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2019-01-17 07:39:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は午前中訪問、午後から健康マージャン、夜は同友会の勉強会に出席してきました。

 

こういう様々なことに取り組むことができる環境をありがたいなぁ~、と思います。

 

いろいろな分野の方々にお会いし話をすることで、新しい視点を持てたり、更なる挑戦の可能性を拡げたりできることが、私にとっては一番の喜びになっています☆

 

 

 

 

さて、今日は意味不明なタイトルをつけてしまいましたが、組織(会社など)について書かせていただきます。

 

私は以前から『国や組織というものは概念であって実在はしないもの』と書かせていただいていますが、それを何とも説得力ある形で話しておられる方がいました。

 

サイボウズ株式会社の青野慶久さんです。

 

ちなみに、この方の考えをもっと知りたいと感じた私は、その場で書籍を2冊注文しました(ありがとうAmazon!)。

 

そのくらい彼の話を共感できたのですね。

 

 

 

 

で、どんな話だったかというと、『会社や組織・部署のせいにして、本当に見なければ(考えなければ)ならない現実や問題から目を逸らしていないか?』ということです。

 

これ、私は強く共感すると共に、自分自身の言動を振り返るきっかけにもなりました。

 

ここではビジネス話だったので会社となっていますが、例えば私たちで言うと、『行政がね~』とか『国がね~』といった『実在しないもの』に責任を押し付けて、“だからしょうがないよね”と諦めていないかということを、改めて考えてみたのです。

 

この記事の中では対応策として、『〇〇部の△△さん』というように、実在する固有名詞で話をするようにしていると書かれていました。

 

これは大切なことだと思います。

 

また、理念についても言葉だけが独り歩きしたり形骸化しないようにということを話していました。

 

 

 

 

ちなみに一番共感した部分は、『会社というのはビジョンに共感した人が参加すればいい話で、一人ひとりが自立してナンボであり、社員は自分に合った働き方をする事が大切』という話です。

 

また、『会社存続のために稼げる事業を展開する』よりも『社員がやりたいことを実現するために新たな事業を展開する』ことが大切と話していました。

 

私自身、『社会課題を見つけたから解決のために事業を展開する』という考え方なので、この部分は深く深く共感しました。

 

 

 

 

企業の数だけさまざまな考え方があると思いますが、皆さんのお勤めされている企業はどのような体制ですか?

 

どうせ働くなら、楽しく有意義と思える仕事をしたいですね☆


2019-01-16 07:22:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は地域活動をされている方が来社し、1時間半ほどお話をさせていただきました。

 

私は、その方(Aさんとします)が大好きです。

 

考え方に似ている部分も感じますし、何よりも周囲に対する観察力と配慮が半端なく長けているのです。

 

お手本となる方が周囲にたくさんいることは、とても幸せだと思います♪

 

 

 

 

さて、どうでも良いのですが、今日はメチャクチャ眠いです!

 

・・・というのも、ここ数か月は毎日4時間は寝るようにしている私なのですが、久々に3時間睡眠を3日行った結果、耐えられない眠気と朝から闘うハメになってしまいました。

 

本当に、寝だめ食いだめはできないと親から言われていましたが、その通りだと思います。

 

そんなわけで、午前中は訪問がありますが集中して乗り切り、午後からの健康マージャンは楽しむ程度に参加したいと思います☆

 

あ、夜の勉強会は・・・頑張って集中して乗り切ろうと思いますー。

 

こんな日がたまにはあっても良いですよね。


2019-01-15 07:28:00

訪問をありがとうございます。

 

我が家では3人子どもがいますが、全ての子どもに対して『漢字練習帳を使って漢字の練習を強制的に行う』ということを行っています。

 

これは、漢字練習帳の一番上に私が手書きで漢字と読み仮名をつけ、子ども達がその下を埋めていくという形での練習帳です。

 

ひらがなもその方法で覚えているのですが、正直言って

 

か な り 面 倒 く さ い   です。

 

が、これをする事でドリル代が浮くという安直な考えで、未だに実践中。

 

ちなみに、一行の中で一番きれいに書けている字に花丸をつけると地味に喜んでくれるので、やめられません☆

 

 

 

 

さて、今日は高齢者に対してのスタンスについて書いてみたいと思います。

 

介護保険では、よく『自立支援が大切』と言われていますが、“今の介護保険は本当に自立支援になっているのかなぁ~”という疑問を私は抱いています。

 

とはいっても、別に現場の人間の質の話ではありません(むしろ、現場はこの社会状況と制度であるにも関わらず、よくバランスを取って回していると尊敬しています)。

 

私の疑問は、社会の状況と制度の観点から生じているものです。

 

 

 

 

以前から書いていますが、現在の社会は過剰なほどにリスクマネジメントが進んでいると感じています。

 

進み過ぎて、『自立のためのリスク』よりも『安全の確保』の方が優先され過ぎている部分を強く感じるほどです。

 

そうなると、『もし転んで危ないから』ということでせっかくの意欲を挫かれてしまったり制限がかかってしまうわけで。

 

これで『自立支援につながるケアをしなさい』と言われても無理・・・と思ってしまうのは、私だけでしょうか?

 

そんなわけで、今の介護保険制度は『自立支援』というよりも、『過度なお世話を焼く』方向に進んでおり、結果、高齢者の心身機能の低下を図っている可能性が多分にあると感じています。

 

 

 

 

『じゃあ、どうすればいいのよ』という声が飛んできそうですが、要は『極力介護が必要な状態にならなければ良い』のです。

 

で、どうすれば極力介護が必要な状態にならないことができるのか?

 

ここで一つ提案したいことは、そもそも論ですが私たちの常識を『高齢者=弱いもの・守るもの』ではなく『高齢者=頼りになる人・地域を守ってくれる人』に視点を切り替えるのはどうでしょうか?

 

今の高齢者はとても元気です。

 

そして実際に、今の地域を支えてくれている方々の大半が高齢者の方々です。

 

 

 

 

人は、自分の居場所を感じて、安心できる状況で自分の役割があることが幸せだと言われています。

 

そして、その役割を認められた時に大きな幸福感に満ちます。

 

また、人は高齢になるにつれ活動範囲は縮小します(体力的に遠方へ出るのが難しくなる)。

 

だから、高齢者には『地域でその人が得意とする役割』を持ってもらい、その役割を遂行することで『あぁ、自分は〇〇の役に立っている』と思えるような仕組みをつくることが大切なのではないかと思うのです(特に男性に対して目的をつくることは必須!)。

 

この循環が健康につながり、心身の満足につながるのではないかと私は考えてしまうのです。

 

万が一、年齢を重ねる中で認知症や疾患が出現しても、地域内が顔見知りの関係になっていれば、すぐに介護保険につながなくても地域でサポートできると思うのです。

 

これが、結果医療費や介護費の削減につながり、削減された分を将来に投資すれば、今後の社会は明るいものになるのではないかと思うのです。

 

 

 

 

イメージとしては、財源的には勤労世代が高齢者を支えていますが、実働的には高齢者が勤労世代を支える、みたいな感じです。

 

例えば、子育てを母親(もしくは父親)に押し付けるのではなく、地域で高齢者が上手に支援をしながら育てることで、子育て世代の親は『あ~、自分達は地域の高齢者に子どもが世話になっているから社会保障費が上がっても頑張ろう』と思えるかもしれませんし、また、育児と仕事のバランスのストレスが減れば、子どもが生みやすくなることで将来的には人口が増えるかもしれません。

 

子育て中の親が社会に出て働くことで生産人口は増えるため、税収も上がります。

 

また、高齢者からしても、過度な負担なく子育てをサポートするということは、心身の活性化につながると思います。

 

このように、三方(働き世代・高齢者・社会)にとってハッピーになるような仕組みを創ることができれば、自然と人の幸福度と健康は延伸するのではないでしょうか。

 

そして、個の仕組みを創ることは十分可能ですが、地域住民・企業・行政の連携が必要だと、私は考えています。

 

 

 

 

困った時だけ手を差し伸べるのではなく、自分に合った居場所を地域に持ち、緩やかなつながりを持ちながら全員で相互扶助的にケアし合える社会をつくる。

 

これが実現できたら、とてもやさしい社会になるだろうし、そういう社会をつくれるよう、皆さんの力を借りながら取り組んでいきたいと思います☆

 

というわけで、皆さま、これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします!(あ、あと協力も!)


2019-01-14 08:29:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日・一昨日は、WAM助成金申請の為の書類を必死で作成していました。

 

、まだまだ終わっておらず、本日もかかりっきりになっています(きっと、後3・4日はかかりそう)。

 

おかげで、子ども達とイチャイチャすることもできず、ひたすら資料を作っては「あー、これじゃあわかりにくいwww」と修正している状態です☆

 

 

 

 

さて、昨日はそんなわけで更新をすっかり忘れてしまいましたが、今日は今さらながら思い出したので、先日ご利用者宅でした話を書かせていただきます。

 

※全ての方がそうだと決めつけるものではないので、「あー、そういう考え方もあるのね」程度に読んでいただけたら幸いです。

 

このご夫婦は、とても仲の良い80代後半のご夫婦です(老夫婦世帯です)。

 

日常生活を送る上で様々な課題は持っていますが、リスクも承知で現在の生活リズムを送られています。

 

キーパーソンのご長男はお二人の性格や価値観を了承しており、それを最大限尊重しながら関わってくださっています。

 

 

 

 

で、ですね、このお二人のスタンスは「(常識とかを踏まえた上で)自分が嫌なことはしない」というものです。

 

例えば、ご近所付き合い。

 

会えば挨拶程度はしますが、必要以上に関わろうとすることはなく、それにより受けられない機会損失(緊急時の協力等)も了承しています。

 

「何かがあった時はその時。仕方がないと諦めます。それよりも起きていないことに不安になって自分に不本意な生き方をする方が私には辛いですからね」とご主人。

 

「ご近所に迷惑をかけないようにしますし、何かあったら管理人さんにお願いしますので大丈夫ですよ」と妻。

 

また、生活状況についても本来なら訪問介護等生活の支援は必要な方々ですが、「他人が家に入るのはイヤ」ときっぱり。

 

「他人に家に入られるくらいなら、家の中は汚れていても良い」「買い物に行けば調理しなくても総菜があるから大丈夫」「むしろ、買い物に行くことで健康が維持できているから大丈夫」と話をされています。

 

こんな状態で、第三者からみたら「社会と断絶している状態」とも見えるご夫婦なのですが、この想いに至るにはご夫婦共「自分達は十分国の為に尽くした」という想いがあるのです。

 

 

 

 

戦争を経験した方々に多くあるマインドは「国のために自分は何ができるか?」です。

 

とはいえ、戦争時代の「お国の為に自分の命を懸ける」とかではありません。

 

「私たちは日本という国の中で生きている」という感覚が十分にある、ということです。

 

言い換えたら、「個人は社会の役に立ってナンボ」というか。

 

そのため、お二人とも仕事・育児をしている昔の時を含め、どんな話も「こんな私でも少しは社会の役に立てましたかな」という話し方をされます。

 

私はこの考え方は、正に仏教的だと思っています。

 

さらにこの世代は、国に期待(依存?)をしていません。

 

国に期待するのではなく、「一人ひとりが社会を良くしようと考えた結果、国は良くなるもの」という考え方なのです。

 

この考え方は、正しく国というものを捉えていると私は感じています(国は概念でしかないという考え方)。

 

国を信じて生活し、敗戦で全てを失い、国を立て直すためにがむしゃらに頑張ってきた世代。

 

全ての方ではありませんが、この年代の方は多くの人がこのマインドで生きている傾向が強いと思います(一部、社会保障の便利さで思考が停止している方もいますが・・・)。

 

 

 

 

一方で、今の社会はどうでしょうか。

 

生まれた時から社会保障が浸透し、国が個人を守ることが“当たり前”になっている私たちは、何かがあると「国が悪い」「社会が悪い」という、自分を除いた「〇〇が悪い」という誰かに責任を転嫁する傾向が強いかもしれません。

 

でも実は、国っていうものは、国民一人ひとりの心がけと取り組みによって大きく変わるものではないかというのが、私の持論です。

 

現在の状況を嘆くのではなく、自分自身の在り方を振り返って「自分と社会が幸せになるためにどうすれば良いか」の在り方を考えることが大切というか。

 

 

 

 

社会保険は国民同士の支え合いであり、社会保障は国が最低限の生活を保障してくれるための制度です。

 

これが今、以上に膨れ上がっておりパンク寸前の今、私たちは何ができるでしょうか?

 

私は今こそ、私たち一人ひとりが気持ちを切り替えて“社会に貢献する”という気持ちを少しでも持つことが大切だと考えています。

 

とはいえ、社会なんて書くと大きくなりすぎるので、「社会を変えるには、まず足元の地域から」と考えているのですけどね。

 

大きなことをしなくても、私たち一人ひとりが自分の強さや持っているものに気づき、個人の目の前の損得だけでなく、同時に周囲に優しさを持てたら社会は大きく変わると思います。

 

国や行政に依存するのではなく、国や行政が私に何をしてくれるかではなく、自分が国に何ができるかの視点に切り替える(これは、国を会社や地域に置き換えることもできます)。

 

 

 

 

なんて。

 

こんな状態でも私は日本の将来はこの転換期を乗り切れたら明るいものになると思っています(将来的には楽観的です)☆

 

何より、子ども達のおバカっぷりを見ていると、「あぁ、今の時代を次の世代にも繋げていきたいなぁ」と思います。

 

皆さんのマインドはいかがですか?


2019-01-12 07:37:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は午前中にサービスBで元気をもらい、午後からWAM助成金説明・相談会に参加し、夜は主任ケアマネの件で活動をしました。

 

いやぁ、今日が一日事務処理の日で良かったです☆

 

 

 

 

さて、今日は『成熟社会』について書いてみたいと思います。

 

平成に入ってからちょくちょく聞くこの言葉。

 

何となく言わんとすることは分かるけど、はっきりと「だから何なの?」というのが分からないでいましたが、とある方の本を読んで、とてもとても腑に落ちたので、ここで共有させてください。

 

その本の中では、成熟時代とは個人が社会のバランスを取る時代と書かれていました。

 

別の言い方をすれば、個人が社会で活躍する時代というか。

 

つまり、会社に属していたら安心とか、「◯◯の△△です」というような、肩書に乗っかっていたらその会社が潰れた時のダメージが大きいから、その時に備えて今から「自分のスキル・強み」をしっかりと持つことが大切だよ、ということですね。

 

とにもかくにも、今の状態を当たり前とせず、自分の強みはたくさん持てるよう今から準備した方が良いよネ、という内容です。

 

これは、個人的にとてもとても共感しています。

 

 

 

 

AIをはじめとするテクノロジーの進化により、今まで人間がしていた仕事は機械が行えるようになってきた。

 

それが誰にも予測できなかったスピードで進んでいます。

 

どんなに賢い方でも、5年後の社会を予測できないと言います。

 

そのくらいすごいスピードで進んでいるのです(今は試行錯誤の段階ですが、10年後には現職の33%は人が行う必要性がなくなると言われていますよ)。

 

そうなった時、会社がテクノロジーの導入で人材を減らしていく可能性は大いにあります。

 

また、私のような専門職もその技能自体がテクノロジーで対応できるとわかれば、職自体が無くなる可能性もあるわけです。

 

そうなった時に困らないよう、今のうちから「自分の強み」を知りそれを磨いておいて、世界がどんな状況になろうとも生きていけるだけの術を身に着けることが大切だよ、ということです。

 

 

 

 

考えてみれば、世の中は常にその繰り返しで進化をしてきたわけだし、進化に伴い淘汰されてきた役割があること自体は歴史を見れば当たり前のことです。

 

悩ましいのは、それが急速な勢いで大きな変化で今後進んでいくということ。

 

すごいスピードだから、気づいてから行動をしては間に合わないということです。

 

だからこそ、今のうちからその危機感を持つか持たないかで、将来は大きな差が出るだろうということです。

 

正しい(と信じてきた)こと・言われたことをきちんと行っていても、進化の波の方が大きければ淘汰されます。

 

ホント、危機感は大切です。

 

 

 

 

先日ニュースで読みましたが、企業の倒産率と自殺者は比例しており、その割合は1%だそうです(総務省データの失業率と自殺率を一つの表に合わせた結果)。

 

例えば、2017年の労働人口は約6720万人ですが、そのうちの1%(67万人)の雇用がなくなると2339人の自殺者が出る恐れがあるということです。

 

リスクの問題ですから何とも言えませんが、テクノロジーの進化に伴う失業率が上がるということが分かっている以上、これは放っておくことはできないと思います。

 

個人的には社会保障で何とかするのではなく、思い切ってBI(ベーシックインカム)を導入するしか方法はないと感じていますが、どうなることやら。

 

・・・って話を、木曜日のモニタリングで認知症の方としていた時に言われた一言☆

 

「大丈夫。淘汰される人間は淘汰されればいいんです」(日本で一番頭の良いと言われる国立大学元教授さまのコメント)

 

まぁ、確かにそうなんですけどね。

 

その後は、おもしろい議論をさせていただきました(戦後生まれと戦時中や戦前生まれの差は何で、どこから生じるのか?)。

 

後日、覚えていたら書かせていただきますね。


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