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訪問をありがとうございます。
昨日の内容もそうですが、私、今年度は特に、今後の国(社会保障等)の在り方というマクロの視点と、個別ケアマネジメントというミクロの視点で、様々なことを考えて実践していく、と自分で決めています。
というのも、社会保障が根本の見直しを行わないでつじつま合わせをすることに限界を感じているのと、テクノロジーの進化で時代が大きく変わる過渡期に来ていることを感じるからです。
そのためには、一度『あるべき論』を外して、どうすれば三方(国や納税者・利用者・支援事業者)良しの仕組みになるかを、本気で考える必要があると感じるからです。
このままいけば、利用者の負担増だけでなく、消費税は跳ね上がるわ、ますます保険者の書面チェックが厳しくなるわで、誰しもが不幸な方向に向かってしまうと思うのですよね。
そんな暗い社会はイヤだ!!!
社会全体を救おうなんて考えてはいないけど、少なくとも、自分が関わった人は笑顔で毎日を過ごしてほしいと思うのです。
そんな単純な理由で、ガチに今後の社会の在り方から、地域・個人の関わり方について考えています☆
といっても、私の頭では大したことは考えられないので、このサイトをきっかけに、少しでも多くの方が『どうすれば今後の社会は明るいものになるか?』を一緒に考え行動に繋げていただけたらなぁ~、と思っています。
この気持ちが読んでいるあなたに伝播しますように!!!
と、何だか前置きが長くなってしまいましたが、今日は、『安心と安全』について考えてみたいと思います。
福祉関係者であれば、『安心と安全』と聞くと、『欲求』と答えたくなりませんか?
そう、これはマズローも第二段階に挙げている部分ですね。
マズローの5段階の欲求説について、『段階』と書かれている部分に、私は人の可能性を感じます。
あ、私はマズローの段階欲求説を、一つの大きな指標にしており、これは『自己実現理論』と言われるだけあって、自立支援に向けてのある意味指標になっていると思っています(あ、これ以上書くと完全に脱線する・・・)。
そんなケアプランでも良く記載されている『安心・安全』についてですが、この安全について、私たちの捉え方は少し偏り過ぎていると感じるのは、私だけでしょうか?
事故等リスクに対する安全の保障が。
マズローが説いている『安全』とは、“安全な場を求める要求”とあります。
安全性、経済的安定性、良い健康状態の維持、良い暮らしの水準、自己の防止、保障の強固さなど、予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求(セーフティネットを含む)。
高齢者は年齢を重ねるとともに、安全の確保は困難になっています。
が、そこにだけ注目して、本人が必要と感じていないにも関わらず、“危険だから〇〇を導入しましょう”と必要以上に強く言うのは、ちょっぴり乱暴な気がするのは私だけでしょうか?
高齢者の方って、自身の身体を分かっていて気をつけている方が多いです。
でも、転んでしまう事もある。
これ、予測できることを防げなかったと言えなくもないけど、この提案をされる時の利用者って、『なんともやるせない気持ちになる』のだそうです。
“わかっているよ、自分が若い頃と較べて身体が利かなくなってきていることなんて。だけど、自分で折り合いをつけて何とか自分の力で頑張りたいんだよ”という気持ちを持っている方って、結構多いです。
ケアマネジャーが親身に心配してくれているのは分かるけど、提案で自分がダメ人間と否定されていると感じている人って、少なくないと私は感じています。
そう考えると、安全の確保は大切だけど、それを提案するタイミングと本人の気持ちを最大限配慮することって、とても大切だと思うのです。
生暖かく見守る姿勢、とでも言いましょうか。
ネグレクト(自己放棄で虐待の一つ)でない限り、基本はご利用者の主観を最大限尊重したいと、私は感じています。
危険を予測した際は、それをご利用者がどう感じているかを確認し、その返答で提案をするかしないか、情報提供をするかしないか決めるか考える。
直接提案や支援を導入しなくても、チームのメンバーに『この間訪問したら、ここの部分に危険を感じたんだけどどう思います?』と聞いても良いし、『ちょっと心配だから支援に入る時にさりげなく気にしてください』というだけでも十分な場合はあると思うのです。
人が生きている以上、リスクをゼロにすることはできないし、大切なことは、ご利用者自身がどの程度リスクを受け入れているかだと、私は思います。
その感じ方は人それぞれなわけで、だからこそ大切なことは、ご利用者自身がどこまで自身の現状を受け入れ、これからの生活に対するリスクをどう捉えているかだということ。
正論が正解ではない。
これは私が小さい頃、父親に言われた言葉ですが、まさに正論が相手の自尊心や意欲を奪ってしまう事もある。
そのことを私たちケアマネジャーは十分に理解して、ケアマネジメントすることも大切なのではないかなぁ、と考えました。
そして、マズローの書いている『安心・安全』とは、時代的にもリスクというより“日常の生活で心を許せる環境に対する欲求”のことを指しているのではないかなぁ〜、なんて考えています。
あぁ、またしてもダラダラと書いたところでタイムアウトです☆
これから担当者会議の準備をして開催してきます。
皆さんは、『安全』をどのように捉えていますか?
ご利用者に安全の確保をどのように提案していますか?
訪問をありがとうございます。
昨夜は久々に夜の予定がなく、すぐに退社し喫茶店で考え事をしていました。
この『ポカっと空いた時間』は、とても贅沢だと感じます。
普段がギチギチのタイムスケジュールだからこそ、こういう時間を幸せに感じるのかもしれませんね。
そこで考えていたことなのですが、『ケアプランって、やっぱ利用者のためのものではなく、制度の整合性のためのものだよなぁ』ということです(これ、実は何回も考えているのです)。
いや、ケアプランが悪いわけではないのですが、要介護状態の高齢者に『あなたらしさを現す課題を教えて』って、なんだかとても傲慢だと思うのですよね。
うん、ご利用者の力を見くびっている気がするのです。
この気持ちを持ち出したのは数年前ですが、それを確信に変えたのは、サービスBの『居場所つくり』を体験したからです。
介護保険は社会保障の中で5番目にできた保険です(いわゆる共助ですね)。
介護保険自体は、保険事故になった要介護状態である被保険者の保険事故(元気な時から比べて失った)部分を補完することが目的だったはず。
それ(保険事故を補うサービス)の整合性を客観的に文書に残す役割として、私たちケアマネジャーがいたわけです。
だから最初は、2表の課題部分が『〇〇できなくて困っている』だったのです。
でも数年の後、それじゃあ意欲が足りないだの、QOLも上げなきゃいかんだの、色々モロモロ言われて、結果『〇〇したい』という“意欲を引き出した表現”が良しとされ、更にそこには個別性まで求められるようになって・・・。
私は、そこから言葉遊びの本質無さが強まったと感じています。
そして、『個別性』や『要介護者の権利や安全を守る』という言葉の下に、ご利用者のプライバシーを奪い、無理やり意欲を押し付け、評価と称して満足感を押し付け、過剰な介入の結果、ご利用者自身の持っていた本当の意味での強みである『自立心』を奪ってしまったのではないかと思うわけで☆
私は、明確な意思を持って毎日を過ごせている人って、決して多くはないと思います。
大半の人は、自分の役割を担っていて、その日々の生活の中で小さな幸せを感じて気持ちが上がったり、小さな喜びを感じて嬉しくなったりして毎日を過ごしているのではないでしょうか?
少なくとも、私の担当させていただいたご利用者は、そういう気持ちの方が多かったし、今でも多いです。
『今の生活が続けば十分』と、多くを望んでいません。
これは、とても大切な言葉だと思うし、その言葉を聞くたびに、私は『ご利用者のため』『サービス』という言葉を蓑に、利用者の人権を侵害し、その力を奪っている気がする時があるのです。
これは、90代のサービスBに通っている参加者に言われた言葉です。
『ここに来ると(心を許せる)仲間がいて楽しい時間が過ごせるのよ。本当にいい場所を教えてもらって良かったわ。毎朝バスに乗って来るのは大変だけど、みんなが待っていると思うと頑張って来れるのよ。私、もっと前にここを知っていたら、歩いてここに来れていたかもしれないわね』
最初に書かせていただくと、自慢でも何でもありません。
何が言いたいかというと、居心地が良いから幸せを感じ、幸せというその感情が意欲を引き出しているということを書きたかったのです。
当団体の担い手さんは、全員無資格者です。
さらに言えば、地域の住民です。
そして、彼女たちは、とても素晴らしい場を参加者と創ってくれています。
私が担い手さんにお願いしていることは一つだけ。
『ただただ、楽しんでください』だけです。
参加者の方々も、お客様ではなく、最後の片付けもお願いしますし、昼食の買い出しもお願いしますし、『毎回15分地域情報を提供してね』とスピーチを頼んでいますし、各々にできることを頼んでいます。
一見すると、担い手と参加者は、どっちがどっちだかわからない時もあります。
でも、楽しい。
それでいいと思うのです。
担い手も参加者も一緒に『居心地の良い場を創り、その中で楽しむことができる』ということが、とてもとても大切だと思うのです。
お互いに対する配慮と優しささえあれば、その関わり方は個々それぞれで良いと感じています。
どんな形でも良い。
参加した人がそこに自分の居場所を感じて、それが意欲に繋がっていれば☆
ちなみに昨年度のモデル事業時、サービスB利用者にケアプランはありませんでした。
でも、参加者は明らかに表情は良くなり(自力でここまで来るので)健康も維持向上できています。
それを見ていると、『確かにケアマネジャーの必要な人もいるけど、全員が全員ケアプランを作成しなければならないという、そもそもの考え自体を見直してもいいんじゃないかなぁ』と思うのと同時に、『比較的元気で身体の動く方は、地域で支える方が健康が維持できる場合も多いんじゃないかなぁ』と感じるのです。
そして、『セルフプランがベースになって、それを作成することが困難な人がケアマネジャーを依頼する仕組みもアリだな』なんて考えてしまいます。
そんなことを考えながら、労企29号や書類の一つひとつを『あるべき論』ではなく、できるだけシンプルに、何が本当に必要かどうかについて、今一度見直してほしいなぁ~なんて考えてしまった私です☆
あぁ、長くなってしまうので、続きは明日改めて書きたいと思います。
皆さんは、現在のケアマネジメントについて、その手法が本当にご利用者の幸せに繋がっていると思いますか?
訪問をありがとうございます。
昨夜は職能団体の全大会に参加しました。
これは、理事と委員会の委員が集まって総会前の準備と意見交換をする会です。
それにしても毎回感じますが、役割意識を持って自分の職務に就いている方々と接すると、私自身もモチベーションも上がります。
色々感じたり考える部分もありますが、任務を担っている以上は、できることに全力で取り組んでいきたいと思いました。
さて。
週に1~2冊は本を読んでいる私ですが、昨日は3日間書店を廻って探していた本をやっと見つけ、購入することができてウキウキです♪
まだ3分の1程度しか読んでいませんが、期待以上におもしろい!!!
思考がどこまでも拡がると同時に、モヤモヤがスッキリする部分もあり、興奮状態の私。
全てを読んではいないので強くはお勧めできませんが、時間とお財布に余裕のある方は、一読されることをお勧めします。
というわけで、今回は『本の読み方』について、書きたいと思います。
あ、オタク感丸出しなので、興味のある方のみお読みいただけたら幸いです☆
私は、何か気になることがあると、トコトン掘り下げて知りたいと思ってしまう人間なので、テーマを決めて同じ類の書籍を読み漁ります。
その時ですね、1冊の本を2度は読むようにしているのです。
1回目はサラッと止まることなく通しで読む。
2回目は、心に響いたり大切と感じる部分を、ノートに転記しながら読んでいます。
ノートは、持ち歩きしやすいようにA4の半分の大きさのノートです。
そこに重要度で黒ペンと赤ペンを使い分けながら転記します。
そして、自分の感じたことや思考等を緑で書き込んでいきます(後から書き込むことも多々あり)。
誰にも見せることはできない書きなぐりのノートですが、今のところ20年くらいこの方法で様々な本を読んでいます。
なぜノートにわざわざ転記するかというと、サラッと読んでしまうと、思考を深めるチャンスを逃してしまうからです。
あ、私の脳みそが形状記憶だからかもしれませんが・・・。
とにかく、気になる言葉・気づきとなった文章は転記し、そこから自分なりに考えを巡らせます(ここが本の醍醐味です♪)。
そこで解決することもありますが、なまじ書いてあることに自分の思考を混ぜるから、余計に疑問が増えてモヤモヤすることが殆どなので、そうなると、他の本でそのモヤモヤを解消しようとして、またモヤモヤが増えて本を読んで・・・の繰り返しで、結果、一つの物事について十数冊も書籍を読むことになります。
これ、おもしろいし、視野が拡がりますよ。
物事って、どこまでも掘り下げることができるので、本当に楽しいです。
とはいえ、あまりに掘り過ぎると、大抵、宇宙とか哲学とか宗教とか、違う世界に行ってしまうのですが☆
同じテーマの本でも様々な人の本を読むことで、多角的にテーマについての考え方を理解することができます。
『この角度からみたらこういう結論(主張)になるのか』とか『こういう考え方(捉え方)もあるのね』ということを知った上で、自分のいる場所(立ち位置)を改めて感じたり気づくことができます。
そして、様々な主張を読むことで、自分と違う意見も受け入れられやすくなります(ここは訓練です!)。
最近はコミュニティについてを深めていますが、この間までは論語についてひたすら深めていましたし、その前は量子力学・脳科学・心理学から引き寄せの法則について読んでいました(ジャンルに統一性・関連性はないです)。
ちなみに、ノートは前のページから本の要約や転記について書いていますが、同時に後ろのページから1テーマ1ページで、完全に私の思考や学びから行動した結果から学んだ考えを書いています。
一番上にテーマを書いて、引っ掛かった単語をいくつかザクっと書き、そこに自分の考えをひたすら書き込むという☆
書くということで、頭の中に浮かんだ考えを整理しているのです。
これは文章力や言語力を向上することができると思います。
アウトプット力も訓練ですからね☆
他に、このノートに書きこむという作業は、昔の自分との対話もできます。
時々昔のノートを読み返すと、『あ~、私、若かったなぁ』と笑ってしまったり、『あ、こう思いこんでいた時もあったよね』なんて、懐かしく感じることもあります。
そして、もう一度同じ本を数年ぶりに読んでは、当時と全く受け取り方が変わっていることを楽しんだりしています。
・・・と、ここまで書いていて、私、違和感を抱きました。
今 回 の タ イ ト ル っ て 、 “ 本 の 読 み 方 ” だ よ ね ? ? ?
いやぁ、ノートに書くことのススメにすり替わってしまいました。
あ、小説だと、好きな作家は重松清さんがダントツで好きです。
楽しくなりたい時は、奥田英朗さんや萩原浩さんを読みます。
なんて、今更遅いか。
大変失礼いたしました☆
皆さんは、最近、どんな本を読みましたか?
そこで、どんなことを感じましたか?
訪問をありがとうございます。
昨日は、冊子制作委員会の会議を行いました。
今回は、行政、社会福祉協議会、地域のコアな活動家、高齢者・障害・子ども団体の核となる方々にご参加いただきました。
いやぁ、楽しい時間でした♪
これで、本当の意味での共生社会実現に向けて始動できます☆
地域の活動家の方に助けていただきながら、第3回を開催出来ていることに感謝の気持ちでいっぱいです。
さて。
今回、共生社会の第一歩を踏み出したことを機に、『人が人を繋げる』ということについて書いてみたいと思います。
良く言われることですが、『加藤は顔が広いねぇ』という言葉。
いえいえ、私は当区に来てから、まだ4年しか経っていません。
もしそう見えるとしたら、私の関係つくりは“人が人を繋いでくれている”からかもしれないと思いました。
これは、誰でもできる方法ですので、今回書かせていただきますね。
本当にあざといのかもしれませんが、私はやりたいことがある時、それを周囲に公言してしまいます。
大人らしさとかは全くなく、『こうなったら楽しいよね?ね?これ、やりたいなー』って、“子どもかよ!!!”というくらい単純な言葉で、楽しいビジョンを想像して伝えまくるのです。
できるだけたくさんの方に☆
そうすると、周囲の方々が『あ、そのことだったら〇〇さんに聞くといいよ』とか、『じゃあ、今度△△さんを紹介するよ』という形で、色々な繋がりのきっかけをいただくことができます。
そこに感謝しつつ、乗っかるというのが、私の方法です。
ね、簡単でしょ。
もし、何らかの取り組みを実現したい・今の団体の関係性をもっと発展したい等希望している方がおられたら、ぜひ、お試しください☆
ポイントは、“感謝”と“人との関わりを楽しむ”です。
単純な方法ですが、効果絶大ですよー。
どんな想いも行動に変換しなければ、何も変わりません。
皆さんは、どんな想いを持っていますか?
それを、どのように具現化していきますか?
訪問をありがとうござます。
毎回最終回にしたいと思いつつ、ダラダラと書き続けてすみません。
今回は最終回にします☆
さて。
前回は、リーダーの役割について書かせていただきましたが、今回は、コアメンバーとの関わり方について書かせていただきます。
時代とともにリーダーの『あるべき姿』は変わっていると感じますが、コアメンバーに関してのりあり方は『対等』が一番だと私は感じています。
組織等、利害関係のある場合は(対価が発生するため)トップダウンでもうまくいくのですが、自発的な関わりの場合、リーダーの人望や取り組み等に共感してついてきてくれているという関係性で、その関係性が継続するという担保はないんですね。
だからこそ、コアメンバーの意見は尊重し、一緒に考え一緒に答えを出していくという過程で関係性は強化され、仲間意識や協力姿勢も強まると考えています。
ということを踏まえた上で、関わり方ですが、基本的に私の場合は『決めごとは会議等で合意形成』という形を取っています。
つまり、コアメンバーの意見を最大限尊重する、自分自身と対等な関係性であるということを表現しています。
あ、その前段階として、“ここだけは譲れない”という部分と“ここは皆に委ねる”という部分はは予め明確化しておきます。
委ねる部分は『提案』という形で皆に投げかけます。
また、譲れない部分は、予めコアの中でも核となる方々に『相談』という形で個別に話を持ちかけます。
そこで、じっくり自分の想いを聞いていただき、助言や意見をいただきます。
すると、初めは“譲れない”としていた部分が変わったり、見直したりする機会となるので、一人で考えるよりもずっと良い形になるんですよね。
これらを行う際に気をつけていることはいくつかありますが、一番は“自分の考えを絶対にしない”ということです。
また、意見を受ける際には、相手の意図を理解するまで質問を重ね、何度も意見交換しながらより良い答え(案)を探します。
つまり、“自分の意見を通そうとすることが目的なのではなく、どうすれば現状がよくなるかの視点に立って考える”ということです。
これ、サラッと書きましたが、リーダーは気をつけないとドツボに陥りがちな部分なんです。
特に、熱意あるリーダーほど一生懸命に考え抜いて結論を出している為、他者の意見を“自分が否定された”と捉えてしまいがちです。
そうなると、(前回書きましたが)コアメンバーとの信頼関係なんて、簡単に壊れます。
中心となるコアメンバーとの関係が壊れると、そもそもリーダー自身が自発的に始めた取り組み自体が失敗する可能性が大きくなってしまいます。
それは、避けたいですものね。
また、相手の意見を聞き尊重するということは、相手の主体性を引き出すこともできるのです。
そういう意味でも、いくら自分が立ち上げた会だとしても、“コアメンバー間の関係性は対等に”“意見を聞くという形で主体性を引き出す”という2つは、とても重要だと思っています。
役割分担も同様に、会議の場でみんなで考えます。
そうすると、必要以上にリーダーに負荷がかかるということもなくなるんです。
そして、そのことがメンバーに対する感謝となり、チーム力は向上するんですね(良いサイクルが生まれます)☆
コアメンバーの人選を正しく行い、気持ちよい関係性が築ければ、大抵の取り組みはうまくいきます。
また、その取り組みが必要とされているものであり、かつ、コアメンバーの主体性を最大限引き出すことができたら、人が人を繋いでくれ、その取り組みは“勝手に”大きくなっていきます。
これ、本当です。
なにせ、20年間たくさん失敗して、そこから書籍や実体験を通して学んだことなので、ある程度自信を持ってお勧めできます(人によって、多少の合う合わないはあるでしょうが)。
私自身、地域を考える会以外はこの形で進めており、おかげさまで皆さまの力をいただきながら順調に進むことができていますから(地域を考える会は会の開催自体に意味があるので、ここに負荷はかけていません)☆
長々とシリーズ化してしまったチームの作り方ですが、これで終了とします。
明日以降は通常運転をしますので、今後ともよろしくお願いいたします。