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2019-03-01 07:38:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、亀戸エリアの主任ケアマネジャーの会設立に向けた意見交換会に参加をさせていただきました。

 

皆さんの意見を伺いながら、どのような形にしていくことが良いのかを考えさせていただきました。

 

また、様々なケアマネジャーさんの意見から力量をはかっていたあざとい私です☆

 

 

 

 

さて、今日は以前も書かせていただいたことがありますが、『信用』と『信頼』の違いについて書かせていただきます。

 

たった漢字一字の違いですが、その意味はとても大きな違いがあります。

 

まず、2つの言葉の意味はこうです。

 

■信用:過去の実績に基づいた証拠によって信じること(過去にフォーカス。条件付きで行うこと)。

 

■信頼:未来に対して信じること。無条件で行い、自己責任が伴うもの(未来にフォーカス。保証はない)。

 

(「社会的ジレンマのしくみ」「安心社会から信頼社会へ」山岸俊男氏著より)

 

 

 

 

この2つを一緒にして、「信用=信頼」として捉えている人は、ある意味自己中心的な考えに陥りやすいと言われています。

 

なぜなら、信頼を築くためにはお互いの努力が必要不可欠だからです。

 

不確かな状況ではあるけれど相手のことを信頼し接することは、たしかに勇気という努力を要します。

 

そして、その努力ができる人は、相手との関係性に於いてそれ以上の恩恵を受けることができると、私は実感しています。

 

たまには失敗することもありますが、それは今の私の見る目がないだけの話で、この失敗を繰り返すことで、人を見る目は養われていくと考えています。

 

 

 

 

私は、今の日本の大きな課題である「失敗を許さない風土」の大きな原因の一つとして、この「相手を信頼することができない」もあると考えています。

 

過去から相手を評価するため、失敗したら信じてもらえないという不安が、さまざまな挑戦を鈍らせているというか。

 

そして、「失敗の数=それだけ行動をした証」というマインドに変われば、例え失敗したとしても相手の行動力を評価されるようになり、もっと主体的に過ごせるというか、生きやすくなるような気がしています。

 

また、過去の失敗を引きずることなく、その人の「今」から未来を信じられる関係性が築きやすくなると考えています。

 

 

 

 

安心社会は信用をベースにしており、時代の変革期にはちょっと違和感があると感じています。

 

だからこそ、個々の努力は必要ですが、周囲や地域を信頼し助け合える社会になれば、もっともっと日本は過ごしやすい国になるのではないかと思っています。

 

皆さんは、信頼できる人は周りにいますか?

 

その方とは、どのような関係性を築いていますか?


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