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2023-06-05 00:50:00
自分が高校を卒業したのが1986年ですが、その式典にOBの上岡龍太郎さんが演説に来てくれました。調度前の年の85年に阪神が優勝していて、自称阪神のオーナーを名乗っていた上岡さんが上機嫌で親の悪口を言っていたのを覚えています(笑)。弁護士のお父さんの話やお母さんと占い師の話など、もう40年近く前の話を今でも印象深く覚えています。講談師のような喋りが大好きでテレビ番組もかかさず見ていましたが、パペポテレビの収録は仕事の休みが合えば大坂まで一人で行っていました。確か火曜日収録で朝の9時にドブ川前の読売テレビで整理券が配布されて、また18時に集合みたいな感じだったと思います。何をして時間を潰そうかと考えていると、自分みたいに一人で来ている男性がいて聞けば香川からだと。意気投合したもののどこへ行って良いのか分からず、喫茶店で18時までお笑い談義をしていたのも良い思い出です。紳助さんとのEXテレビも毎週見ていましたが、全盛期の紳助さんが師匠と崇めていたのも頷けます。一度テレビ朝日の関西ローカルで深夜にパフォーマンス大会があり、司会が紳助さんだと聞き友人と出る事にしました。オーディションも受けましたが参加人数も少ないので即採用でしたが、素人は僅かで殆どが若い芸人の卵みたいな人ばかりでした。楽屋の空気に馴染めない自分らに声を掛けてくれたのが紳助さんで、今でも世間のイメージと自分の中ではギャップが有り過ぎて困惑しています。本番の生放送ではもちろんスベリ倒しましたが(笑)、お笑いは見る物だと思わせてくれたのも良い経験です。上岡さんや紳助さんみたいな人がメディアで活躍出来るのだろうと思いましたが、もう少し知性教養があればヒロシヤングの道は行けたかと今でも時々考えたりします(笑)。松本さんも最近は事あるごとに引退をほのめかしていますし、自分が好きだったテレビの人がいなくなるのは寂しい限りです。今はユーチューブもあるのでパペポの最終回や、占い師との毒舌バトルも見返しても良いかも知れません。広島で亡くなった人の霊が見えると言う霊媒師に、それなら広島球場でバースがホームランを打てる訳が無いとの返しは今ではアウトです。テレビが段々窮屈になり言いたい事も言えなくなるのを予見されていたのか、早すぎる引退も本人からしたら当たり前の事だったのかも知れません。ご冥福をお祈りします。