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訪問をありがとうございます。
昨夜は、当区主任ケアマネジャーエリア研修で、亀戸・大島地区の研修に書記として参加をしました。
18時半からの研修でしたが、14数名の方々にご参加いただき、テーブルを囲んで意見交換がなされました。
『地域ケア会議』と言っても、自治体ごとに進め方は違います。
当区の進め方を主任ケアマネジャーが知ることで、もっと地域ケア会議を有意義なものにしようという想いが、参加者の方々に伝われば良いなぁと思います(ちなみに私は書記と言っても、皆さんの発言を同時進行でデータ入力しているだけです)。
後は明日開かれる砂町地区のエリア研修のみ。
その後、翌週に主任会議を行い、全員で振り返りと法人化に向けての話し合いが進みます。
こんな感じで手探りで進めている状況ではありますが、コアメンバーを始め研修に参加してくださる方々も、受け身の方はおらず、全員主体的に参加してくれる状況をありがたいなぁと思っています。
そして!!!
その研修中に夫から電話がありました。
夫が私に電話をしてくることなんて、半年に1回あるかないかの出来事です。
で、研修終了後の帰り道で折り返しの連絡をしたのですが、なんと、長男が私立受験に合格したとのこと☆
…とはいえ、我が家は3人子どもがいることと長男自身が勉強大好き人間ではないようなので、今回の受験はいわゆる『受験慣れ&滑り止め』です。
本当は県立一本でいく予定だったらしいのですが、中学校の先生に『受験って慣れもあるから、一校くらい私立も受けておいた方が良いよ』と提案を受けての受験。
私自身、彼がどの高校を受験したのかよくわかってませんが合格は嬉しいこと。
『おめでとー』と長男に伝えつつ、心の中で「本命までは気を抜かないでね」と祈っていました。
ちなみに公立高校は、自宅から一番近いという理由で選定していた長男。
大丈夫かどうか、今さらながらヒヤヒヤしています。
自分のことは覚悟と勢いでどうにでもなりますが、家族など他人様のことは自分じゃどうにもできません。
このジレンマたるや、なんともはや☆
気にしても仕方がないので、できるだけ考えないようにしていますが、そっと通帳を眺めては『最悪…なんとかいけるか!?』と考えてしまう自分に気づき、人並みに親としての自覚があるんだと、改めて気づきました。
きっと、2月か3月に県立受験だと思うので、それまではできるだけ長男の邪魔をしないようにしたいものです。
訪問をありがとうございます。
今年に入ってから、毎日をご機嫌に過ごすため、良い言葉をたくさん言うようにしようと意識しているのですが、徐々にその効果が現れてきているなぁ~と感じています。
まぁ、自己満足ではありますが、周囲にご迷惑はかけていないので、今年一年は悪い言葉を言わずに、良い言葉を伝えていくよう意識したいと思います。
さて、突然ですが、私は本を読むのが好きです。
人様から勧められた本はたいてい読むようにしていますし、しょっちゅう本屋に入り浸り、ひらめいた本(こういうのがあるのです!)があると購入してしまうくらいです(最寄り駅前にある本屋は深夜1時まで営業しているので、とても助かります)。
…とそんな状態なのですが、先日、とある本を勧められました。
それが、写真に挙がっている本で、『あやうく一生懸命生きるところだった』という本です。
この本は、韓国のイラストレーターの方が書かれた本なのですが、テンポが軽く読みやすいです(エッセイ)。
“さすがダイヤモンド社!”と言いたくなるくらいに、協調部分を太字にして読みやすくしてあるし。
そんなわけで、1時間もかからずに読み終えてしまい、何だか不思議な気持ちになった私です。
で、なんでこの本を紹介したかについてですが、善し悪しは別として、今後は彼のような生き方が流行ると思うのです。
介護業界は万年人手不足なため影響は関係ないかもしれませんが、昨年からの大企業を中心とした早期退職勧告が、現在も粛々と進められています。
昨年1月から11月の上場企業早期・希望退職者の募集人数は、既に1万人を突破しています。
また同時に、時代の流れをみた時に、生産性を中心に退職勧告を出しているようで、主として40~50代がターゲットになっているとのこと(つくづく就職氷河期世代はツイていないと思ってしまう…)。
そんな中、筆者(40歳)は、競争社会に疑問を感じ、会社を退職して自分自身を見つめ直すということをしており、この本はその様子を書いた本なんですね。
内容は、『無理してやる気を出さない』『必要なのは失敗を認める勇気』『「やりたい仕事」なんて探しても見つからない』『そこまで深刻に生きない』『何もしない1日を大切にする』…等々。
韓国では25万部を突破する売れ行きで、“心が軽くなった”“共感だらけの内容”“辛さから逃れたいときにいつも読みたい”と、共感・絶賛の声が相次いでいます。
内容は、日々の中での気づきを書いているのですが、これが『当たり前のことを心に響くように語ることがうまい!!!』と思いました(著者は読書好きらしいです)。
これから大量に出てくるであろう人生の迷子になる方々・なりそうな方々には、読んでいただくと気持ちが軽くなるかもしれません。
そして、私はこの本から『あ、この思考は今後、アジアのマジョリティになるな』と思ったし、それを踏まえて『成熟期の後の社会は、ユルいつながりの上に成り立つお一人様社会なんだな』ということを実感した次第です。
本当にさらっと読める本なので、お時間のある方はぜひ☆
訪問をありがとうございます。
昨日・今日と2日の休みが取れたので家でゆっくり過ごしていた時、子ども達に言われた一言。
「お母さんって、ちゃんと仕事しているの?」
「ちゃんとしているかはわかりませんが、周囲に助けていただきながら、おかげさまで食べれるくらいには稼いでいますよ」と返答したのですが、子ども達は私を『いつも寝ている人』と認知しているらしいということを知りました。
まぁ、『いつも忙しい人』と思われるよりかは良いかもしれませんが、それにしても、子ども達から心配される親っていったい…。
さて、そんな状況ですが、一昨日の金曜日は、介護支援専門員更新研修を1日受講し、終了後、江東区に戻り、主任ケアマネジャー協議会のエリア研修に参加をさせていただきました。
今回は、『地域ケア会議について考える』というような内容で進めており、最初に包括の職員から地域ケア会議についてのあり方等を説明し、その後、実際の運営に対してどうしたらもっと良くなるかを含めて、全員から感想を聞きました。
地域ケア会議って、本当はとても有効なものになるはずなのに、なかなか個別課題から区の施策に持っていくことは難しいのかなぁ~、なんて考えていた私ですが、そのエリア会議に参加することで、『なぜ地域課題や施策まで発展することができないのか?』の理由が見えた気がします。
この研修は3か所で行われるので、あと2回の会議にも参加して、もう少し様々な意見や考え方を聴きながら、良い方法を模索したいと思っています。
それから、金曜日は研修5日目だったのですが、初めてメンバーの中に『やる気のない人』がいました。
私は『一生懸命取り組んでいるけど成果が出ない』というのは一向に腹が立ちません。
が、『そもそもやる気のない人』に対しては、『同じ空気を吸いたくないなぁ』と感じてしまいます。
たまに『更新研修なんて受けるだけ無駄』という方もいますが、もったいない考え方だなぁと思うのです。
現在の更新研修は、実習という形のグループワークに多くの時間を割いており、一方的に『あるべき論』を押し付ける形ではありません(現に6日間のうち、座学は2日間だけ)。
残りの4日間は、受講者各人が事例を持ち寄り検証し、そこから研究課題にまで展開していくという『ケアマネジャーの普遍化と体系化』を学ぶ場となっています。
そのせっかくの時間を『無駄な時間』として、参加しているふりをしながら全く意見を出せない人を見ていると、『あぁ、このモチベーションが、自分で自分を貶めていることに気づけばよいのに』と残念な気持ちになります(当人には言いませんが)。
私は、一般的に研修というものは『そこに参加する人たちが意味のあるものにするか意味のないものにするかを決める』と考えています。
主体的に参加すれば、どんな内容であっても一つくらいは『お土産のなにか』を持ち帰ることができるし、最初から義務感や受け身で参加すれば、『単なる研修の評論家』で終わり、何も得るものはないということになると感じています。
ケアマネジャーという職種は研修の多い職種です。
だからこそ、どうせ受けるなら主体的に参加した方が、自分も周囲も良い結果を生み出せると思うのですよね。
そして、そういう人が増えた時、ケアマネジャーは社会にとっても(社会的地位と報酬面の両面で)認められる職種になるのではないかな、と思いました。
皆さんは、日頃開催されている研修の類に、どのようなモチベーションで参加をされていますか?
訪問をありがとうございます。
昨日は、東京中小企業同友会という会の江東支部3月勉強会講師と打ち合わせのため、台東区の集いに参加をさせていただきました。
これは、昨年会議後の懇親会メンバーで勉強会を企画・運営することになったのですが、その時に『占い』の話になったのです。
そこで、講師はよく当たると言われる、コンサル兼易者もしている方にお願いすることになりました。
お恥ずかしながら私はこれまで40年以上、占いという類は一切信じていませんでした。
…というのも、最初で最後の占い経験が、友達に連れて行かれた『呑んで占ってもらえる飲み屋』だったからです。
そこでの話はあまり良い話ではなく、根拠もわからないまま恐怖感を植え付けられた印象しかなかったのですよね。
で、当たる当たらないはともかく、『これは私には合わないなぁ〜』と思い、占い系のものとは距離を置いていたのです。
が!!!
昨日は、本当の意味での占いを知ることができました。
そして、10年以上前に一度の経験で興味をなくした自分を反省しました。
本当の占いって、過去の歴史に裏付けされた根拠ある学問だったのです。
その方は、財閥系の偉い方々もたくさんみており、結果も出しています(占いができるからコンサルに繋がっている)。
で、ですね、私がなぜその方の話に感銘を受けたかというと、『日本に昔からある大切な習慣を重んじる』からなんです。
未来予測は占いですが、日々の行いが『道徳』に通じるものであり、『先を知ることは大切だけど、先ずは自分の日々の言動を振り返り、感謝しながら過ごす大切さ』に、改めて気づくことができました。
よく経営者の方々は神社にお参りに行くということは知っていましたが、それらも『単なる神頼み』ではなく、感謝と自分の覚悟を伝えるためなんだということを知りました。
そして、打ち合わせをしながら、3月の勉強会が楽しみになりました。
訪問をありがとうございます。
今日は、14時から当区ものづくりブランド認定式に出席させていただき、その後、16時から過去の受賞者含めて交流会に参加(今年度の受賞者含めて42社あるとのこと!)し、18時から地域の方々との小さな新年会に参加しました。
13時に昼食を摂り、16時から21時までずっと食べっぱなしだった私☆
あぁ、体重計にはここ何年か乗っていませんが、とてもとても怖いです…。
さて、今日一番心に残った話は、最後に参加した小さな新年会での話です。
多分ですが、私は70代以上の方々とのコミュニケーション率が異常に高いです。
そして、そんな自分を幸せだと思います。
なぜなら、彼らはたくさんの知識と経験を持っているから。
好奇心の塊である私は、様々な方から見た景色の話をたくさん聴くことで、過去の事象をできるだけ正確に捉えたいという欲望があります。
そして、そこから様々な妄想空想に耽るのです♡
そんなわけで、今日もたくさんの話をしたのですが、今夜のメンバーの尊敬しているところは、『自分の意見を絶対視していない』ところです。
以前、ふとしたことから、『自分の考えを絶対とする正義は危険だよね』という話をした際に同意してくださった方々です(いや、意外に自分の正義を絶対とする方って多いのです)。
自身で軸は持ちつつも、他人の意見も自分と同じように大切にする方々との交流は、本当に学びも多くて得るものがたくさんあります(ありがたい!)
で、今夜は先日ニュースで取り上げられていた、渋沢栄一さんの『論語と算盤』から話を展開させていただきました。
そのニュースでは、若い方々から私と同年代のコメントが多いのですが、彼らは渋沢栄一さん自身と、彼の主張する『論語(道徳)と算盤(経営)は相容れない存在ではないとし、バランスが大切である』ということに、大絶賛・共感の嵐でした。
で、ですね、私はその風潮にちょっと違和感を感じたわけです。
『ここで共感している方々のどれだけが、本当の意味の道徳を知っているんだろう???』と。
道徳って、時代と共に変わるものもありますが、普遍的なものもあります。
渋沢さんが書いている道徳は後者なのですが、それは、『親や年配者を敬いなさい』とか、『みんなのためを考えて行動しなさい』とか、『信頼を得る行動をとりなさい』とか、『良心的に生きなさい』とか、そういう日々の基本的な心掛けのことです。
ちなみに、私が本当の意味で道徳を腑に落として理解できたのは、就職して年配者(当時は明治生まれの方々もたくさんいた!)と接してからです。
多分、高齢者と関わる仕事に就かなければ、本当の意味の道徳を学ぶ機会はなかったと思うのです。
そんな振り返りをした後、改めて現在の社会の状況を観察すると、『親は友達』であったり『年配者をオジサン扱い(ウザい)』したり、『ネットでは複数のアカウントを使いこなす』であったり、『個人主義と自己責任が進んでいる』状況。
さらに言えば、SDGsや社会貢献やジェンダー問題(人権)等々、なんとなく『良いことしているな感』満載の言葉はたくさん出ていますが、大半がキラキラしたインスタ映えする取り組み系であり、それらを否定するつもりはないのですが、基本的な道徳を意識し生活していたら、わざわざ彼らが声高に主張する必要はないのではないかと思ってしまうわけで。
つまり、今の方々にとっては、『道徳の実践』と『社会課題の解決』がイコールになっていないのではないか?ということです。
で、そんな話をお二人にしたところ、第一声は、『あぁ、彼は下半身をみないで上半身だけだったら素晴らしい人だよね』という返答が返ってきました(確かに…)。
で、道徳の話をすると、『確かにそうかもね。今は知識人のある人は昔より多いかもしれないけど、物事を疑ってかかったり自分の頭で考えたりすることができる人は減っているからね』とのこと。
道徳を実践している人から経験値に基づき教えてもらうのと、いわゆるネットで『道徳』と調べて出てきた文字を読むのとでは、同じ『道徳』という意味を知っていても、腹落ち度は違うかもしれないということに気づき、なんとなく感じていた違和感が払しょくされました。
なるほど☆
最近の社会貢献が、ボランティアからイベント化しているのは時代の流れで、それは道徳の変化している部分なのだと思います。
そして、変わらない部分の道徳に関しては、できれば道徳を実践している世代の方々から直接話を聞く機会が私たち以下の世代にあったら、もっと今より優しい社会になるのではないかな、と感じたのでした。
いやぁ、本当に楽しいですよ☆