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2019-02-23 07:38:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は有志の勉強会を行いました。

 

日中はサービスBで元気をもらい、午後は包括の方に今後のサイトについて説明を行い、夜は勉強会☆

 

毎日、皆さんに元気をいただける環境に感謝感謝ですね♪

 

 

 

 

さて、私はいつも『どうやったら、過ごしやすい社会がつくれるかなぁ~』ということを考えているのですが、今日から3日間かけて、実際の取り組み行動を書かせていただきます。

 

まず今日は、地域活動から。

 

本年度の冊子作成につながるサイトの全体構想が、だいぶ決まってきました。

 

WEB担当の方と話し合った結果、『サイトに団体紹介をする時は、冊子のデータをそのまま使うよりも、もう少し文字数を増やして利用料金等も細かく書いた方が良いかも』というご提案をいただきました。

 

そのため、大カテゴリと中カテゴリ項目を送り、さらにエリアも当区を4分割ではなく7分割位にすることが決まりました。

 

また、5月以降は私が各団体さんを廻って取材をさせていただこうと目論んでいるのですが、その際の動画とテキストの挿入ができるように予め設定していただいたり、イベント告知等の発信方法も決まりました☆

 

時間はかかりますが、見やすさ・使いやすさ・楽しさを追求しながら進めています。

 

 

 

 

ボランティア・サロン・地域活動(防災・緑化・町内会等)・就労・学び。

 

区内でこのカテゴリの情報を一度にみることができたら、地域住民の選択肢は向上し、無理なく自分に合った場を選択できると思っています。

 

以前から書いていますが、『何らかの理由で社会との関係が途切れることがなければ、健康寿命は延伸できる』と信じているので、どうせ長生きするなら楽しんで行っていただきたいというのが私の願いです。

 

そして、高齢者が楽しんで過ごしていれば、それが次世代の人たちにとって明るい将来像を描かせてくれると思うのです。

 

これからもたくさん試行錯誤することはあると思いますが、挫けることなく楽しみながら取り組んでいきます☆


2019-02-22 07:24:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日はケアマネジャーとして活動をした後、社内勉強会(事例検討)に参加、その後、主任ケアマネ会創設に伴う深川北エリアの意見交換に『書記として』参加をさせていただきました。

 

日々、様々な意見を聞かせていただき勉強になります。

 

 

 

 

さて、今日はちょっと真面目な話を書かせていただきます。

 

数日前(だったかな?)に『今は時代の過渡期』と書かせていただきましたが、格差社会や超高齢社会を始め、様々な課題が噴出しています。

 

たくさんの会議で議論がされていますが、(医療・介護保険に関する動向を確認する限り)課題の根本解決を議論するのではなく、出て来た課題に対して対処療法的に解決策を決めてしまい、結果、制度自体がぐちゃぐちゃになってしまうという現象が、大分昔から起きています。

 

そして、それがどうにも整合性を取れないというか、その場限りのつじつま合わせでは立ち行かなくなっているのが今だと私は感じています。

 

これ、本当に何とかしなければ現場は不条理で一方的な押し付けに参ってしまい、できる人や頑張る人ほど疲弊し、結果、質の低下を加速すると危機感を抱いているわけです。

 

 

 

 

昔、『増やすのは簡単だけど、減らすのが大変なものはなぁに?』というクイズを受け、『体重!』と即座に答えたら、答えは『ルール』だったのを思い出しました。

 

私は、現在の介護保険が使いにくいものになってしまった理由は『変に細かすぎるルールがあるから』だと考えており、さらに『ルールを守ることが目的化している』からだと感じています。

 

では、なぜ変に細かいルールができてしまったのかというと『関係者に自分で物事を判断する力が低下しているからかもしれない』とも考えています。

 

そもそもルールというのは『多様な考え方の人たちの集合体の中で、皆が気持ちよく過ごすための決めごと』なわけです。

 

また、ルールは『現状と照らし合わせた時に不合理であった場合は修正することが大切』だと私は考えています。

 

そして悩ましいのは、『(ルールを使っている現場の人間が)感覚値では“これ変だぞ”と思っていても、それを言語化する力が弱い』ことと、『ルールになった瞬間にそれが現場にとって良いものか考えることなく受け入れてしまって、考える力が低下していること』だと感じています。

 

つまり、『社会をよくするためのルールに縛られ不自由になっている現状に疑問を持たない、持ってもそれを言語化できない』ことが、現場の悩ましい課題だと思っているのです。

 

 

 

 

私の肌感覚ですが、一部の利権に執着する方々を除いて、大半は『社会を良くしよう』という視点でルールをつくっていると思います。

 

現場も『一人でも多くの要介護者の課題を解決したい』と思って、日々頑張っているわけです。

 

が、お互いが真剣に今後を良くしようと頑張っているのに、どんどん悪い方向に流れていってしまうこの現状。

 

そして、疲弊し考えることすら放棄し、『どうせ、国が勝手に決めるんでしょ』と投げやりになってしまう現状。

 

想像に難くない光景だと思いますが、『じゃあ、この現状を踏まえてどうしたら良いのか?』について考えています。

 

その答えは、介護保険が中央集権的な一律制度でなく、地方分権型であることに起因すると考えているのですが、長くなったので今日はここで終了とします。


2019-02-21 07:24:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日はありがたいことに、寒さの和らいだ一日だったのですが、私は一日中目に違和感がありました。

 

痒いような、腫れぼったいような、何とも言えない不快感です。

 

花粉症だったら辛いなぁ〜と思いながら過ごしましたが、皆さまは花粉症、大丈夫でしょうか?

 

 

 

 

さて、今日は目の話から思い出したことを書かせていただきます。

 

以前、とある本に書いてあったことですが、伝統芸能である能には3つの視点が必要と言われています。

 

我見:自分からお客を見る視点。

 

離見:お客から自分を見る視点。

 

離見の見:俯瞰して全体を見る視点。

 

 

 

 

これは非常に大切な視点だと思い、私は意識することが多いです(テレビの画面切り替わりの感覚で、楽しみながらできます)。

 

我見は皆普段意識せずに使っていますが、離見を持つことで自分自身を客観視できる他、相手の反応も観察(我見)しながらコミュニケートすることで、自分と相手の差異に気づくことができます。

 

そして、離見の件については言わずもがな…ですね。

 

この3つの視点のうち、一番難しいのは離見の見と言われていますが、私は離見が一番難しいです。

 

もし、興味があれば、今日明日と「我見・離見・離見の見」の3つの視点を意識して過ごしてみてはいかがでしょうか。

 

おもしろい発見があるかもしれません☆


2019-02-20 07:27:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は、同友会の勉強会に参加しました。

 

日々精進ですね。

 

 

 

 

さて、私たちの仕事は『コミュニケーション』という言葉をよく使いますが、この言葉の持つ意味や役割について今日は書いてみたいと思います(仕事上のコミュニケーションについてです)。

 

コミュニケーションとは、『意見の異なる人たちと議論をしながら合意形成をしていく能力』を言います。

 

これは、『人の意見を聞く能力』+『自分の意思・意見を人に正確に伝える能力』が必要なんですね。

 

私たち福祉職は、もしかしたら『人の意見を聞く能力』は研鑽しているけれども、『自分の意思・意見を人に正確に伝える能力』はおざなりにしてしまっているかもしれないと反省しました。

 

そして、少しでもアウトプット力を高めるために、こうしてサイトを書いたりしているのですが、日々勉強だなぁ~、と感じています。

 

皆さんはコミュニケーション力を向上したいとか考えますか?

 

なにか工夫していることはありますか?


2019-02-19 07:36:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は久しぶりに飲みすぎ、キッチリと二日酔いになっている私です(おかげで(?)サイトの更新は登録したつもりで下書き保存になっているし)。

 

改めて飲酒はほどほどに、と思いました☆

 

 

 

 

さて、私は観察をすることが好きですが、人っておもしろいなぁ~と、つくづく思います。

 

尊敬する山岸俊男先生が書かれていたのですが、『日本人は他人を集団で括る傾向が強いが、その時に自分はその括りに入っていないと思う人が多い』とのこと。

 

本当にその通りだな、と思います。

 

私自身はカテゴライズすることに是非の感覚はないのですが、何というか昔から『普通』に憧れています。

 

いや、普通って本当にすごい技術だと思うのです。

 

変わっているでも、ちょっと変でも、素晴らしいでもなく、『普通』ですよ。

 

小さい頃から普通を目指して日々生きている私からしたら、他人様と同じカテゴリに入れてもらえるなんて羨ましい!と思いつつ、『そもそも普通ってなんだ?』ということを考え始めてしまいました。

 

 

 

 

で、ですね、私が普通を目指している話はどうでも良いのですが(?)、最近特に感じることがあります。

 

それは、『自分と同じように他人に優しくなれたら、世の中はもっと過ごしやすくなるんじゃないか』ということです。

 

基本的に、日本人は他人を信用することが苦手とされています(歴史でも他人を信用する必要のない社会だったので)。

 

社会が成熟し、今までベルトコンベアーだった教育制度や社会システムが急激に変化し、ダイバーシティという言葉とともに、自由が蔓延するようになりました。

 

これって一見良いことのように思いますが、人によっては急に自由と言われ、『自由と責任を押し付けられた!』と思う人もいるかもしれないと思う今日この頃。

 

そして、その状況が画一的だった国民性を崩し、普通が無くなってきた今、一定の方々にとっては、他者の行動(他の人はどうしているんだろう?)が異常に気になるようになっているのではないかと思うわけです(回りくどい書き方ですみません)。

 

そして、私はこの『他者の行動に対して気になり方』の視点が、あまり優しくはないと感じているのです。

 

 

 

 

今日はいつもに増して文章表現がヘタですが、何が言いたいかというと『自分を特別だと思ったり大切だと思う気持ちと同じくらい、他人に優しくなれたら良いよね』ということです。

 

個々の差異なんて自分が思っているほど大したことではなく、必要以上に自分を大切にしなくても良くって、他人と比較しなくても良くって、自分を大切に思う気持ちと同じくらい他人を尊重する。

 

これが、すごくシンプルで美しい生き方だと思います。


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