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2019-06-25 12:15:00

訪問をありがとうございます。

 

本日は2度目の更新のため、前置きはなしで本題に入ります。

 

☆今回はオタクネタで長文です☆

 

 

 

 

昨日、日中時間を取って『社会的インパクト評価ツール』についての資料数百ページを読みました。

 

これは、私自身が以前から感じていた課題なのですが、地域の取り組みをする際に、事業を全力で行うことはもちろん大切ですが、それと同じくらい、自分たちの活動を『客観的に評価する仕組み』が大切だと感じています。

 

どんな活動を行うことで、どんな人にどんな影響を及ぼすことができたのか?

 

このように、活動に取り組むだけでなく、活動に対してきちんと客観的評価を行い、より必要な取り組みになるよう改善していきたいというのが個人的な願いでした。

 

・・・で、昨年は公衆衛生学を学んでいる仲間に、ちょこちょこレクチャーや評価指標を掲示してもらったのですが、『やっぱり私自身がきちんとこの仕組みを理解しなければだめだ』と思い、昨日一日かけて資料を読み込んだわけです。

 

 

 

 

結論ですが、おもしろすぎる!!!そして、美しい!!!

 

オタクな私は、感情だけで突き進むことは苦手ですが、ロジックモデルにされると、どうしようもなく惹かれてしまいます。

 

『論理的説明』がものすごくスムーズに頭に入るからです(本当に男性脳だと思います…)。

 

で、そのロジックモデルをちゃんと読み込み、そのうえで評価項目の指標や測定方法やそのデータの活用まで理解することができました。

 

あとは、何度も読んで理解を深め、具体的な自分たちの活動内容に沿って、どんなデータをどのようにして測定していくか、学びながら詰めていきたいと思います。

 

時間はまだあるので、わからない部分は資料の出典先(三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社)や作成チームの方々に問い合わせを行いながら、進めていこうと思っています。

 

いやぁ、それにしても昨日は本当に興奮しました♪楽しかった~♪

 

 

 

 

そして、実はもう1つ、とても興味のあることが私にはあります。

 

それは、中国などでも取り組んでいる『信用スコア』についてです。

 

といっても私がイメージしているのは、いわゆる金銭に紐づけられた監視機能的な信用スコアではありません(中国みたいな信用スコアではない)。

 

個人や企業の善行に対しての加点式信用スコアを、どうしたら創れるのか?という部分です。

 

社会の変革期である中で、企業との関わり・デジタル化が進む中で、これらを活用して信用のベースにして、私たちは上手に信頼というものを構築していけばよいのか?ということに、とても強い興味があるのです。

 

このように私が信用スコアに執着している原点には、さまざまな活動や、職能団体・地域活動を通じて私の中にあったモヤモヤの部分があります。

 

『現行社会の仕組みは、誰かの善意で成り立っているけど、その誰かはきちんと評価されいない気がする』というイメージが、ずっとありました。

 

正直者が馬鹿を見るというか、誰かの犠牲の上に成り立つものが、世の中には多いなぁ~と感じるというか。

 

いや、(私の知る限り)実践している方々は見返りなんか求めていませんよ。

 

ただ、語弊があるかもしれませんが、今の社会って、途中まで静観して最後のうまくいきそうな時に乗っかる人が得をする構造になっている感があるじゃないですか。

 

それを『要領が良い』といってしまえば、それまでなのですが、本当に真摯に社会活動に取り組んでいる方々を見る私としては、時々どうしようもないジレンマを感じることがあります。

 

これ、どうにかならないものかと思っていたのですが、タイトルに書いた『アフターデジタル』という考え方が、そのあたりを上手に解決してくれるのではないかと期待できそうなのです。

 

 

 

 

この『アフターデジタル』の良いところは、フェアというものを、機会の均等と結果の均等と分けて考えていることにあります。

 

そして、『頑張った人が報われる』考え方です。

 

例えば、職能団体で考えると、理事や委員会委員は交通費程度で様々な活動に貢献しています。

 

そりゃあもう、多大な労力と時間を提供して、月に何度も会議や活動に参加したり、メールなんて半端ない数のやり取りをします。

 

で、ケアマネジャー全体の地位が上がったとします。

 

そうすると、その恩恵はケアマネジャー全員が享受できますが、頑張って地位向上に貢献した人もそうでない人も等しく恩恵を受けるって、何だかもやっとしませんか?

 

しかも、貢献者の大半は『私がこれやったのよ!』『この部分は私が貢献したのよ』なんて、変な自己アピールをしません。

 

個人の損得なんて考えずに当たり前のように活動しているため、第三者に自分をアピールするという発想すらないと思います。(一部、自身の活動を過剰にアピールする方もおられますが、それは置いといて…)。

 

アフターデジタルの世界は、そういう各人の『見えない善い行動』も評価するため、努力する人が報われる仕組みなのです。

 

 

 

 

というわけで、今日明日あたりで『アフターデジタル』の書籍を読むのですが、ワクワクしています。

 

そして、これをちゃんと理解した上で、サイト特有の『加点式信用スコア』で、頑張った人や企業がちゃんと評価される仕組みを創りたいと思います。

 

あーーー、時間が本当に足りませんが、これが実現すれば、良い意味でお互いさま精神の発展に貢献できると思うので、この辺りは全力で取り組んでいきたいと思います。


2019-06-25 07:26:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は1日WAM関係の書類や(未だに続いている…)、サイトの原稿見直しをしていました。

 

考えてみたら、昨日までは余裕がありましたが、今日からは当区主任ケアマネ協議会設立に向けての最終準備や、職能団体の総会準備に追われることに、今更ながら気づいてはアワアワしています。

 

そう、もう一週間を切ってしまったのですね。

 

職能団体総会は5分程度で評価システムの説明を行うことと質疑応答の準備(と言っても何をしたら良いのか考えていませんが)、そして当日はタイムキーパーを行うため、この説明のみ乗り越えることができたら良いと考えています。

 

悩ましいのは当区主任ケアマネジャー協議会の準備です。

 

今夜の話し合いで大方固まる予定ですが、7月1日本番に向けて最終スパートがかかりました。

 

できることを楽しみながら取り組みます☆

 

 

 

 

さて、突然ですが皆さんは『noto』をご存じでしょうか?

 

私は2016年か2015年くらいに知ったのですが、その時はいわゆる『観てるだけ~』のユーザーでした。

 

で、今年に入ってから、4回ほど更新したのですが、今後はこちらでも思考の整理をしていこうと目論んでいます☆

 

このnoteは、短文や写真はもちろんあげることができますが、しっかりとした文章を“テキスト”であげている方が多く、私はいつもたくさんのことを学んでいます。

 

専門家や作家さんの書く書籍も良いのですが、普通の人が日常で感じたことを分析したり、好きなことに関する情報をあげてくれるのってとてもありがたいです。

 

で、今までは観る専門でしたが、これからは少しずつ地域作りや社会保障に特化して、書き込みをしてみようと思った次第です。

 

 

 

 

いやね、巷ではFacebookやTwitterやInstagramやTikTokというもの達があることは知っています。

 

でもね、最近の傾向として感じるのは、皆さん、 

 

活 字 離 れ が 進 ん で い ま す よ ね ~

 

ということです。

 

私自身、Facebookはたまにやるのですが、写真+一言やTwitter並みの短文が流行っている中、

 

写 真 無 し の 全 文 文 字 だ け 

 

という、『いつの時代の書き方ですか?』と馬鹿にされそうなほどの文字圧で書き込んでいます。

 

もう、このスタイルを崩さないところに『他人さまのイイネを気にしていません宣言』をしているようなものですが、それで良いと思っています(様々な使い方があって良いのだ!)。

 

大切な人にメッセージが伝われば良いのです☆

 

皆さんはどんなSNSを活用していますか?


2019-06-24 07:23:00

訪問をありがとうございます。

 

土日に重ーい話をしてしまったので、今日は軽い話を☆

 

 

 

 

昨年度から、『地域活動の評価をどうしようか?』ということをずっと考えています。

 

で、一つの指標として、『既存のものを活用させていただく』という結論に至りました。

 

いや、私自身がデータの取り方等に対してずズブの素人なせいですが、どんなに良い取り組みを行っても、ちゃんと結果を可視化できなければ、社会に対してインパクトを与えることができないというのが私の持論でして。

 

だから、『頑張ってます!』的な頑張りアピールは私の最も苦手とするところで、『何のためにどういう取り組みをして、その結果社会にどういうインパクトを与えたか?』を、きちんと可視化することが大切だと感じています。

 

…って、この話は数年前にも書いた気がするのですが、今回は具体的評価システムを入手することができたので、これから数百ページに及ぶ資料読み込みを始めたいと思います☆


2019-06-23 14:52:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜の続きを今更新しようと思ったのですが、その後また寝てしまった私は、昨夜の話は『すっかり忘れて』しまったわけで、再度自分の文章を読み返しました(普段は一切自分の文章は読み返さないです)。

 

で、『あ、そうそう、そうだった』と思い出しての今、続きを書かせていただきます。

 

 

 

 

昨日も書かせていただいたように、終身雇用課題とか年金とか女性の社会進出とか、医療保険・介護保険とか、社会全体の歪み(少子化や虐待引きこもり等)を考えたとき、一番に考えることは『これからの日本のコミュニティのあり方』だと、私は感じています。

 

つまり、なにが言いたいかというと、『人は自分の居場所を確保して初めて自分の力を存分に発揮することができる』ということで、その『コミュニティの構築』が鍵になると考えているのです。

 

ここは、とても大きなポイントになると思っています。

 

 

 

 

日本という国を改めて考えた時、少子高齢化の人口オーナスにあるこの国は、今まで通りの手法を取っていても、ビジネスで世界と戦うことは困難です。

 

であれば、そこに固執してどうこう考えるよりも、まずできることとしては、『そもそも私たちはGDPで一位を狙わなくちゃいけないのか?』ということだと思うのです。

 

以前から書いていますが、人間の働く意義って『幸せになるための手段』であると私は考えています。

 

皆が『産業で日本は一位を目指す!』という共通目標を掲げていた時はそれでも良いと思うのですが、そうでなくなった今、私たちは、新たな幸せになる方法を考え直しても良いんじゃないかな、というのが私の持論です。

 

その答えの一つが、フィジーであるのですが、これは『地縁の復活』であり『脱拝金主義』です。

 

 

 

 

とはいえ、社会のあり方を『二項対立』で捉えているわけではありません。

 

若い世代は頑張って就労に専念できる環境を確保し、生産労働年齢を過ぎた方々が地域という縁でつながり、安心して生活できる環境を確保するというものです。

 

そして、この2つの溝を作らないための存在が『子ども』という仕組みです。

 

働き世代が安心して就労に専念できるよう、地域の治安や子育ては高齢者が支える。

 

ここで、地域の高齢者と子どもがつながることができます。

 

そして、週末等に子どもを通じて、働き世代と地域の高齢者が交流できる仕組みを創れれば、『安心して過ごすことのできる環境』は創れると思うのです。

 

個々に『自分のライフスタイルを考えなさい』というのではなく、地域でライフスタイルをデザインする。

 

その中で、各々が自分に会ったスタイルを選択できる仕組みを創ることが、今できる一番の策であり、これは脱行政依存にもつながると思っています。

 

 

 

 

人が集えば何かが生まれる。

 

人と人が知り合えば、関わりから自分事が増える。

 

それが損得勘定を超えた『お互いさま』を生むのだと私は考えています。

 

そして、その集いの場は、『助け合いができる生活圏域』で起こすことが重要。

 

結局、人間は安定した場所が必要で、それは今の社会では、地域でしか得ることができないというのが私の持論です。

 

多分ですが、ちょっと目線を変えてみるだけで、今なら日本はいくらでも立て直すことはできると思ってます。

 

そして、幸せってものは、以外に自分の身近な場所にあるので、過剰な競争社会だけでなく生活圏域にも目を向け、そのことに気づいてほしいなぁ~、と願っている私でした☆


2019-06-22 23:54:00

訪問をありがとうございます。

 

一昨日遅くに帰宅後、爆睡していた私は、日中もベッドと仲良く過ごし、今更ながら覚醒したという状況です。

 

いやぁ、このサイクル(平日睡眠少なく週末寝っぱなし)をどうにかしないとなぁ…。

 

☆登録を押したつもりで下書きボックスに入れてしまっていたため、ここでのアップが日曜日になってしまいました。すみません。

 

 

 

 

さて、今日は、最近社会で問題となっている年金問題や雇用関係について書いてみたいと思います。

 

結論から書いてしまうと、私はこれらは『日本人のコミュニティの解体の末』の、いわば起こるべきして起こった結果だと認識しています。

 

一部、偏った考えもあると思いますので、もし突っ込める方は連絡をくださいませ☆

 

 

 

 

もともと日本人には特別な思想というものはなかったと言われています。

 

そして、人は一人では生きていくことができないため、『地縁』を活用して、人々はつながりを持ち、その中で相互扶助(助け合い)をしながら生活をしていたと言われています。(日本は元々特別な思想はなかったが、地縁というものがあったから、地縁を使って協力社会を築いていた。今までの歴史も地縁を活用した制度で民から色々なものを吸い上げていた)。

 

例えば、アメリカであれば宗教伴うチャリティーが盛んだったり、中国や韓国であれば血縁(&地縁)をベースとした助け合いがあったり、ヨーロッパであれば階級確立で『上のものが下を助ける』というものがあったり、イギリスでは一部の富豪が自分の財産を投げ打って社会を救う…というような『社会が回る仕組み』というものがあります。

 

が、日本は地縁を主として生活を成り立たせていたのですが、これが崩れたのが第二次世界大戦です。

 

 

 

 

第二次世界大戦で、外国から日本が恐れられたものは『日本人は指針を持つとそのために自分の命を犠牲にすることも厭わない精神を持っている』ということです。

 

これは、神風特攻隊に対して持たれたものですが、この恐怖心から、GHQがまず日本に対して行ったことというのが『徹底した指針(天皇)とコミュニティの解体』です(詳細は割愛します)。

 

でも、人間って一人で生きていくことはできませんよね。

 

その解体されたコミュニティの受け皿として活躍していたのが『社会保障』と『企業』です。

 

戦後、自分たちの方向性を失った国民に『国を立て直そう!』という概念を掲げ、そのための手段として産業活性化を掲げました。

 

企業は『終身雇用制度』を掲げて、『私たちに尽くすとコミットしてくれたら、私たちはあなた達を見捨てることなく面倒をみますよ』というものでした。

 

『頑張って会社に尽くしてくれた人は出世できる』という、コミュニティの担保と同時に、コミュニティで過剰な団結力を作らないために競争原理を用いて、企業は社員のモチベーションと忠誠心を育ててきました。

 

企業を定年退職した後は、社会保障という皆保険制度で、年金・医療等の恩恵を受けることができる。

 

企業というコミュニティに入れない人は社会保障という支援を受けることで生活が成り立たせる。

 

これは、戦後、自分たちの行き場を失った国民にとって、必要な施策だったと思います。

 

色々と批判する方も多いけれど、私はあの時代は必要な措置だったと感じていますし、終身雇用があったからこそ、リゲインを飲みながらでも、働き世代ががむしゃらに頑張れたと感じています。

 

そして、一部、この歪みが生じたのが1980年代の様々な無差別殺人事件だったのですが、その時に日本は『世の中怖い人が出てきたね』という感想で、根本解決を図ってきませんでした(反省するとしたらこの時に何の対策も取らずに、社会現象としてやり過ごしてしまったことだったと私は感じています)。

 

 

 

 

で、社会全体が狂ってきたのは1992年のバブル崩壊からです。

 

本当はこの時期に新たな社会の形というものを考える必要があったのですが、日本人特有の『みたくないものはみません』がたたって、見直しを行うことをしませんでした。

 

1997年には、まさかの山一証券や都市銀行の倒産、金融機関の合併などを通じて、人々の心理に『あれ?会社はずっと続くものじゃないの?』という疑問が生じます。

 

そして、2000年前後から普及しだしたインターネットにより、人々の世界観が一気に広がっていきます。

 

その時に、『あれあれ?自分たちが信じていた(自分たちを守ってくれていると思っていた)コミュニティは、実は自分たちを良いように使っていただけなのか?』という疑念が生まれます。

 

ここで、人々の間に不安が生まれてきた。

 

が、どうして良いのかわからず、取りあえず企業には勤めるけど、今までのような全力忠誠心で取り組むことはできず、それが企業の経営低迷に拍車をかけていきます(ちなみにこの時の国民の不安の矛先は、過剰なリスクマネジメントに走ったと私は感じています)。

 

また、大手企業のトップは自身が身を粉にして立ち上げた会社ではないため、基本は事なかれ主義で、会社の改善に力を注ぐというマインドよりは、『自分がいる間はとにかくこの体制を維持すること』に終始してしまいます。

 

こうなると、社会全体が企業という居場所を失い、『どんな状況になっても自分は生き残れる力をつけよう』という孤立化が進むのです。

 

振り返っていただくとわかると思いますが、今は政治屋も官僚も行政も国民も大半が自分の利益を最優先して、社会課題に対してはたいそうな正論をぶちかましますが、その解決は他力本願です。

 

また、この『企業というコミュニティ』が解体したことによって、社会保険も事実上解体しています(1992年から事実上解体傾向に進んでいます)。

 

なぜなら、社会保険というものは『共助』だからです。

 

余談ですが、生まれた時から不景気世代で育ってきた子ども達が成人し、彼らはそもそも社会や会社というものを当てにしていないから、彼らは自分たちの信じるコミュニティでの活躍をしようという考えに変わっています。

 

彼らの大半は競争社会そのものに疑問を持っているから、誰かと争うことで自分たちの利益を得ようとは思っておらず、自分たちの見たい景色の中で自分達が満足できる生活を送れたら良い、という考えです。

 

また、生まれた時からSNSのある環境にある彼らは、自分の生活圏域のみでなく、好きなときに好きな人とつながれる仕組みをうまく使いながら、自分の居場所つくりをしています。

 

この考え方が良いか悪いかはともかくとして、ここで学びたいのは、彼らは昔の『コミュニティ(自身の損得だけではなく、自分事として周囲と関われる関係性)』を構築でしていることです。

 

が、この話を書き出すと、どんどん話がずれていくので、これは割愛します。

 

 

 

 

そんなわけで、ここでの課題は『不況という波に襲われながらもみんなが自分のみたくない景色はみないでいた結果、日本は企業に忠誠心を持っていた人が減り、より企業の力は低下し不況改善の機会を失ってしまった』ということです。

 

結果、企業はその存続すら厳しくなり、『終身雇用』を諦めることとなった。

 

それに伴い、社会保険自体が崩れた。

 

また、政府が期待していた2000年前後に起こるはずだった『第三次ベビーブーム』も起こらなかった(就職氷河期の子ども達が、自分の身もままならないのに子どもを産めるわけがないことは、当たり前のことですが、ここでも対策を怠ったわけです)。

 

これかのことから、社会の流れを改めて振り返り、何をどうすれば良いのかを考えることが、今、一番私たちは必要なことなのではないでしょうか?

 

…、ということを夫にべらべら話しながらこれを書いていたら、夫に言われた一言が、

 

『うんうん、言いたいことはわかるけどさ。そんな視点の高いことを書いたところで、個人レベルには落として考えることは無理だと思うよ』という一言でした。

 

まぁ…そうなんですけどね、そうなんだけど、私はこれが日本が復活する最後のチャンスだと思っているのです。

 

だからこうして地味にでも声を上げているのですが、これからどうしたら良いかの提案については、明日以降書かせていただきます☆