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2019-02-08 07:26:00

訪問をありがとうございます。

 

私は時々頭痛が起きることがあるのですが、もしかしたらカフェインのせいじゃないかと気が付き何となくショックを受けています(カフェで黙々と勉強するのが唯一の楽しみなもので)。

 

そんなわけで、コーヒーはほどほどにして、オレンジジュースを飲みながら過ごしている私です。

 

 

 

 

さて、昨日は久々に二宮金次郎さんについての本を読みました。

 

彼の名前を聞くと、小学校の像を思い浮かべた方も多いでしょうが、その二宮金次郎さんです。

 

で、ですね、何でそんな本を読んでいるのかというと、当時(江戸時代)、彼は地域復興を担わされていたんですね。

 

これって、ある意味、現在の社会保障改革に通ずるものがあると思っていて、彼はどんな感じで進めていたのかということに興味を持ったことがきっかけで本を買い、数回読み直しています。

 

 

 

 

何度読んでも素晴らしい方です。

 

ちなみに、基本スタンスとして人道主義であることは周知の事実ですが、復興をするにあたっては、徹底したデータ重視主義なんです。

 

また、1つの取り組みには最低10年はかけ、その取り組み以外は一切行わず、自身の財産を投げうってでも真剣に取り組む。

 

とんでもなく根気がありストイックな方です。

 

 

 

 

で、今回の読み返しで彼から教えてもらったことは3つです。

 

1つは『工夫すること。物事を見つめなおし、人間の理である知恵を加える癖をつけること』です。

 

もう一つは、『長期目線を忘れない。結果を急ぐのではなく長い目で見て、できることにコツコツ取り組んでいく』。

 

最後は、『先人のもたらした言動の良いところは取り入れ、さらにそれを拡大発展させることは社会的にも良いこと』です。

 

 

 

 

私は人の善意を上手に引き出せれば世の中はうまく回ると信じています☆

 

今は地域づくりという壮大なテーマで様々なことを考えながら取り組んでいますが、とはいえ結果がわかりにくい分、時々挫けそうになることもあります。

 

そういう時は、偉人の本を読んでは元気をもらっているのですが、先人の良いところはお手本にさせていただき、うまく取り入れながら、私は私のできることにコツコツと取り組んでいきたいと、改めて思いました。

 

あ、楽しみながらです~♪


2019-02-07 07:22:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、午前中に銀行の方に資金の相談を行い、午後からは健康マージャン、夜は中小企業家同友会の例会に参加をしてきました。

 

 

 

 

さて、先月地域活動をしている仲間に『指定の会議に参加して助け合いの冊子を配ってきて』と頼まれ、一昨日は新橋で行われた会議の聴講をしてきました。

 

で、ですね、その会場には厚生労働省老健局長がおられまして。

 

内容が、認知症と地域創生の話だったため個人的に興味があり主体的に参加をしたのですが、招待してくださった方の配慮で名刺交換をさせていただくことになりました。

 

驚いたのは、地域仲間が当区の冊子を事前に老健局長に渡してくれていたようで、挨拶をしたとたんに、『あ、冊子の。あれ、今春だそうとしている資料の一部に使っても良いですか?』と話を振られました(いや、お仲間は私に何かそのようなことを言ってくれていたような気もするのですが、しっかり聞いていなかったのです)。

 

基本的に私は軽い人間なので『著作権フリーなのでご自由にどうぞ~』と返答し名刺を交換したのですが、地域の仲間が会議に参加しろと言ってくれた意味が、よく分かりました。

 

持つべきものは仲間ですね☆

 

 

 

 

という前置きの上での話ですが、お恥ずかしい話、私は一般社団の名刺を持っていません。

 

というのも、そもそも名刺を持ち歩く習慣もなければ、相手からよほど催促されない限り交換する習慣のない私にとって、名刺は単純に『名前と連絡先がわかればいいじゃん』という程度のものです。

 

所属や肩書は全く興味がないため、この2年間1回も一般社団の名刺を作らずに『あ、今は株式の名刺しかなくて・・・』とごまかしていました(いや、本当に社会人としてダメダメだと猛省しています)。

 

で、ですね、今回も名刺交換の際、いつものように『あ、一般社団の名刺忘れた』と言って渡したのですが、とある方の肩書きを読んでビックリ!。

 

名刺の所属機関以外に5つの団体が左下に明記されており、その所属団体の中に一つに『一般社団法人日本トイレ協会』という組織がありまして。

 

日本トイレ協会???

 

日本トイレ協会!!!

 

ほら、なんというか、そういう名前を聞いちゃうと、がぜん好奇心が湧くじゃないですか(何か分からないけど、小学生に戻った気分でワクワクしちゃいました♪)。

 

そこで、お願いして『日本トイレ協会』の名刺もいただいちゃいました。

 

 

 

 

そして、その時に気づいたのです。

 

『今まで社団で知り合った方々は、後から見返した時に私の株式の名刺を見ても、私のことは思い出さないかもしれないなぁ』ってことに。

 

一方で、名刺を持参する習慣すらない私が2種類もの名刺を使いこなせるわけがなく、どうしようか考えた結果、この次から印刷する時は、株式と一般社団の両方の名称を書くようにすることにしました。

 

あ、ちなみに日本トイレ協会では、別にトイレを鑑賞し『う~ん、このフォルムが素晴らしい』とか、そういうことをする団体様ではないです(生活に密着したとても立派な活動をされています)。


2019-02-06 07:25:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は、午前中にケアマネ業務を行った後、午後は18時までとある方の紹介で会議を聴講させていただきました(ケアマネとは全く関係ない会議です)。

 

同じ立場の方々が集まり、課題に対して専門家から講義を受けた後に質疑応答やお互いの意見交換を行う様子をみて、勉強になりました。

 

やっぱり、インプットとアウトプットが同時にあることは効果的ですし、同じ立場の方々が集まることで、知恵を出し合えるというのは良いことです。

 

マネできる部分がたくさんあるなと思いました。

 

 

 

 

さて、今日は『視点を変えてみる』ということについて書かせていただきます。

 

以下は、10代の頃学校の先生としたやり取りです。

 

『円錐(えんすい)って横から見たら何に見える?』→さんかくですよね。

 

『じゃあ、下からみたら何に見える?』→まるですよね。

 

『斜めからみたら何に見える?』→円錐ですよね。

 

『こんな感じで、物事って見方によって変わるんだよ。だからどんな事象も、自分の見える景色が絶対ではないかもしれない。相手にとってはどんな見え方をしているのかを考えることが大切なんだ』

 

『その想像力を持ってコミュニケーションを取ることが優しさだと先生は思う』

 

普段、ぼんやりしている先生で、私もこの先生の顔は何となくしか覚えていませんが、この言葉だけはずっと忘れることなく覚えています。

 

そして、こういう様々な角度から物事を考える力というのは、実は社会でとても大切なスキルの1つではないかなぁ、と感じている今日この頃です。

 

 

 

 

あなたからみえる社会の景色はどんな感じでしょうか?


2019-02-05 07:15:00

訪問をありがとうございます。

 

一昨日から年金について書かせていただいていますが、これは私の目から見た意見なので正解ではありません。

 

『あ~、そんな考え方もあるんだ』という程度に読み流していただけたら幸いです。 

 

 

 

 

さて、先日の続きになりましたが、私はこれからは、『定年制』と『終身雇用』という働き方を変えた方が良いと思っています。

 

なぜなら、個々の健康状態や懐事情は様々なのに、一律的に『この年齢になったら退職です』とするのは、少し乱暴な気がするのです。

 

そして、この『定年になったら一律退職する』というシステムが、定年後に活躍の場を持っていない元気な人たちの健康状態を悪化させていると思うのです(医療費や介護費が過剰にかかる)。

 

じゃあ、どんな働き方が良いのかと言うと、『一律の定年制を撤廃して、多様な働き方を認める社会』になれば良いなぁ、と思っています。

 

既に導入されていますが、勤務時間で会社に拘束するような働き方をなくし、正規雇用・非正規雇用という種別自体を無くした方が、企業にとっても働き手にとってもハッピーになると考えています。

 

家族を養ったり、自分のやりたいことの為にお金の必要な人はバリバリ就労する。

 

子育てに重きを置きたいと思ったり、身体機能は低下しており毎日フルタイムは大変。だけど、自分の何十年培ったスキルを、社会に役立てたいという人は、緩い就労ができる。

 

企業も、欲しいスキルをピンポイントで募集できる形を取れる。

 

お互い本当に必要な部分をマッチングできる就労体制・雇用形態がもう少し進んでほしいと考えています。

 

これは、仕事を受動的に行っている人にとっては、ある意味不安を増長するかもしれませんが、自分の本当にしたいことを考えたり、それ以上の効果はあると思うし、個人が企業とスキルを交換する形というのは、本来の雇用の姿だと思うのです。

 

年金支給額は、受給開始時期に合わせて1年ごとに支給率を出し、『もう、働くことはいいかな』と思ったら、いつでも受給できるようにするスタイルが、一番良い状態だと思うのです(受給開始を遅らせたら、その分毎回多く受給できる仕組み)。

 

つまり、マス的に年金支給を捉えるのではなく、個々に合わせた形で支給する仕組みにすれば、年金に合わせてまだ働けるのに社会に出ることを諦めたりする必要はなくなると思うのです。

 

これは法律を変えれば良いだけの話で、難しいことではないです。

 

それが本来の年金の役割である『退職後の不安を補う形』なのではないかな、と思うのです。

 

 

 

 

一方で、仕事というものは早々に引退した後は、地域で活躍する場の整備も必要だと考えています。

 

昔は家族の中で担える役割がありましたが、今は独居世帯が増えており、家族間での役割を担うことは困難な方もおられます。

 

そういう方々が、居場所を持てず健康を持て余すことのないように、『無理のない範囲で地域に貢献する体制』を整えることが大切だと思っています。

 

つまり、『元気なうちはお金が欲しかったら働きましょう。仕事という責任の伴うことが困難になったら、ムリなく活動できる場を持ちましょう』というわけです。

 

この仕組みが滑らかに当たり前にできる社会に転換できたら、いわゆる廃用症候群(動かないことによって心身の機能が低下する)というものは減り、皆がいつまでも自分に合った活躍の場を持ち、元気に過ごすことができると思うのです。

 

それが、本当の意味での“その人らしい生活を支える”ことにつながるのではないかなぁ~、と私は考えています。

 

そして、この循環を上手に創ることができれば、日本はこれから超高齢社会になっても、少子化が進んでも、社会保障費に過剰に悩まされることはなくなると思っています。

 

 

 

 

どうにかして、この仕組みを美しい形でつくりたい。

 

その想いで現在は地域に関わらせていただき、無い知恵を絞って形にしようと目論んでいます☆


2019-02-04 07:26:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は約束通り長女とデートをしてきました。

 

いや、正確には『部活に行っている反抗期の長男以外の家族全員でのお出かけ』というか。

 

夫と次男が『二人で遊びに行くなんてズルい!』と言い出し、結局家族で出かける羽目になりました。

 

 

 

 

さて、昨日の続きですが、社会保険の年金について書かせていただきます。

 

昨日は定年と支給開始時期について書かせていただきましたが、今回は『そもそも、なぜ年金が必要なのか?』という話から始めさせていただきます。

 

サラリーマンの増えた社会の中で『定年』ができ、それが『仕事を辞めた後にどうやって生活したらいいのか』という不安を生んで、それを解消するために生まれた制度なんですよね。

 

昔の人は、年金がなくても生活ができていたわけで、じゃあなんでできたのかというと『ずっと仕事(役割)を持っていたから』なんです。

 

元気なうちはバリバリ働き、歳を取って身体が利かなくなったら、(バリバリ働いている子供世代に変わって)同居している孫の世話をしたり、家事をしたりしていたのですね。

 

私の父(昭和21年生)は農家の生まれでしたが、自分を育ててくれたのは『祖母』だと言います。

 

ある意味、『仕事というもの自体が定年退職とか年齢で区切るものではなく、その時々の状況に応じて、担えるものは担っていく』という形だったわけです。

 

長い期間それが当たり前で、そう考えると、定年退職後の『悠々自適生活』は、『一時の幻想』なわけです。

 

私たちは戦後に生まれ現在の社会保険を当たり前に享受しているので『おかしい』になるけど、そもそも長い歴史で見たら、年金制度や定年退職という概念自体が『おかしい』となるわけで。

 

 

 

 

とは言え、今の年金制度という仕組み自体は素晴らしいですし、これがきちんと機能すれば誰もが安心して過ごせる社会になると私は思っています。

 

じゃあ、どうすれば良いのかというと、『国民の仕事に対するマインドの転換』と『制度(環境)の整備』の両方が必要だと思っています。

 

制度を嘆くのではなく、今のシニアに『とはいえ、あなた達はまだいいじゃん』と言うのではなく、現実をみて、どういう形で年金という社会保険を変革することが良いのか?

 

このポイントは『働き方(雇用形態)と活躍の場の整備』だと、私は考えています。

 

が、長くなったので、続きはまた明日☆


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