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2018-05-25 07:24:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は久々に夜の予定がなく、すぐに退社し喫茶店で考え事をしていました。

 

この『ポカっと空いた時間』は、とても贅沢だと感じます。

 

普段がギチギチのタイムスケジュールだからこそ、こういう時間を幸せに感じるのかもしれませんね。

 

 

 

 

そこで考えていたことなのですが、『ケアプランって、やっぱ利用者のためのものではなく、制度の整合性のためのものだよなぁ』ということです(これ、実は何回も考えているのです)。

 

いや、ケアプランが悪いわけではないのですが、要介護状態の高齢者に『あなたらしさを現す課題を教えて』って、なんだかとても傲慢だと思うのですよね。

 

うん、ご利用者の力を見くびっている気がするのです。

 

この気持ちを持ち出したのは数年前ですが、それを確信に変えたのは、サービスBの『居場所つくり』を体験したからです。

 

 

 

 

介護保険は社会保障の中で5番目にできた保険です(いわゆる共助ですね)。

 

介護保険自体は、保険事故になった要介護状態である被保険者の保険事故(元気な時から比べて失った)部分を補完することが目的だったはず。

 

それ(保険事故を補うサービス)の整合性を客観的に文書に残す役割として、私たちケアマネジャーがいたわけです。

 

だから最初は、2表の課題部分が『〇〇できなくて困っている』だったのです。

 

でも数年の後、それじゃあ意欲が足りないだの、QOLも上げなきゃいかんだの、色々モロモロ言われて、結果『〇〇したい』という“意欲を引き出した表現”が良しとされ、更にそこには個別性まで求められるようになって・・・。

 

私は、そこから言葉遊びの本質無さが強まったと感じています。

 

そして、『個別性』や『要介護者の権利や安全を守る』という言葉の下に、ご利用者のプライバシーを奪い、無理やり意欲を押し付け、評価と称して満足感を押し付け、過剰な介入の結果、ご利用者自身の持っていた本当の意味での強みである『自立心』を奪ってしまったのではないかと思うわけで☆

 

 

 

 

私は、明確な意思を持って毎日を過ごせている人って、決して多くはないと思います。

 

大半の人は、自分の役割を担っていて、その日々の生活の中で小さな幸せを感じて気持ちが上がったり、小さな喜びを感じて嬉しくなったりして毎日を過ごしているのではないでしょうか?

 

少なくとも、私の担当させていただいたご利用者は、そういう気持ちの方が多かったし、今でも多いです。

 

『今の生活が続けば十分』と、多くを望んでいません。

 

これは、とても大切な言葉だと思うし、その言葉を聞くたびに、私は『ご利用者のため』『サービス』という言葉を蓑に、利用者の人権を侵害し、その力を奪っている気がする時があるのです。

 

 

 

 

これは、90代のサービスBに通っている参加者に言われた言葉です。

 

『ここに来ると(心を許せる)仲間がいて楽しい時間が過ごせるのよ。本当にいい場所を教えてもらって良かったわ。毎朝バスに乗って来るのは大変だけど、みんなが待っていると思うと頑張って来れるのよ。私、もっと前にここを知っていたら、歩いてここに来れていたかもしれないわね』

 

最初に書かせていただくと、自慢でも何でもありません。

 

何が言いたいかというと、居心地が良いから幸せを感じ、幸せというその感情が意欲を引き出しているということを書きたかったのです。

 

当団体の担い手さんは、全員無資格者です。

 

さらに言えば、地域の住民です。

 

そして、彼女たちは、とても素晴らしい場を参加者と創ってくれています。

 

私が担い手さんにお願いしていることは一つだけ。

 

『ただただ、楽しんでください』だけです。

 

参加者の方々も、お客様ではなく、最後の片付けもお願いしますし、昼食の買い出しもお願いしますし、『毎回15分地域情報を提供してね』とスピーチを頼んでいますし、各々にできることを頼んでいます。

 

一見すると、担い手と参加者は、どっちがどっちだかわからない時もあります。

 

でも、楽しい。

 

それでいいと思うのです。

 

担い手も参加者も一緒に『居心地の良い場を創り、その中で楽しむことができる』ということが、とてもとても大切だと思うのです。

 

お互いに対する配慮と優しささえあれば、その関わり方は個々それぞれで良いと感じています。

 

どんな形でも良い。

 

参加した人がそこに自分の居場所を感じて、それが意欲に繋がっていれば☆

 

 

 

 

ちなみに昨年度のモデル事業時、サービスB利用者にケアプランはありませんでした。

 

でも、参加者は明らかに表情は良くなり(自力でここまで来るので)健康も維持向上できています。

 

それを見ていると、『確かにケアマネジャーの必要な人もいるけど、全員が全員ケアプランを作成しなければならないという、そもそもの考え自体を見直してもいいんじゃないかなぁ』と思うのと同時に、『比較的元気で身体の動く方は、地域で支える方が健康が維持できる場合も多いんじゃないかなぁ』と感じるのです。

 

そして、『セルフプランがベースになって、それを作成することが困難な人がケアマネジャーを依頼する仕組みもアリだな』なんて考えてしまいます。

 

そんなことを考えながら、労企29号や書類の一つひとつを『あるべき論』ではなく、できるだけシンプルに、何が本当に必要かどうかについて、今一度見直してほしいなぁ~なんて考えてしまった私です☆

 

 

 

 

あぁ、長くなってしまうので、続きは明日改めて書きたいと思います。

 

皆さんは、現在のケアマネジメントについて、その手法が本当にご利用者の幸せに繋がっていると思いますか?