいかず、長い年月がかかる。
今の高齢者で元気な方は、本当に主体的で利他主義の精神があります。
これを当たり前に享受するだけでなく、そのノウハウの良いところは引き継ぐことができるよう、皆さんも一緒に地域づくりに参画しませんか?
訪問をありがとうございます。
昨日は、午後から当区の長寿応援課主催で、サービスBの事業者が集まり交流会を開催しました。
サービスB事業所はもちろん、包括・社協も来ており、40名くらいは参加がありました。
私は当区行政のこういう部分は素晴らしいと感じています。
他の団体さんの様々な想いや取り組みを聞くことができたのは、大変貴重な体験でした。
そして、それらを踏まえて、私自身が地域にどのように貢献できるかを改めて考えたいと思います。
さて、今日は先週末に当社職員と話をした際のやり取りを書かせていただきます。
この職員の視点はとても面白く、私は個人的に彼女と話をすることがとても好きで勉強になっています。
で、ですね、彼女からの問いかけは『本当にケアマネジャーって必要なのでしょうか?』というものです。
困りごとがある時に相談できる先があるというのは安心面の視点からいって確かに必要だとは感じている。
一方で、ケアマネジャーが様々な提案をしても、結局人は自分の生きたいようにしかしないのではないか。
また、必要な情報が欲しいことと連絡調整であれば、必ずしも人が行う必要はないのかもしれない。
むしろ、ケアマネジャーの個人的感情が入る分、公平中立の視点から外れてしまう側面も多々あるのではないだろうか(要はケアマネジャーの一方的な価値観を押し付ける支援が害になっていることはないのだろうか、ということです)。
私はこういう自分の業務に常に問題意識を持って支援している彼女を尊敬しています。
そして、現在のAIの進捗状況を報告させていただいた上で、いわゆる面談技術について話をさせていただきました(私の個人的な意見です)。
本当に国が求めているケアマネジャーは、個人を最大限尊重した上で支援についての根拠と効果を言語化できる人であること。
一方で今のケアマネジャーは思考力と言語力が足りずに感情に走り過ぎていること。
そして悩ましいことは、ルール重視で行き過ぎた結果、本来の求められている役割を全うできていないことに、ケアマネジャー自身が気づいておらず、『私たちはこんなに頑張っているのに』と被害妄想的に陥ってしまっていること。
その上で、ケアマネジャーが“対人援助者として面談・相談を技術を駆使して行い、その上でケアプランを根拠を持って言語化できるなら必要だと思うし、それができないなら不要だと思います”と返答をさせていただきました。
この話をした後、私はサービスBの場に戻ってしまったので、彼女が私の意見からどのように感じたのかはわかりません。
が、過渡期の今だからこそ、ケアマネジャー自身が原点回帰して“自分達の役割はなんだろう。それを遂行するためにはどうしたら良いのだろう”という視点を持つことは、とてもとても重要だと私は考えています。
そして、その視点を持つことができるならケアマネジメントは人が行うことに価値があり、私たちは専門職として生き残ることができるのだと考えています。
皆さんは、ケアマネジャーの存在意義をどのように捉えていますか?
訪問をありがとうございます。
昨日は家の中でとある歌手の歌を歌っていたら、長女と次女が『あー、それ知っている!!!』と言いながら一緒に歌っていました。
私が20歳の頃に流行った歌ですが最近小学校でも流れている様子で、“あぁ、時代は廻っているんだなぁ”なんて、中島みゆきさんに強く共感してしまった私です。
さて、私はケアマネジャーの現在の状況を観察するために、専門職サイトに2つ登録をしています。
その質に関して私がどうこう言う資格はないのですが、感じることは“物事の本質を理解せず表面のみに捉われて、感情で訴える人が多すぎるかもしれない”ということと、“自身が当事者であるにも関わらず評論家的意見や批判的意見が多いかもしれない”ということです。
実名制の無いサイトですから、これを観てケアマネジャーの総意と受け取っているわけではありません。
が、いつの時代にも感じるのは、“ケアマネジャーは受け身過ぎじゃね?”ということです。
もっと書いてしまうと、“自分達の役割は厚労省が握っている”と思い込んでいる人たちが多すぎ過ぎるというか。
そして、個別ケアマネジメントに拘り過ぎて大局で物事を観ることができていない気がします。
だから、コメントが否定的で非建設的だと感じているのは私の見方が意地悪なのでしょうか?
そして、未だにこの状況が当たり前に続いているって、専門職としてかなりヤバいよなぁ~と感じているのは私だけでしょうか?
介護保険が地方分権の制度だということは以前から書かせていただいていますが、地域再構築と一緒になって現在は大きく“まちづくり”が必要となってきているのは周知の事実だと思います。
ケアマネジャーはに必要な視点はその中で“自らがプレイヤーでいること”ではなく、“まちづくりに参画すること”なのです。
いつまでも厚労省の出している通達に一喜一憂するのではなく、社会保障の工程表と現状を照らし合わせて、制度が真っ当に機能するために“自分達がどう動くことが必要なのか?”の視点で考え行動していくことが求められていると思っています。
特に主任介護支援専門員にはそれが求められているということを忘れてはいけないと私は感じています。
そして、その視点を持って“なぜ国は主任介護支援専門員を管理者要件にしたのか”を理解し、その資格を取ることが求められていると私は考えています。
事業所を運営継続するために主任介護支援専門員の資格を取得するのではありません。
主任介護支援専門員を取得する能力のある人がいるから、事業所が継続できるのです。
目的と手段を逆に捉えると、本質を大きく見誤ります。
この部分をきちんと押さえておかないと、今後のケアマネジャーの未来は明るくはならないだろうなぁ~、と感じてしまった私でした。
皆さんは、主任介護支援専門員という存在について、どのように捉え考えていますか?
訪問をありがとうございます。
昨夜は美容室の帰りにお貸し専用店に行き、チョコレートの大人買いをしました。
と言っても我が家は3人子ども達がいるため、必然的に大人買いになってしまうのですが・・・。
どうでも良いのですが、スーパーの袋を持って電車に乗るというのは、なかなかもって恥ずかしいことなんだと知りました。
これは、交渉力向上を目的としており、子ども達に同じお菓子を渡し、その中で子ども達が自分の好きなお菓子をきょうだい間で交渉しながら手にするという、いかにもあざとい私が考え出した方法です☆
たまにこれをやるのですが、各人の個性が観察でき、生き上手か否かも良くわかるのでおもしろいです。
さて、今日は一昨日にサービスBで参加者の方が話されていた言葉を書かせていただきたいと思います。
地域密着で生活をしており、町内会・老人会・祭り等にも積極的に参画されている方。
80歳を超えていますがご自身で健康維持に努めており、毎週45分かけて歩いて来社いただいています。
『私にとって、地域活動をしているという意識はないんですよね。困っているから自分にできることは協力しているだけです。
先日ね、近所の人に呼ばれて行ってみたら、近くにある女学校の学生さんがしゃがみこんでいたんですよ。
だから私は自分の家に連れて行って2時間くらい休ませ、その後学校まで送り届けたんです。
翌日校長先生が来てくれ、お礼を言ってくれたのだけど、最近は困っている人がいてもすぐに助け合うことができないのは寂しい傾向かもしれないね。
地域を守るなんて高い意識はないけど、みんなが顔見知りになって助け合えたらそれだけで防犯効果になるし、その積み重ねが安心できる地域になるんだと思いますよ』
先ほども書かせていただきましたが、この方は80歳を超えています。
そして、私は様々な世代の方々と関わらせていただいていますが、地域の中で、多世代を抵抗なく行き来できるのはこの世代の方々までだと考えています。
もっと具体的に書くと、75歳以下の方々までというか(人によっては70代前半の方もおられます)。
それ以降の方々も助け合いマインドを持っておられる方はたくさんいますが、ある意味世代が限定されていたり、活動範囲がある程度限定されていたりしており、“地域全体”という視点を持っておられる方は少ないと感じています。
だからこそ、今頑張っている方々が元気なうちに大切なもの(マインドやノウハウなど)をきちんと学び、次の世代につなげていくことが、とてもとても大切だと私は考えています。
人は一人では生きていくことはできないということを頭では理解している方は多いですが、行動で示せる方はまだまだ少ないです。
この人口をどれだけ増やせるかが今後の日本の行く末を左右し、うまくいったときには世界に対して「超高齢社会を乗り切った国」として誇れると思っています。
なんて。
最近、オチの無い更新が続いてすみません☆