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2019-01-11 07:34:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は職能団体理事会がありました。

 

と同時に、来年度に向けて、今年度の事業報告・事業計画・予算書を提出させていただきました。

 

理事の任期は今年6月までですが、抜けだらけの私を指導してくださる副理事長には感謝感謝です。

 

はい、6月まで気を抜かずに精いっぱい努めます☆

 

 

 

 

さて、そんなこんなでひと段落・・・と言いたいのですが、昨夜から今朝にかけてはWAM助成金の申請書作成に追われていました。

 

というのも、昨年とフォーマットが激変しており下準備が殆ど無駄になったため、フォーマットの出た4日から今日までその作成に追われていました。

 

午前中はサービスBを行いますが、午後から助成金説明会と相談会に参加してきます。

 

 

 

 

来年度はサイト制作についての取り組みを申請するため、要求額も前回の1.5倍です。

 

受かればラッキー程度で臨もうと思いつつ、「あ、これ落ちたらポケットマネーか」と思うと、なんとしても通る書類を作らなければと焦っております。

 

というわけで、毎日毎日何かに追われているという話ですが、時代の変革期にソーシャルビジネスに取り組めるということは、ある意味幸せだと感じています。

 

どうせ取り組むなら楽しく♪

 

悔いのないように、キッチリ説明を受けダメ出しをたくさんもらいながら作成していきたいと思います☆


2019-01-10 07:34:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、午後から健康マージャンと会議がありました。

 

ケアマネジャー以外の仕事をすることが日常で当たり前になると同時に、今月から入職してくれた職員に担当を徐々に引継ぎしながら、寂しさと安心感と両方持っている私です。

 

 

 

 

さて、今日はタイトルを見て『???』と思った方もおられるかもしれません。

 

これは、私自身がケアマネジメントの時に気をつけていることなのですが、「誰かに何かを聞かれた際は、答えのみでなくなぜそうした方が良いのかの理由を掲示する大切さ」について書かせていただきます。

 

なぜこうした結論に至ったのかの背景の説明も同様です。

 

これはどの職業でも言えることと思いますが、「経験が長くなるほど分からないことが分からなくなる」ことってあると思います。

 

ベテランほど新人マニュアルを作るのが苦手とか。

 

これって“自分の中で当たり前化したこと”によって、意識が無意識になっていくのですよね。

 

そして、ケアマネジャーの多くが、時間ややることに追われています。

 

一方のご本人・ご家族は、介護保険利用始めでも長年利用していても「分からないこと」ってたくさんあるのですね。

 

このことを意識して、相手の反応を確認しながら丁寧に面接を進めていかないと、ご本人・ご家族はいつまで経っても介護保険を理解することはできず、その人らしい支援を行うことは難しいと感じています。

 

いちばんよく聞く言葉が「一生懸命説明してくれるけどよく分からない」というものです。

 

分からないから結果「ケアマネさんにお願いしちゃう」となり、「自分の人生を設計することを放棄」してしまうというか。

 

それだけは避けいたいと、常日頃から思いながら面談をしています。

 

 

 

 

で、その“丁寧に”のやり方が、「手段だけでなくどうしてかの理由や説明」も具体的に伝えていくことを、私は意識しています。

 

何かがあった時にその解決方法を提示し選択していただくことがベースとなりますが、その際に伝え方を一段抽象化して伝えるというか、「解決の手段」を伝えるよりは「なぜその方法が良いと思ったのかの理由」を伝えたり、「その方法を思いつくまでの理由」を説明します。

 

そうすると、大抵の方は少しずつですが介護保険の制度ルールを理解していってくださいます。

 

小さなことですが、「なぜこの頻度でこの事業所のサービスを提案したのか?」とか、「なぜこの支援を受ける際にこういうルールがあるのか」など、意識して伝えていくだけで、介護保険の制度を理解していただき、主体的に生活するために上手に活用していただく。

 

これ、とてもとても大切だと感じています。

 

 

 

 

逆にNGワードは「ルールだから」です。

 

この言葉ほど、理不尽な言葉はないと個人的には思っています。

 

どういう経緯でそのルールができたのかを説明することができたら、相手も納得して上手に介護保険の利用を行えるのではないかと思うのですよね。

 

昔、何かで読んだのですが「お腹が空いている人がいたら、魚を与えるより釣りの方法を教えることが大切」という言葉に似ているかもしれません。

 

手段の提案だけではなく、その方法も伝えていく。

 

なんて、介護保険は複雑怪奇だからこそ説明を端折りたくなってしまいますが、「自分で決める」を尊重するために、少しずつ制度についての説明を行っている私です。

 

どうせなら、納得して制度を活用してほしいですし、後悔の無い毎日を過ごしてほしいですものね☆


2019-01-09 07:34:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は中小企業家同友会の会議に参加させていただきました。

 

3時間の会議でしたが、決める部分、ペンディングする部分、別のツールで意見交換する部分と落とし所を作りながら決める技は、さすがと感じました。

 

 

 

 

さて、改めてになりますが、毎日好きなことばかり書いている記事を毎日読んでくださっている方々がおられることを、心からありがたいと思います。

 

そして、今日も好き勝手なことを書かせていただきますので、興味のある方はついてきてくださったらありがたいです☆

 

・・・というわけで、今日はタイトルのとおり、『なんで地域でコミュニティ?』について書かせていただきます。

 

昨日は、コミュニティのあり方変化について書かせていただきました。

 

で、『ムラ社会=安心だけど息苦しい』『戦後の社会=国が安全守り居場所は会社(組織)』『今=戦後社会の崩壊』と書かせていただきましたが、次はどんなコミュニティが求められているのでしょうか?

 

結論から書くと、私は『一回戻って地域に帰結。だけど昔より自由な形』が良いと考えています。

 

 

 

 

理由を書く前に共通認識の確認ですが、今の時代は超高齢社会です。

 

高齢化率27%超えという驚異の数字を前にすると、改めてすごいなぁ~と思います。

 

そして、高齢になるということは、『徐々に身体が利かなくなってきて思う場所に行くことや、やりたいことに制限がかかる』のです。

 

身体的な衰え(老化)によって、若い頃とは行動範囲も行動力も変わってきているのは、私も含めて皆さんが実感している部分ではないでしょうか?

 

で、ですね。

 

これがどんどん進んで『いよいよ自分で自分の身の回りのことをするのが大変になってきたぞ』という時に、誰に助けてもらうか?

 

ここが大きなポイントだと私は考えています(ちなみに介護保険や制度はアテにできない時代になっていきます)。

 

 

 

 

このように、最終的に地域で生活することを考えると、重要なのは『元気なうちから地域で居場所を持つこと』だと私は思うのです。

 

それは、昔あった『ムラ社会』という閉鎖的なシステムではなく、地域にある様々なコミュニティを知り、自分に合った場所を探しておくことが重要です。

 

その中で活躍しておくことで、地域の情報を自然と知ることができますし、様々な地域での生き方を知ることで、自分の将来を考え選ぶことができるからです。

 

シンプルに書くと『将来を考えてのギブ&テイクのギブをしておく』という考え方です。

 

別の言い方では『信頼貯金を貯めておく』というか。

 

動けなくなるまで外にいて、動けなくなった時に地域に助けを求めても、当人の性格や人柄を知らない地域は充分なサポートを行うことは困難です(そもそも知らない人への優先順位は低くなるだろうし)。

 

だったら、元気なころから自分が複数持っているコミュニティのいくつかを地域に持っておき、必要となった時に『私』を理解してくれる人・『私』を支えてくれる人は増やしておいた方が良いと思います。

 

ちなみに、この転換期は会社や組織等、何らかのコミュティが切れる前のタイミングが良いと感じています。

 

 

 

 

これだけ単独世帯・高齢者が増えると、介護保険で使える範囲は変わってきます。

 

現段階で一番大きな変化になりそうなのは、『そもそも家事分野は専門職が担う必要はないから外そうよ』という考え方です。

 

でも、高齢者と20年以上関わってきた私は思いますが、『老いた時に真っ先に困るのは家事部分』なのです。

 

身の回りのことはなんとかできるけど、買い物に行ったり掃除をしたりという大きい動作が大変。

 

ここの部分が介護保険から外されると(自費扱いになると)、1時間2,000円以上はかかります。

 

ネット販売を使いこなせている方で、かつ、ご自宅にル〇バを飼っている方は良いかもしれません(今のご時世、ルンバはペット感覚だそうです)。

 

が、ネットを使いこなせていない方にとっては、これは大きな打撃だと思うのです。

 

買い物と掃除を週2回1時間ずつ頼むと、週に8,000円以上かかります。

 

月にすると9回ずつで36,000円かかります。

 

限られた年金で、しかも税金が上がって手取りが減っている中で、月に掃除と買い物だけで36,000円払えますか?という話です。

 

そして、老いた時・自分が思うように身体が動かなくなった時に、一人でひっそりを生活することは幸せなのでしょうか?

 

そうなった時に困らないように、地域に居場所を持ち助け合いをすることはとてもとても大切だと思うのです。

 

 

 

 

昔とは違い、強制ではなく自分に合った場所を地域に持つ。

 

そして、その中で活躍することで、将来の自分に対しての『信頼貯金』を作っておく。

 

これからの社会がどうなるかわかりませんが、少なくとも国で議論されていることを加味して考え、今のうちから備えておくことは必要だと思います。

 

将来の自分が毎日を幸福に生きるために、今、誰かの役に立つ☆

 

こういう考え方はいかがでしょうか?


2019-01-08 07:23:00

訪問をありがとうございます。

 

先週の金曜日から、当社使用の介護ソフトに不具合が生じており、昨日日中でも完全には直っていない様子でして。

 

ちょうど、様々なことが棚上げになっていたので、一日その対応をしていた私です。

 

皆さんはどんな一日でしたか?

 

 

 

 

さて、今日はコミュニティについて書かせていただきます。

 

といっても、私自身勉強したのはここ5年くらいで、まだまだ勉強&実践中ですが、ここで今までの一部をまとめさせていただきます。

 

と書くと、何度もここに来ていただいた方は、『あ、今回は長文だ』と気づかれたと思いますが、本当に長文になるかもしれないので、興味のある方のみ、お読みください☆

 

 

 

 

まず、大前提に“人は一人では生きていけない”という事実があります。

 

世の中が便利になって『いや、私は誰ともコミュニケーションを取らずに生きている』と思っておられる方もいるかもしれませんが、食べ物1つをとっても生産から全てを全くの一人で行っている方は、恐らく今の日本にはほとんどいないと思います。

 

常に誰かと関わりを持ちながら生きているわけです。

 

そして『コミュニティ』というのは、『人が生きていく上で関わる集団で、そのメンバーと助け合いの意識が持てる場所』と私は考えています。

 

そして、そこには集団特有の『ルール』があります。

(ルール:人が集った際にその場を心地よくするためのもの)

 

便利な世の中の恩恵を受けている方やいわゆる『孤立している』と言われている方々は、人との関わりを持って入るけど、どのコミュニティにも属していない状況で、自分自身の居場所や活躍の場を設けたいと思っている方は、自分のコミュニティを持っている。

 

 

 

 

で、そのコミュニティですが、これまでどのような歴史を辿ってきたのでしょうということを、改めて書かせていただきます。

 

私の感覚で申し訳ありませんが、私はコミュニティの歴史でポイントとするのは『密度の変化』だと感じていますので、そのあたりを中心に書きますね。

 

昔は『ムラ社会』と言われるように、生活(就労含む)の中に集団があって、その中に自分を置くことで安全と居場所を感じることができていました。

 

戦前は交通手段も徒歩や馬等動物を使ってが殆どで、生活も職場も同じエリアでした。

 

そして、ムラ社会に自由がなかったのは、日々の生活と仕事が連動する中での集団だったため、生活すべてがどっっぷり浸かっており、「共同体の中の自分」を求められており、『コミュニティ>個人』だったのですね。

 

また、ここのルールはやや不明瞭で、情緒的なものを含んでいたと言われています(暗黙の了解的な雰囲気)。

 

安心感や居場所は心地よいけど、24時間一緒にいて少しでも外れようものなら変わり者、大きく外れると村八分(仲間外れですね)になってしまうコミュニティは、今の時代の人には息苦しく感じるかもしれません(昔は当たり前だったので違和感はないでしょう)。

 

余談ですが、この「共同体の中の自分」という感覚は、典型的な仏教的思想です。

 

 

 

 

その後、戦後は国が国民の困りごとを解決してくれるようになりました(社会保障開始)。

 

同時に交通の便も発達し、住んでいる地域と就労先が別になることが当たり前になりました。

 

そうすると、地域のコミュニティは『安心を提供する場』としての機能が弱くなります(国が担ってくれるから)。

 

また、就労先の会社は家族を含めて面倒を見てくれます。

 

ここ(会社)で良い関係を築く方が自分自身(家族含む)の出世(生活の向上)につながると思うと、どうしても会社の方に居場所を求めるようになっていくのは必然だったと思います。

 

日々の困りごとや向かうべき針路は国が対応してくれて、居場所と活躍の場は会社が提供してくれる。

 

私は、このあたりから生活やコミュニティに対する日本人の“受け身”が始まったのではないかと考えています。

 

 

 

 

そして、1991~1992年に起こったバブルの崩壊。

 

これにより国や会社が個人にとってのコミュニティを保障できなくなり、安心・安全や居場所に対しての不安が一気に高まります。

 

これに拍車をかけたのがインターネットの登場で、多くの人が『世の中って多様で自由なんだ』ということに気づきます。

 

こうして世の中の不況と情報化により、本来起こるはずだった2000~2002年の『第三次ベビーブーム』は来ず、日本は人口減少になっていった訳です。

 

 

 

ここまで書いて疲れたので、今日は終わりにしますが(読まれている方も疲れましたよね)、今日伝えたかったことは、『今の課題は時代と併せてなぜそうなったのか?を知ることも大切』ということです。

 

コミュニティが必要だとか孤立化が問題だとか精神疾患が大きな問題だとか、世間ではいろいろ言われていますが、『なぜそうなったのか?』を“そうならざるを得なかった部分やそこで得た恩恵”も含めて理解し、再度、今の日本人が何を求めているのか(自由?安心感?居場所?)を考えながら、どのような手段でそれを叶えることが、個人・提供する側・社会にとって三方よしになるんだと思います。

 

私は個人が幸せに暮らすにはコミュニティが必要と感じていますが、それはあくまでも人が幸せに暮らすための手段の一つ。

 

大切なことは、高い視点から長い目で見て、どういう生き方に変わっていくのが良いかを考えて実践することですよね。

 

なぁんて。

 

長文、失礼いたしました☆


2019-01-07 08:17:00

訪問をありがとうございます。

 

金曜日の夜に来年度WAM助成金のフォーマットがアップされ、昨夜からかかりきりで書類作成をしている私です。

 

皆さまはいかがお過ごしでしょうか?

 

 

 

 

さて、先日友達からとある方のサイトを紹介されて、『どう思う?』という感想を聞かれました。

 

その方は、『本音で(他者と)つながることが自分自身の喜びにつながる』という主張を掲げていて、その実現のためにいろいろと活動をされていました。

 

頑張って何かに取り組んでいる人は、それだけで素晴らしい。

 

同時に、老婆心ながら、あまりに強すぎる主張や固定概念は同族しか受け入れられなくなり、結果的に視野を狭めるリスクを孕んでいるかもしれないと感じました。

 

たまに『同調圧力には屈しない!〇〇をすることが大切だ!』という主張をされるかたがおられますが、その主張こそが何かの圧力を生んでいることに気づかないで突っ走ってしまうリスクというか。

 

これは、声の大きい人の意見が通りやすいという現在の不思議な現象の産物なのかもしれません。

 

 

 

 

私が毎回取り組みごとにチームを解体して組みなおすのは、これを防ぐためです。

 

気の合う仲間と一緒に活動をすることは楽だし心地よいけれど、あえて別の視点や新たなつながりを持つことで、自分になかった視点や気づきをもらうことができます。

 

そして、気づきや視点を自分に受け入れるには、自分自身にそれを受け入れる容量(キャパシティ)がないとできないわけで。

 

私はこれを好奇心と言っていますが、遊び心というか余裕というか余白というかそういうものが無いと、相手の意見を受け入れられないのですよね。

 

結局欲張りなだけですが、自分と違う意見を拒否してスルーするのはもったいない。

 

相手の良いところを吸収すれば、もっと良いものができるという考え方です。

 

 

 

 

ちなみに私自身20代は、ガチガチの固定概念の塊人間でした(全くもって余裕がなかった)。

 

世の中をあるべき論で考え、意見をジャッジしグレーなんてとんでもない。

 

進むならまっすぐ前だけ見て!!!みたいな。

 

それで、たくさんの失敗もしたし、もったいない経験もしました。

 

で、30代になってある訓練をしたのです。

 

それは、自分の意見は置いておいて、さまざまなニュースに対するコメントをとにかく読む。

 

そして、なぜこの意見を書いたのかなど相手の意図や思考を考えるという訓練です。

 

このやり方が良いか悪いかはわかりませんが、おかげさまでこんな人間が仕上がりました☆

 

 

 

 

今の時代、自分の軸を持っている人は貴重です。

 

それをアウトプットする時に、他人に軸を押し付けるのではなく、相手が“自分の意思で協力している”と思わせながら自分の軸に乗って来るよう上手にラインを引いてあげることのできる人が、世の中を変えることができるのかもしれないと感じています。

 

皆さんは自分の軸はありますか?

 

その軸をどのように表現していますか?


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