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訪問をありがとうございます。
私、厚生労働省からのメルマガ登録をしているのですが、昨日入ったメールで『地域包括ケアシステム構築に向けた公的介護保険外サービスの創出・活用』というセミナーが開催されるということを知りました。
月末は予定を空けているので、ちょうど開催日時に予定は入っていない。
場所も電車一本で行ける。
というわけで、29日、大手町でセミナーを受講してこようと思っています。
さて、前回の『エゴとエゴイズム』について、改めて考えてみました。
このことを考えるきっかけをくれたご利用者の家族は、こんな言葉を言われたのです。
(ご家族に掲載の了承は得ています)。
『みんな絆、絆って言うじゃない。あれを聞くとゾッとするのよね。確かに大切なこともわかるわよ。自治会だって入っている。でも、必要以上に絆を強調されるとウンザリするのよ。
困っている人が目の前にいたら助けるのは当たり前でしょう?それを何を今更というか。
絆、助け合いという言葉で、私の家庭のことを興味本位で言いふらされたらたまらないわよ。ボランティアをしている人だって、結局は他人への興味本位なのよ。私、昔、近所のボランティアをしている奥さん達が、それ(ボランティア)を通じて家庭の事情を知り、それをお茶会でベラベラ話しているのを見て、絶対に自分はボランティアに参加しないし、自分も活用しないと思ったわ。
結局ね、人を助けると言ったって、それは興味本位でしかないのよ。
人って、個では良い関係が築けても、集団になれば恐ろしいと思うわ。力を誇示したい者、それにおべっかを使う者、いじめる者、いじめられる者etc
人間はそんなにきれいなものじゃない。正義があれば良いものでもない。要は距離感だと思うのよ。私は本当に信頼できる知り合いが2・3人いる。それで良いと思っている。地域に助けてもらうこともあるかもしれないけど、私はボランティアに入りたいとも、世話になりたいとも思わないわ』
そのご家族は、近所で行われているお茶会(奥様方の交流会)に誘われ参加した時に、近所の人間関係や家庭の事情を、嫌という程聞かされ辟易したらしいです。
その情報源が、ボランティアに参加している奥様からのものだった。
自分もボランティアを活用したら、こんな風に家庭の事情まで、赤裸々に近所に言いふらされてしまうのか?
そう考えた時に、ゾッとしたようです。
だから、ボランティアというものに対して、必要以上に警戒心があり、嫌悪感がある。
また、ご自身が幼少期にイジメを受けたことがあり、そのことが集団での活動というものに、必要以上の嫌悪感を増長させているということも話していました。
私は、ボランティアや地域活動は大切だと考えています。
そして、その活動を主体的にされている方々を、尊敬しています。
『誰かの役に立ちたい』という思いがエゴ(自我)であっても、それを受けて助かっている人がいれば、エゴイズム(利己主義)ではないと思うから。
その行動は、自分の利益とか損得ではなく、『地域を良くしたい』というマクロの視点での上に、必要だと思うことを、主体的に実践しているから。
自分の一番身近にある共同体で、助け合いをすることは、これからの時代にはなくてはならないものだと考えています。
一方で、話をされたご家族のような方々の気持ちを、否定したり訂正する気持ちもありません。
話を聴くことができて、今後のボランティアや地域の活動を構築する上で留意しなければならない大切な意見であり、ありがたいと思っています。
地域包括ケアの実現は大変です。
それを遂行しようと全力で取り組んでいる人、それを嫌悪する人、興味のない人。
そこで大切なことは『個々に対する距離感』だろうと思うのです。
そして、ボランティアでもそうでなくても、守らなければならない『守秘義務』。
そしてそして、集団生活(マンション・団地・自治会等)のルールを踏まえた『個の尊重』。
何のかんのいっても、人は一人では生きていくことができないのです。
それを、社会の利便性にあやかってか、『一人でも生きていくことができる』と思ってしまう人が多いことが、何とも悩ましいと感じています。
人間関係って、確かに面倒くさい。
ただ、その中(共同体)で生きている私たちは、避けては通れない関係だとも思っています。
だからこそ、自身のエゴを知り、他者のエゴを知り、お互いを尊重した上で、『どうすることが一番良いか?』を考えていくことが大切だと思うのですよね。
うーーーん、2回に分けて書いた割には、またしても思っていることがうまく言語化できませんでした。
私、まだまだ修行が必要ですね。
皆さんは、ご自身のエゴを意識したことがありますか?
関わる人のエゴを気にしたことがありますか?