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訪問をありがとうございます。
昨夜は久しぶりに飲みすぎ、キッチリと二日酔いになっている私です(おかげで(?)サイトの更新は登録したつもりで下書き保存になっているし)。
改めて飲酒はほどほどに、と思いました☆
さて、私は観察をすることが好きですが、人っておもしろいなぁ~と、つくづく思います。
尊敬する山岸俊男先生が書かれていたのですが、『日本人は他人を集団で括る傾向が強いが、その時に自分はその括りに入っていないと思う人が多い』とのこと。
本当にその通りだな、と思います。
私自身はカテゴライズすることに是非の感覚はないのですが、何というか昔から『普通』に憧れています。
いや、普通って本当にすごい技術だと思うのです。
変わっているでも、ちょっと変でも、素晴らしいでもなく、『普通』ですよ。
小さい頃から普通を目指して日々生きている私からしたら、他人様と同じカテゴリに入れてもらえるなんて羨ましい!と思いつつ、『そもそも普通ってなんだ?』ということを考え始めてしまいました。
で、ですね、私が普通を目指している話はどうでも良いのですが(?)、最近特に感じることがあります。
それは、『自分と同じように他人に優しくなれたら、世の中はもっと過ごしやすくなるんじゃないか』ということです。
基本的に、日本人は他人を信用することが苦手とされています(歴史でも他人を信用する必要のない社会だったので)。
社会が成熟し、今までベルトコンベアーだった教育制度や社会システムが急激に変化し、ダイバーシティという言葉とともに、自由が蔓延するようになりました。
これって一見良いことのように思いますが、人によっては急に自由と言われ、『自由と責任を押し付けられた!』と思う人もいるかもしれないと思う今日この頃。
そして、その状況が画一的だった国民性を崩し、普通が無くなってきた今、一定の方々にとっては、他者の行動(他の人はどうしているんだろう?)が異常に気になるようになっているのではないかと思うわけです(回りくどい書き方ですみません)。
そして、私はこの『他者の行動に対して気になり方』の視点が、あまり優しくはないと感じているのです。
今日はいつもに増して文章表現がヘタですが、何が言いたいかというと『自分を特別だと思ったり大切だと思う気持ちと同じくらい、他人に優しくなれたら良いよね』ということです。
個々の差異なんて自分が思っているほど大したことではなく、必要以上に自分を大切にしなくても良くって、他人と比較しなくても良くって、自分を大切に思う気持ちと同じくらい他人を尊重する。
これが、すごくシンプルで美しい生き方だと思います。