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2016-03-24 08:13:00

訪問をありがとうございます。

 

私、厚生労働省からのメルマガ登録をしているのですが、昨日入ったメールで『地域包括ケアシステム構築に向けた公的介護保険外サービスの創出・活用』というセミナーが開催されるということを知りました。

 

月末は予定を空けているので、ちょうど開催日時に予定は入っていない。

 

場所も電車一本で行ける。

 

というわけで、29日、大手町でセミナーを受講してこようと思っています。

 

 

 

さて、前回の『エゴとエゴイズム』について、改めて考えてみました。

 

このことを考えるきっかけをくれたご利用者の家族は、こんな言葉を言われたのです。

(ご家族に掲載の了承は得ています)。

 

 

 

『みんな絆、絆って言うじゃない。あれを聞くとゾッとするのよね。確かに大切なこともわかるわよ。自治会だって入っている。でも、必要以上に絆を強調されるとウンザリするのよ。

 

困っている人が目の前にいたら助けるのは当たり前でしょう?それを何を今更というか。

絆、助け合いという言葉で、私の家庭のことを興味本位で言いふらされたらたまらないわよ。ボランティアをしている人だって、結局は他人への興味本位なのよ。私、昔、近所のボランティアをしている奥さん達が、それ(ボランティア)を通じて家庭の事情を知り、それをお茶会でベラベラ話しているのを見て、絶対に自分はボランティアに参加しないし、自分も活用しないと思ったわ。

 

結局ね、人を助けると言ったって、それは興味本位でしかないのよ。

人って、個では良い関係が築けても、集団になれば恐ろしいと思うわ。力を誇示したい者、それにおべっかを使う者、いじめる者、いじめられる者etc

 

人間はそんなにきれいなものじゃない。正義があれば良いものでもない。要は距離感だと思うのよ。私は本当に信頼できる知り合いが2・3人いる。それで良いと思っている。地域に助けてもらうこともあるかもしれないけど、私はボランティアに入りたいとも、世話になりたいとも思わないわ』

 

 

 

そのご家族は、近所で行われているお茶会(奥様方の交流会)に誘われ参加した時に、近所の人間関係や家庭の事情を、嫌という程聞かされ辟易したらしいです。

 

その情報源が、ボランティアに参加している奥様からのものだった。

 

自分もボランティアを活用したら、こんな風に家庭の事情まで、赤裸々に近所に言いふらされてしまうのか?

 

そう考えた時に、ゾッとしたようです。

 

だから、ボランティアというものに対して、必要以上に警戒心があり、嫌悪感がある。

 

また、ご自身が幼少期にイジメを受けたことがあり、そのことが集団での活動というものに、必要以上の嫌悪感を増長させているということも話していました。

 

 

 

私は、ボランティアや地域活動は大切だと考えています。

 

そして、その活動を主体的にされている方々を、尊敬しています。

 

『誰かの役に立ちたい』という思いがエゴ(自我)であっても、それを受けて助かっている人がいれば、エゴイズム(利己主義)ではないと思うから。

 

その行動は、自分の利益とか損得ではなく、『地域を良くしたい』というマクロの視点での上に、必要だと思うことを、主体的に実践しているから。

 

 

 

 

自分の一番身近にある共同体で、助け合いをすることは、これからの時代にはなくてはならないものだと考えています。

 

一方で、話をされたご家族のような方々の気持ちを、否定したり訂正する気持ちもありません。

 

話を聴くことができて、今後のボランティアや地域の活動を構築する上で留意しなければならない大切な意見であり、ありがたいと思っています。

 

 

 

地域包括ケアの実現は大変です。

 

それを遂行しようと全力で取り組んでいる人、それを嫌悪する人、興味のない人。

 

そこで大切なことは『個々に対する距離感』だろうと思うのです。

 

そして、ボランティアでもそうでなくても、守らなければならない『守秘義務』。

 

そしてそして、集団生活(マンション・団地・自治会等)のルールを踏まえた『個の尊重』。

 

 

 

何のかんのいっても、人は一人では生きていくことができないのです。

 

それを、社会の利便性にあやかってか、『一人でも生きていくことができる』と思ってしまう人が多いことが、何とも悩ましいと感じています。

 

人間関係って、確かに面倒くさい。

 

ただ、その中(共同体)で生きている私たちは、避けては通れない関係だとも思っています。

 

だからこそ、自身のエゴを知り、他者のエゴを知り、お互いを尊重した上で、『どうすることが一番良いか?』を考えていくことが大切だと思うのですよね。

 

 

 

うーーーん、2回に分けて書いた割には、またしても思っていることがうまく言語化できませんでした。

 

私、まだまだ修行が必要ですね。

 

皆さんは、ご自身のエゴを意識したことがありますか?

 

関わる人のエゴを気にしたことがありますか?


2016-03-23 08:17:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は、紡ぐ会で初の懇親会を開催しました。

 

毎月行われるサミット(勉強会)の中では、必ずグループワークの時間を設けています。

 

これは皆が意見交換をする中で自分の意見を言語化すること・自分以外の意見を聴き視野を広げること・参加者同士の交流を深めていくことを目的としています。

 

その中で、『参加者同士がゆっくり話せる機会を持ってはどうか?』という意見があがり、昨夜、初の懇親会を開催しました。

 

そこで、皆さんが日々、本当の意味でのケアマネジメントを行いたいと思い、自己研鑽の方法を模索していることを、改めて知りました。

 

これに関しては、会長の宮﨑さんが『部会を創って始めよう』と即答。

 

彼の願う『ケアマネジャーが、やらされているのではなく、自ら主体的に研鑽するようになって欲しい』という想いが形になったことが、嬉しかったのでしょう。

 

懇親会では、何度も全体が見える位置に座って、参加者の方々の表情を見ては、一人ニヤニヤしていました。

 

そして、真摯に『どうやったらケアマネジャーがケアマネジャーらしく仕事に取り組めるか?』を、諦めることなく考え、実践する宮﨑さんを、すごい人だなぁ、と改めて感じました。

 

 

 

さて、今日はご利用者宅でご家族と話をした際に、エゴとエゴイズムについて考える機会を持ちました。

 

エゴとは、和訳すると『自我』という意味になります。

 

人は何かの言動を起こす時、何らかのエゴを持っていると思います。

 

それ自体は、悪いことではないです。

 

悩ましいのは、それが、うっかりすると、『エゴイズム(利己主義)』になってしまうこと。

 

そのエゴが、『自分の為だけ』でなく、『周囲のことも考えての為か』を考えることが、とてもとても大切だと思うのです。

 

自分以外の人、相手のこと、周囲のことを考える。

 

それが『思いやり』だと思うのです。

 

 

 

今の社会は余裕がないと言われています。

 

その原因を話し出すと恐ろしく長い文章になってしまうので割愛しますが、悩ましいのは、『忙しい』を理由にエゴイズムに陥ってしまう危険があるということ。

 

効率化と言いながら、自分のことしか考える余裕がなく、周囲への見方が自分を基準になってしまうと、思考も利己主義に陥りがちです。

 

私はあの人に比べて勝っている。

 

私はあの人に負けている。

 

自分だけ得をすれば良い。

 

自分だけ損をしている。

 

そのように、自分の評価を勝ち負けや損得で判断するようになってしまうと、思いやりを持つということは、難しくなります。

 

 

 

私自身、様々な取り組みを行っていますが、全て私のエゴだと自覚しています。

 

だから、自論を振りかざして、他者を強制的に巻き込むことだけはしないように気をつけています。

 

そして、それが本当に世の中に必要とされていることであれば、その輪は広がるし、そうでなければ改めて活動を振り返る必要があると思っています。

 

(もし、私が暴走していたり、違った方向に迷走していたら、その時は止めてくださいね)

 

 

 

ここは、また改めて考えてみたいと思います。

 

きっと私の思考がまとまっていないので、言葉がうまく出てきません。

 

皆さんは、人間のエゴ・エゴイズムや思いやりについて、どう考えますか?


2016-03-20 22:47:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は、大いに反省した出来事がありました。

 

仕事と直接は関係ありませんが、今日、自分の勝手な思い込みで、人を傷つけてしまいました。

 

言葉で確認したり伝えればよいことをせず、勝手に一人で想像しては考え込み自爆した、という感じです。

 

キャパシティーを超えて疲れてしまうと、マイナス思考になってしまうのは、私の悪い癖です。

 

そして、どんなに信頼している人にも、言葉で確認する、自分の気持ちを伝えるということの大切さを、改めて実感しました。

 

起きてしまったことは取り返しがつきませんが、今後、同じ過ちをしないように気を付けます。

 

皆さんは、関わる人とコミュニケーションを上手に取っていますか?

 

 

 

さて、今日は『自己覚知と他人に与える影響』について書きたいと思います。

 

私たちは普段、たくさんの人と接する機会がありますが、その中で、『自分をどのように捉えてほしいか?』ということを、意識的・無意識的に考えて行動していると思います。

 

以前、EQで少し書きましたが、自分自身を知り、自分の感情をコントロールすることは、他者との関係を構築する上で、とても大切です。

 

自分自身を正しく捉えることができなければ、その感情をコントロールすることはできませんからね。

 

 

 

その方法として、私はよく、『自分の気持ちを意識する』ということを行っています。

 

自分がイライラしている時、『なんで私はイライラしているのだろう?』と考えたり、楽しい気分になった時、『なんで楽しい気分になれたのだろう?』ということを考えます。

 

そうやって、自分の中で『快・不快を知る』ということをしています。

 

他にも方法はあり、日記をつける人もいるようです。

 

いずれにせよ、自分の感情の動き(何に反応するか?)を知ることが大切、ということです。

 

 

 

そして、(今日の私は失敗してしまいましたが)感情的になっていたり、気持ちが不安定になっている時は、『敢えて行動を起こさない』ということも大切だと思います(緊急時は別ですよ)。

 

自分の感情が不安定な時は、判断を間違えることが多いからです。

 

 

 

とはいえ、仕事中に『今日は私の感情は不安定だから訪問をしない』というわけにもいきませんよね。

 

そういう時、私は、自分の中で『気持ちを安定するためのトリガー(引き金)』をつくっています。

 

もし、仕事中に自分の感情をうまくコントロールできないことがある、という方がいたら、ぜひ、試してみてください。

 

 

 

やり方は簡単。

 

自分の中で、『これをしたら、私は安定する』と思い込める行動をつくるのです。

 

それは、『事務所の外に出て深呼吸を5回する』でも良いし、お気に入りの飲み物を持っておいて『これを飲んだら気持ちを切り替えられる』でも良いと思います。

 

なんでも良いので、『これをすれば自分の気持ちが安定する』というものをつくるのです。

 

 

 

私たち対人援助職は様々な感情の交換をしています。

 

些細なことではありますが、自分の感情を知りコントロールすることで、相手を正しく捉えることができることができると思います。

 

皆さんは、自身の気持ちを吟味していますか?

 

それをコントロールする術を持っていますか?


2016-03-19 13:55:00

訪問をありがとうございます。

 

今日の関東はあいにくの天気です。

 

午前中は認定調査を仕上げていましたが、腕が疲れてしまったため閑話休憩。

 

皆さんはどんな1日を過ごしていますか?

 

 

 

今日は、『依存的自立』について考えてみたいと思います。

 

この言葉を私は、数年前に知りました。

 

これは、一人だけが超然と立つ『自立』ではなく、他人にもたれかかる『依存』でもなく、また、『誰かも頼らない』と決めつけるのでもなく、『誰かに頼りながらも自分で生きていく』という考え方です。

 

自分が描く生活を実現するために、他者を関与させるという考え方です。

 

まさに、介護保険の自立支援に当てはまる考え方ですね。

 

 

 

『自分の人生を決めるのは自分自身』

 

こうして書くと当たり前のように感じるかもしれませんが、この部分を通じて、ご利用者の自尊心を最大限引き出すことができるのは、ケアマネジャーだと私は感じています。

 

 

 

ご利用者のありのままの姿(存在価値)を認め、ご利用者の描いている『こういう生活を送りたい』という姿を実現するために寄り添い、その姿勢を支持する。

 

そして、『自分の人生を自分で決める』ということを実感していただくには、自己決定が外せません。

 

アセスメントを通じて、ニーズを導く(交渉や誘導ではありませんよ)ことが大切であり、それが『自分ごと』として捉えることができた時に、初めて『自立支援』はスタートすると思うからです。

 

一つひとつの決めごとを、寄り添いながらご利用者自身に決定していただく。

 

 

 

今後の意向を確認した際、『今まで通りに生活したい』と返答された時、ご利用者の感じる『今まで通りの生活』とは具体的にどんな生活を指しているのか?

 

その生活を実現する為に、ご利用者自身にできることは何か?

 

足りない部分は何か?

 

ご利用者自身が感じている現状の把握と、ケアマネジャーの分析を擦り合わせながら、課題を明確にしていきますが、その時に私が気を付けているのは、『ご利用者自身の言葉で話してもらうこと』と、『話を要約して確認すること』です。

 

うまく自分の状況を説明できない方にも、質問を繰り返しながら、一つひとつに答えていただく。

 

それを『理解しましたよ』というサインとして、要約して返す。

 

 

 

例えば、事業所選定の際にも、ご利用者の希望する形態の事業所を絞るために、丁寧に質問を繰り返し、その中で2・3の事業所に絞り、ご利用者に情報提供する。

 

その中で、どの事業所を決めるのはご利用者自身。

 

それらの手間を忘れてはいけないと、常日頃から私は自分に言い聞かせています。

 

 

 

ご利用者・ご家族の殆どは、介護事業所についての知識がありません。

 

その為、『あなたの経験でお勧めのところを教えて』と言われることも、多々あります。

 

その時にですね、『お任せください』と言いたいところですが、私は敢えて3つの事業所を提案させていただいて、それぞれの特徴を説明しています。

 

その中で、どの事業所を選定するかは、ご利用者に委ねます。

 

迷っていたら、見学できるところは見学を勧めます。

 

見学できないところには、会社の理念等を調べてお伝えしています。

 

 

 

はっきり言って、時間も手間もかかります。

 

が、小さいことではありますが、この『自分の状況や思いを自分の言葉で伝える』『自分で決める』という部分をご利用者が行うことは、とてもとても大切なのです。

 

ご利用者自身が事業所を選定(自己決定)すると、その後の支援の受け方も主体的になるからです。

 

ここを、ケアマネジャーが『あなたにはこの事業所が適しています』とご利用者の自己決定を奪ってしまうと、ご利用者は『困ったらケアマネさんに相談すれば解決してくれる』というように、依存の気持ちが生まれ、支援に対しても受け身の姿勢になってしまうのです。

 

 

 

困りごとを聞いたとき、『お任せください』と言ってすぐに解決に向けて対応することは、相手の信頼を得ることができますが、時間はかかっても、一つひとつの決めごとを『ご利用者自身』に決めていただくこと。

 

これが、大切であり、ここを疎かにしない支援をしたいなぁ、と、いつも思っています。

 

本来ならば介護保険など使いたくないが頼らざるを得ないご利用者の気持ちに寄り添い、丁寧に質問を重ねる中で予後予測(見通し)を立てながら、ご利用者自身が、自分の抱えているニーズに気づき、解決に向けて『主体的に決定できるよう』どういう質問を重ねたら良いか。

 

なかなかもって難しい支援の一つだと私は感じており、だからこそ研鑽が必要だと、私は思っています。

 

 

 

最終的に居宅サービス計画書を作成し、支援が提供されれば良いのかもしれない。

 

けど、その中で、どうすればご利用者の持っている力を最大限活かせるかを考え抜く視点は忘れたくないと思っています。

 

 

 

皆さんは普段の支援の中で、どのようにご利用者の力を引き出していますか?


2016-03-18 08:35:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は朝から暖かいですね。

 

天気も良く、最高の提供票配布時期だと思いました。

 

あ、皆さんは提供票、手配り派ですか?通信機器派ですか?

 

いずれにしても、天気が良いと気持ちも向上できますね。

 

 

 

さて、今日もケアマネジメントに全く関係ないことを書いていてしまいます。

 

昨夜ネットで面白い記事を見つけました。

 

それは、『人間関係とお金に対しての考え方は似ている』というものです。

 

 

 

お金を使うことと人間関係には、『エネルギー(感情・意識)を交換する』ということろが共通しています。

 

そして、その『交換しているエネルギーの目的』が重要だと、その記事では書いてありました。

 

 

 

平たくいうと、こんな感じです。

 

お金って、自分のエゴ(欲求)を通すためにある手段ですよね。

 

その『欲求』の部分が重要だということです。

 

お金という『ツール』を使って、何を成し遂げたいと思うか?

 

ここがポイントなわけで、その考え方は、人間関係にも反映されているということです。

 

(あ、自分のお金をどう使うかは個人の自由だと思っています)

 

 

 

お金を使う目的を、何に重きを置いて使っているかで、対人関係にかける目的の傾向も見えてしまうということです。

 

さらに、『お金を稼ぐ』ことを目的としてしまっている人もいますよね。

 

そういう方は・・・。

 

 

 

自分のエゴ(欲望や利益)でお金を使う人は、その得たいものの価値を『欲望を満たすもの』として捉えています。

 

これは、『(自分の)欲望が満たされれば何でも良い』という考え方になりますよね。

 

そして、その考え方は、その時の欲望が満たされると、それに対して価値を感じなくなり、新たな欲望が湧いてきてしまうという・・・。

 

ちょっとわかりにくい説明になってしまいましたが、要するに自分の欲求をお金に乗せてエネルギーの交換をしているというのです。

 

そして、自分の欲求ばかりを考えるお金の使い方をする人は、人間関係も自分の欲求ばかり通すという傾向が強いそうです。

 

『もっと満たされたいという思いが強い』という部分で一致しているから。

 

 

 

もっと細かいことが書いてあったのですが、お金に執着心がない私には、元気をもらえた記事でした。

 

私は、物欲は薄いと思いますが、人との繋がりにはお金を惜しみません。

 

また、お金は魔物だと思っているので、必要以上に執着心がありません。

 

お金はあれば良いだろうけど、生きていく上で衣・食・住に困らなければ、それ以上を貪欲に求めようとは思っていないのですよね。

 

もし、生きていくのに必要以上のお金があったら、家族や大切な人たちと楽しい時間を過ごすために使ってしまうと思います。

 

それを夫と話していたら、『一個人としては共感するけど、利益追求に対しての考え方が低いのは、経営者としてはどうかと思うよ』と言われてしまいました。

 

とほほ。

 

皆さんは、どのようなお金への価値・考え方をされていますか?


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