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2019-03-08 07:51:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は体調不良も大分緩和され、午前中は決済の打ち合わせを税理士と行い、午後は地域の企業向けに資料を作成したり、社会保障に関する記事を読みいろいろ考えたりして過ごし、夜は砂町ブロックの主任ケアマネ会設立の意見交換に参加をしました。

 

少しずつですが、ケアマネジャーも地域に目を向けてもらえるようになってきているのは、嬉しい限りです☆

 

同時に、認知症施策のためとはいえ、厚生労働省を始めとして『認知症』を必要以上に取り上げカテゴライズする部分は、どうにかしてほしいと真剣に思います。

 

 

 

さて、今日は『利己的利他主義』について、書かせていただきます(ここでは何度も書いているため、“またか”と思われた方がいたらごめんなさい)。

 

来年度、連休明けくらいから始めるインターネットによる「地域限定コミュニティサイト」について、最近では、どうやってその仕組みを広げることが良いのか、そればかり考えています。

 

どのくらい真剣に考えているかと言うと、3日に一度は電車を乗り過ごしたり、喫茶店で「お客様、閉店でございます」と声をかけられるくらいです。

 

思い起こせば、私は今から7年前からずっと、「情報社会では、活用できるプラットフォーム(土台)と仕組みを創った会社が利益を出す」と考えています。

 

私は、人が便利と引き換えに失ったものは思考力であると思っているため、生きていく上で欠かせない生活圏域の記事や選択肢を、可能な限りサイトに掲載し、個々がいくつになっても「自分らしく過ごせている」と実感できるものにこだわっています。

 

そして、地域づくりやコミュニティの書籍を100冊は軽く読み、自分のヒラメキを理論武装します(ここには重きを置いています)。

 

その結果、インターネットでのコミュニケーションポイントはざっくり2つと捉えています。

 

一つは「リアルとバーチャルの差異をどこまでなくせるか?」

 

そして、もう一つは「会員数だけでなくどれだけサイトを活性化できるか?」

 

 

 

 

そこで出てくるのが、「信頼をベースとした利己的利他主義」です。

 

言い換えると、「情けは人のためならず」というか。

 

少し先の自分の生活を楽にするため、身体の利くうちは地域の個人を信頼して、気の合う仲間を見つけて楽しく地域に貢献する。

 

それにより、自分が身体が利かなくなったら地域の信頼できる人に助けてもらう。

 

とにもかくにも運営は黒子に徹し、会員のコミュニケーション活性化に向けてのみ全力で考え抜きます。

 

このための戦略は、考えつく限りのモデルに対して伝え方のバリエーションを作っています。

 

資料は完璧には作らずに、敢えて突っ込みどころ満載にした方が会話が盛り上がるので、それらも踏まえて、できる限りの努力をしていきます☆


2019-03-07 08:04:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は、当区有志のケアマネで定期的に行っている勉強会“ケアマネ倶楽部”の会議がありました。

 

この会は当社のリーダーが主となり開催していますが、ベースはインプット30分、討論30分、アウトプット30分という時間配分で行っています(基本の時間配分だけは提案をさせていただきました)。

 

基本的にインプットとアウトプットのバランスは良い方が満足度は高いと感じている、私の偏見です。

 

私の役割は毎回“書記”ですが、昨夜は頭痛が酷くて会議を欠席しました。

 

ちなみに書記という役割は、ようやく能力が付く上に周囲からも重宝されるため、立候補してでも担うことをお勧めしています。

 

 

 

 

昔(学生時代)、尊敬していた先生に言われた言葉ですが、“まとまった話とはまとめた話である”。

 

うまいことを言うものです。

 

私はそのことを10代のうちに教えてもらったので、以来25年以上も話を要約するスキルを意識しています。

 

その上で書いてしまいますが、“何事も意識しないと上達しない”です。

 

そして、私にとって意識したのが“つまり一言で言うと”です。

 

 

 

 

誰かが話をしている時、“〇〇さんの話の内容は、一言で言うと△△ということかな?”など、考えながら話を聴きます(そして相槌がてらに確認する)。

 

また、自分が伝える時は“結論を一言でまとめて詳細を伝える”ようにしています。

 

これ、最初はうまくできないかもしれませんが、意識して訓練することで確実に上達します。

 

興味のある方は、ぜひお試しください。

 

こんなことばかりしているから、ダルダル病になるんですね(トホホ)。


2019-03-06 10:28:00

訪問をありがとうございます。

 

ここ最近(と言っても2日間だけですが)サイトの更新を休んでいましたが、“ダルダル病”という病にかかっております。

 

一昨年から昨年にかけては、私の中でもキャパシティを超える勢いの慌ただしさが続いていました。

 

社内体制(大変革をしました)、地域ケアマネへの活動、職能団体、地域活動(対住民と企業と両方)、その上で毎日2時間以上の勉強etc

 

それを今年から、“これからは長期戦になるから、休む時はしっかり休もう”と思い、最低一日は全く仕事をしない日を2月から作りました。

 

結果、“ダルダル病”です。

 

私はもともと集中すると何時間も休憩を取らずに机に向かってしまうのですが、いつも緊張状態にあるため、肩がガチガチに堅いのです。

 

睡眠時間も歯を喰いしばっているらしいので(夫談)、多分24時間緊張状態にあったのでしょう。

 

それを急に緩めると一気にダルさが襲ってきてしまうという、なんとも恐ろしい疾患です。

 

あぁ、私は自身の身体を労わるような過ごし方をしない方が良いんだなぁ~、と改めて思いました。

 

今月いっぱいは、腑抜けの月にして、来月から通常に戻すようにします。

 

また、どなたか元気な方は私に連絡をください。

 

パワーをいただきたいです☆

 

 

 

 

さて、今日は『理性と感情』について書かせていただきます。

 

よく会議等に参加する際は参加者を観察することが好きな私ですが、参加者には大きく分けて2つのタイプに分かれると感じています。

 

一つは“テーマに沿って討論ができる人”、もう一つは“感情で討論に参加する人”です。

 

どちらが良いのかは、その会議の内容によって変わるかもしれませんが、私は往々にして感情優位の会議はとても苦手です(脳の作りが完全に男性なもので…)。

 

 

 

 

そもそも会議って、何か課題や決めごとがある時などに行うものです。

 

つまり『会議を行うだけのテーマ』があるわけですが、会議によってはテーマが後回しで脱線しまくった挙句に十分な議論がされず結論も先延ばしになったり、時間配分が十分に行えず延長戦にもつれ込んだりする場合があります。

 

私、仕事中には(意図的な場合を除いて)、負の感情を表に出さないようにしているのですが、本質から外れた話し合いや、ストーリーチックな話(最後まで聞かないと結論が分からないのになかなか結論を話してくれない)をされると、かなりの確率で『イラっ』としてしまいます。

 

この部分だけは本当に短気が治っていないと反省然りですが、どうにもこうにもイラっとは治りません。

 

『会議って複数の人間が参加しているのだから発言は1分以内にまとめて話してよ』と思ってしまうのです。

 

面談などでは試行錯誤しながら話を進めることは良いのですが、会議の場だけは、“話ながら考える人”を私は『時間泥棒』と呼んでいます。

 

 

 

 

で、ですね、そんな状況がずっと続いていたのですが、最近よい方法を見つけました。

 

腹が立つのって嫌じゃないですか。

 

だから、会議の流れや空気が“ダメだこりゃ”となった時は、潔くその会議に参加することを辞めて、自分の仕事や資料つくりを頭の中でしています。

 

考えてみれば、全員が同じ目的で会議に参加しているわけではないですし、私の思うように会議の進行がされないからといって腹を立てるのは横暴ですものね。

 

そのことに気づいてからは、だいぶ、会議への参加がラクになりました。

 

そして、考える力と伝える力、この二つは、とてもとても大切なんだなぁ~、と、改めて感じた私でした☆

 

日々勉強ですね☆


2019-03-03 19:08:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は『全国介護者支援団体連合会』の“家族のためのアセスメント”について学んできました。

 

グループワークは残念ながら所用で参加できなかったのですが、家族向けのアセスメントシートがあるということと、それがどんなものであるかについて学ぶことができたのは、財産です。

 

知人の方と団体の皆様に感謝感謝です。

 

 

 

 

さて、今日は家族介護続きになりますが、介護保険創設時は、当時亀〇さんが“介護は本来家族が行うもの”という、なんともナンセンスな言葉により、制度全般が“家族ありき”になってしまいました(別に彼の一言で決まったわけではありませんが、この一言は大きかったです)。

 

で、ですね、当区でみても現在は世帯構成が1.9人になっており、なおかつ、現在の生活状況では共働きが当たり前になっています。

 

昨日の講義でも言われていましたが、介護離職者は10万人とか言われていますが、介護により仕事のペースを落とした方々はその数倍いると私は考えています。

 

これって、どう考えてもよいこととは思えません。

 

で、恐らく今夏以降に本格的に始まる議論の中で、介護保険制度の在り方自体が大きく変わると思うのですが、私は議論の1つに“家族ありきの介護保険制度の見直し”を行ってほしいなぁ~、と考えています。

 

家族がいてもなくても利用範囲は変わらない。

 

そういうルールにするだけで、たくさんの方々が正しく恩恵を受けることができると思うのです。

 

 

 

 

介護って、家族の負担が本当に大きいです。

 

身体的負荷はもちろんのこと、それ以上に精神的負荷が大きいのです。

 

同居で介護ができる方は“(私じゃなければ)もっと良い介護ができるのではないのか?”とか、“自分のことより介護を優先”してしまうのです。

 

同居していない方は“介護したくてもできない状況”に悩みます。

 

介護というものに対して、子どもが担うものという考え方自体は良いと思いますが、それによって過剰な負担をかけるのであれば、その考え方自体を見直す事は必要なのではないかなぁ~、と講義を受けながら思ってしまいました。

 

ちなみに、介護者家族はケアラーと呼ばれていますが、そのアセスメント項目は10項目。

 

家族ご自身で時間のある時に埋めていただき、ケアマネジャーに渡す等、そういう支援があっても良いのかもしれないと、漠然と思いました。

 

家族介護については、今後、考えていきたいと思います。


2019-03-02 07:40:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は中小企業家同友会のセミナーに参加をさせていただきました。

 

来年度の江東支部は、皆が勉強会を企画・運営することとなっており、そのために流れ等を勉強させていただいたのですが、様々な業態があり、経営者の方々はキラキラしているなぁ~、と思いました。

 

今日は、午前中はケアマネとして訪問をし、午後からは中野で自主勉強会に参加する予定です。

 

 

 

 

さて、私は自他ともに認めるオタクですが、社会学に関しては大層な時間とお金(書籍代)をかけて学びを深めることができたため、最近は『経済学』についても領土を広げています。

 

キッカケは、現在の『お金』という価値以外に別の価値を生み出すことはできないかという疑問からです。

 

6年位前に一度学んだときは、社会学の方がおもしろかったので学びを途中で辞めましたが、改めて学びなおしてみると、疑問がたくさん湧いてきて楽しくて仕方がないです。

 

大人になって学ぶ中で感じることは、『あー、もっと学生の頃に歴史や地理を真剣に学んでおけばよかった』です。

 

若い頃から好奇心は旺盛でしたが、自由人だった私は、学校の画一的に学ぶスタイルがどうも合わなくて全く勉強はしていなかったのです。

 

今さらながら、『出遅れている分、人の数倍勉強しないと』という気持ちが大きいです。

 

 

 

 

そんな感じで自分の好き勝手に色々なことを学んでいますが、最近見つけた動画がとても分かりやすく楽しみながら学ぶことができました。

 

※リンクを貼って良いのか分からないので、興味のある方は、『動画 欲望の資本主義』で検索してみてください。

 

これは、行き過ぎた現代の資本主義(新資本主義というらしいです)に対して、世界の様々な学者がいろんな角度から意見を話してくれています。

 

とても素晴らしい番組で、全編後編と50分ずつですが、色々と考えさせていただきました(ナレーションの話し方がゆっくり過ぎて、せっかちな私はイラっとしてしまいましたが、番組は素晴らしいです)。

 

 

 

 

最近、アメリカで若い世代を中心に社会主義を推進する人たちが出ているというニュースを観ましたが、資本主義・社会主義と二項対立で物事を捉えるのではなく、ミクロとマクロの視点で『どういう形で社会を構築することがベストか?』という全体最適と、そこから漏れてしまった方々の救済をどこまでどのように行うのかを考えた方が良いような気がします。

 

そして、おカネというもの以外の新たな価値を生み出すためにはどうしたら良いかを、真剣に考えてしまいました。

 

※個人的にはおカネが好きな人はお金に執着すればよいし、そうでない人は人間関係を構築しておきお坊さんのようにお布施で過ごしてもいいと思うのですけどね☆


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