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2019-01-08 07:23:00

訪問をありがとうございます。

 

先週の金曜日から、当社使用の介護ソフトに不具合が生じており、昨日日中でも完全には直っていない様子でして。

 

ちょうど、様々なことが棚上げになっていたので、一日その対応をしていた私です。

 

皆さんはどんな一日でしたか?

 

 

 

 

さて、今日はコミュニティについて書かせていただきます。

 

といっても、私自身勉強したのはここ5年くらいで、まだまだ勉強&実践中ですが、ここで今までの一部をまとめさせていただきます。

 

と書くと、何度もここに来ていただいた方は、『あ、今回は長文だ』と気づかれたと思いますが、本当に長文になるかもしれないので、興味のある方のみ、お読みください☆

 

 

 

 

まず、大前提に“人は一人では生きていけない”という事実があります。

 

世の中が便利になって『いや、私は誰ともコミュニケーションを取らずに生きている』と思っておられる方もいるかもしれませんが、食べ物1つをとっても生産から全てを全くの一人で行っている方は、恐らく今の日本にはほとんどいないと思います。

 

常に誰かと関わりを持ちながら生きているわけです。

 

そして『コミュニティ』というのは、『人が生きていく上で関わる集団で、そのメンバーと助け合いの意識が持てる場所』と私は考えています。

 

そして、そこには集団特有の『ルール』があります。

(ルール:人が集った際にその場を心地よくするためのもの)

 

便利な世の中の恩恵を受けている方やいわゆる『孤立している』と言われている方々は、人との関わりを持って入るけど、どのコミュニティにも属していない状況で、自分自身の居場所や活躍の場を設けたいと思っている方は、自分のコミュニティを持っている。

 

 

 

 

で、そのコミュニティですが、これまでどのような歴史を辿ってきたのでしょうということを、改めて書かせていただきます。

 

私の感覚で申し訳ありませんが、私はコミュニティの歴史でポイントとするのは『密度の変化』だと感じていますので、そのあたりを中心に書きますね。

 

昔は『ムラ社会』と言われるように、生活(就労含む)の中に集団があって、その中に自分を置くことで安全と居場所を感じることができていました。

 

戦前は交通手段も徒歩や馬等動物を使ってが殆どで、生活も職場も同じエリアでした。

 

そして、ムラ社会に自由がなかったのは、日々の生活と仕事が連動する中での集団だったため、生活すべてがどっっぷり浸かっており、「共同体の中の自分」を求められており、『コミュニティ>個人』だったのですね。

 

また、ここのルールはやや不明瞭で、情緒的なものを含んでいたと言われています(暗黙の了解的な雰囲気)。

 

安心感や居場所は心地よいけど、24時間一緒にいて少しでも外れようものなら変わり者、大きく外れると村八分(仲間外れですね)になってしまうコミュニティは、今の時代の人には息苦しく感じるかもしれません(昔は当たり前だったので違和感はないでしょう)。

 

余談ですが、この「共同体の中の自分」という感覚は、典型的な仏教的思想です。

 

 

 

 

その後、戦後は国が国民の困りごとを解決してくれるようになりました(社会保障開始)。

 

同時に交通の便も発達し、住んでいる地域と就労先が別になることが当たり前になりました。

 

そうすると、地域のコミュニティは『安心を提供する場』としての機能が弱くなります(国が担ってくれるから)。

 

また、就労先の会社は家族を含めて面倒を見てくれます。

 

ここ(会社)で良い関係を築く方が自分自身(家族含む)の出世(生活の向上)につながると思うと、どうしても会社の方に居場所を求めるようになっていくのは必然だったと思います。

 

日々の困りごとや向かうべき針路は国が対応してくれて、居場所と活躍の場は会社が提供してくれる。

 

私は、このあたりから生活やコミュニティに対する日本人の“受け身”が始まったのではないかと考えています。

 

 

 

 

そして、1991~1992年に起こったバブルの崩壊。

 

これにより国や会社が個人にとってのコミュニティを保障できなくなり、安心・安全や居場所に対しての不安が一気に高まります。

 

これに拍車をかけたのがインターネットの登場で、多くの人が『世の中って多様で自由なんだ』ということに気づきます。

 

こうして世の中の不況と情報化により、本来起こるはずだった2000~2002年の『第三次ベビーブーム』は来ず、日本は人口減少になっていった訳です。

 

 

 

ここまで書いて疲れたので、今日は終わりにしますが(読まれている方も疲れましたよね)、今日伝えたかったことは、『今の課題は時代と併せてなぜそうなったのか?を知ることも大切』ということです。

 

コミュニティが必要だとか孤立化が問題だとか精神疾患が大きな問題だとか、世間ではいろいろ言われていますが、『なぜそうなったのか?』を“そうならざるを得なかった部分やそこで得た恩恵”も含めて理解し、再度、今の日本人が何を求めているのか(自由?安心感?居場所?)を考えながら、どのような手段でそれを叶えることが、個人・提供する側・社会にとって三方よしになるんだと思います。

 

私は個人が幸せに暮らすにはコミュニティが必要と感じていますが、それはあくまでも人が幸せに暮らすための手段の一つ。

 

大切なことは、高い視点から長い目で見て、どういう生き方に変わっていくのが良いかを考えて実践することですよね。

 

なぁんて。

 

長文、失礼いたしました☆