インフォメーション

2020-05-20 00:03:00

馬の合うやつ合わない奴がいるのは大人も子供も同じで、どこにでも気使いの出来ないガサツな人間はいるものです。生まれ持っての気性なのか親や環境のせいなのか、自分が子供の頃を思い出してもイジメっ子やガキ大将が一人や二人いました。今でも覚えているのが昔の京都花月の裏に合った寿司屋の息子で、気性が荒く公園に呼び出しては決闘を申し込んでいたものです(笑)。自分には兄貴がいたので立会人になってもらって適当なところで仲裁が入りましたが、幼稚園は幼稚園なりに問題児がいてもどこまで踏み込んで良いものか難しいと思います。いつも名前が聞かれる問題児がまた何かやらかしたようで、子供にも先生にも自分の思う所は伝えておきました。今の時代に決闘しろとも言えませんが、本人もイヤな事を口に出してアピールしないのもどうかと思います。正直小学生くらいまでなら殴り合いのケンカくらい両成敗で良いと思いますが、幼稚園では徹底的に話し合って解決するそうなのであまり口出しするのもどうかと思います。大人になれば暴力で解決する事は何もなく、話し合いで解決させないといけないのでその練習と思えば早くからいろんな人間に揉まれるのも無駄ではありません。実際自分が働き出してからでも優しく誰からも尊敬される人もいれば、俺らが若い頃はなどと自慢話ばかりする人や、面白い人暗い人キ〇〇イみたいな人と色んな人がいました(笑)。特に調理師の世界は自分が世界の中心みたいな人も多く、当時世紀末だった事もあり世界観はまるで北斗の拳のようでした(笑)。暴力や暴言が支配する世界で力を持たない弱者はどうするのか、実際救世主を待つだけでなく自分から行動しないといけません。愛想笑いの無抵抗主義者でもラオウに怒られるし、暴力や暴言の同じ土俵に立つのも褒められたものではありません。そうならないための環境作りや教育、弱者も必要な時には抗う姿勢を持って一目置かれるような存在になるなど交渉力も持たないといけません。暇でどうしようも無い輩は自分より下に見ている人間か抵抗しない人間を選ぶので、例えば仕事ならその輩より勉強して腕を上げ何も言わせない状況を作れば良いと思います。幼稚園だけでなく学生の場合は同じ学年だけがいる特殊な環境で、狭い水槽によるストレスで共食いする魚に例えられる場合もあります。大海に出ればくだらない事に拘っている暇は無く、それぞれが切磋琢磨して生き残って子孫を残す前向きな生き方が出来ます。社会人の場合色んな世代がいるのでまだ逃げ場がありますが、学生時代を思い出してみてもあの日常の退屈で閉そく感が漂っていた環境では子供も色々ストレスがあるようです。嫁に似て穏やかな性格なのは良い事ですが、世の中良い人ばかりなら犯罪や戦争が起こないのも事実です。自分から他国に攻めろとは言いませんが、せめて自分に降りかかる火の粉は掃えるようにならないといけません。一応子供には護身術も教えていますが、人間の急所や関節のたたみ方などは教育上辞めておこうと思います(笑)。