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2019-02-19 07:36:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は久しぶりに飲みすぎ、キッチリと二日酔いになっている私です(おかげで(?)サイトの更新は登録したつもりで下書き保存になっているし)。

 

改めて飲酒はほどほどに、と思いました☆

 

 

 

 

さて、私は観察をすることが好きですが、人っておもしろいなぁ~と、つくづく思います。

 

尊敬する山岸俊男先生が書かれていたのですが、『日本人は他人を集団で括る傾向が強いが、その時に自分はその括りに入っていないと思う人が多い』とのこと。

 

本当にその通りだな、と思います。

 

私自身はカテゴライズすることに是非の感覚はないのですが、何というか昔から『普通』に憧れています。

 

いや、普通って本当にすごい技術だと思うのです。

 

変わっているでも、ちょっと変でも、素晴らしいでもなく、『普通』ですよ。

 

小さい頃から普通を目指して日々生きている私からしたら、他人様と同じカテゴリに入れてもらえるなんて羨ましい!と思いつつ、『そもそも普通ってなんだ?』ということを考え始めてしまいました。

 

 

 

 

で、ですね、私が普通を目指している話はどうでも良いのですが(?)、最近特に感じることがあります。

 

それは、『自分と同じように他人に優しくなれたら、世の中はもっと過ごしやすくなるんじゃないか』ということです。

 

基本的に、日本人は他人を信用することが苦手とされています(歴史でも他人を信用する必要のない社会だったので)。

 

社会が成熟し、今までベルトコンベアーだった教育制度や社会システムが急激に変化し、ダイバーシティという言葉とともに、自由が蔓延するようになりました。

 

これって一見良いことのように思いますが、人によっては急に自由と言われ、『自由と責任を押し付けられた!』と思う人もいるかもしれないと思う今日この頃。

 

そして、その状況が画一的だった国民性を崩し、普通が無くなってきた今、一定の方々にとっては、他者の行動(他の人はどうしているんだろう?)が異常に気になるようになっているのではないかと思うわけです(回りくどい書き方ですみません)。

 

そして、私はこの『他者の行動に対して気になり方』の視点が、あまり優しくはないと感じているのです。

 

 

 

 

今日はいつもに増して文章表現がヘタですが、何が言いたいかというと『自分を特別だと思ったり大切だと思う気持ちと同じくらい、他人に優しくなれたら良いよね』ということです。

 

個々の差異なんて自分が思っているほど大したことではなく、必要以上に自分を大切にしなくても良くって、他人と比較しなくても良くって、自分を大切に思う気持ちと同じくらい他人を尊重する。

 

これが、すごくシンプルで美しい生き方だと思います。