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訪問をありがとうございます。
今日も暑いですね〜。
最近はしっかりと寝ているのに疲れが取れない私です。
今朝も、夫と『この疲れは、暑さのせいか?歳のせいか?』と話していました。
今月もラストスパートに入りましたが、皆さんはいかがお過ごしですか?
さて、昨夜は『地域を考える会』を開催しました。
ありがたいことに、20名の方に来ていただくことができ、意見交換をしつつ、地域内での繋がり強化に少しは貢献できたかな?と思いました。
今回は、行政の方・社協の方にお越しいただくことができなかったため、ボランティアについては話ができませんでしたが、逆に自己紹介を通じて、お互いのことを知ることはできたように感じています。
私自身も新たな出会いがあり、感謝感謝の気持ちです。
人数の関係で、全員が自由に意見をいう時間はありませんでしたが、司法書士の方が話した言葉が嬉しかったです。
『普段、自分たちは専門分野の中で活躍をしているけど、専門外のことになると弱い部分がある。例えば、高齢者・認知症の方の対応とか。そういう時に専門職の方達と繋がりを持つことで、必要な専門分野に繋ぐことができる、相談することができるというのは良いことだと思う』
本当にそうだと思います。
これからも、毎月1回は地域を考える会を継続していきます。
その中で、参加される方々がそれぞれ繋がって、その繋がりが地域を支える力になれば、本当に素晴らしいと、改めて感じました。
皆さんは、地域の様々な方々と、繋がっていますか?
訪問をありがとうございます。
昨夜は、特別養護老人ホームで身体拘束の研修を行いました。
虐待の簡単な説明の上で、身体拘束の具体例や弊害を説明し、その後、職員の皆さんに日々の業務を振り返ってもらい、『これってグレーゾーンだよね』という事項をグループワークで挙げてもらいました。
このグレーゾーンをあげてもらうという作業ですが、これを行うことで、自身の振り返りを行うと同時に、アンテナの高さを確認できます。
昨夜の施設職員のアンテナは高かったですね〜。
たくさんの元気をいただきました。
さて、今回は繋がることの大切さについて考えてみたいと思います。
私は、ケアマネジャーという職種は、業務のみでなく、様々な場で色々な人との繋がりを持つことが、何よりも大切だと感じています。
それは、相談援助職という職業柄かもしれませんが、たくさんの人と繋がることで、自分自身の引き出しが増えると考えているからです。
全ての課題を自分一人で悩んで解決するよりも、相談できる先が多い方が、そして、その相談先が専門職であれば、的確な解決方法をご利用者やご家族に提案することができます。
また、介護保険の中だけでの相談業務でなくなっている現状になっていると個人的には感じており、そういう意味でも、一つひとつの出会いを大切にして育んでいくことが、何よりも大切だと感じています。
一見、自分の業務には関係ないという出会いも、後々助けてもらうことになる・・・なんてことが私にはよくあります。
何よりも、人との出会い自体が楽しいです。
私の中で、人との繋がりで大切にしていることは、『自分の損得で動かない』と『駆け引きはしない』ということです。
力の出し惜しみをしないというか。
誰かに『助けて』と言われたら、できる範囲で対応しようと思いますし、逆に、私が困っている時は『助けて』と言ってしまいます。
必要以上に一人では抱え込まないようにしています(単に図々しいだけかも)。
最後に。
今日は、有志での会、『地域を考える会』があります。
実は今回、ある方に新たな提案をしており、私自身、(めったにないことですが)その返答を聞くことにとても緊張しています。
たくさんの方々を巻き込んでの提案となったため、何としても実現してほしいという希望が強いのですよね。
18時半から開始となりますが、この緊張感を、どう楽しさに変換できるか模索中です。
皆さんは、人との繋がりを大切にしていますか?
どのように工夫しながら、その関係を維持・強化していますか?
訪問をありがとうございます。
今朝は、午前中に夫と話し合いの時間を持ちました。
予定では、夏休みを終えるにあたって、子ども達のことや家のことの申し送りをするはずでしたが、それは2割くらいで、殆ど仕事の話で終わりました(夫は家の話をしたいようでしたが、私が仕事の話しか乗らなかったことが原因です)。
そして、今回も『やりたいことに向けて全力で頑張るのも良いけど、たまには家のことも考えてね』と言われました。
こうして考えると、ライフワークバランスを上手に取っている方って、本当にすごいなぁ、と思います。
さて、今日は自分自身の器量について考えてみました。
突然ですが、仕事を離れた場所で繋がっている人達って、自分に似ているところがあると思うのは、私だけでしょうか?
これはちょっと言語化するのが難しいので、わかりにくかったらごめんなさい。
私の場合でいうと、私の周囲の方々は、様々な物事に対してポジティブ(発展的)な意識を持っている方が多いです。
物事を悲観的に捉えたり、損得感情よりも、『まぁ、楽しいからいいか〜』みたいなノリであり、『仕方がないよね』ではなく『どうしたら良いか?』を考えられる方々です(本当は皆さん素晴らしい考えをお持ちなのですが、私の認識ではこう変換されています)。
物事の優先順位・価値観が『楽しさトップ』というか。
このように、自分の付き合う人は自分と似た部分を持っているという、それ自体は特別おかしいことではなく、皆さんもそうだと思います。
自分と同じ思考の方が、話が早く進むというか、共感しやすいし、要は付き合っていて『ラク』なんですよね。
当たり前のことではありますが、改めて自己覚知について考えた時、自分の周囲にいる人や自分が好意を持っている人を振り返れば、自己覚知ができるのではないかな?と思いました。
自己覚知なんていうと、固苦しく考えててしまいそうですが、要は自分の思考の傾向がわかるというか。
そして、それを踏まえて、自分と違う意見に出くわした時、どのように処理するかで、自分の器量がわかるということに気がつきました。
と、こんなことを考えるようになったのも、昨日、自分と全く視点の違う人の話を聴いて、私自身がザラッとした感情を抱いたからです。
ここでは何度も書いていますが、起こっている事象に対して、どこに注目するかは人それぞれ違います。
そして、昨日受けた話が、まさに、私の価値観とは真逆の話だったのです。
抽象的な話になりますが、私はその(自分とは真逆の価値観の)話を聞いた時に、ザラッとした感情を抱きました。
そしてその後、『何で私は話を聞いて、ザラッとしたものを持ったのだろう?』と考えました。
それこそ、その場を離れて、一人、喫茶店で1時間以上。
原因がわかった後は帰宅し、今度は、その意見を『そういう意見もあるよね』と受け入れるために、私自身が、どう考えを変換すれば良いかを、ひたすら考えました。
私自身の中で出した結論としては、『私とは立ち位置が違うし、まぁ、そういう見方をする人もいるよね』という結論で落ち着かせたのですが、モヤモヤは晴れませんでした。
とどのつまりは、『器量が乏しい』ということを認識した、という話なんですけどね。
ここで学んだことは、『自分と違う考えの人ともっと接する機会を持って、視野を広げることの大切さ』です。
様々な視点で物事を捉えることが大切、とはわかっていても、それを実践できていないことを目の当たりにし、反省しました。
必要以上に気負うことなく、素直に他者の意見を『あ〜、そういう意見もあるよね』と言える自分になれるように、これからは、もっとたくさんの方々と接する機会を持ちたいと思いました。
皆さんは、ご自身の考え方や価値観を把握されていますか?
ご自身の考えを踏まえて、他者の意見を素直に聞くことができますか?
(あ、できている方は、そのコツを私に教えてください)
訪問をありがとうございます。
今日は紡ぐ会がありました。
さて、前回は『虐待』について書かせていただきましたが、本日はその続きです。
本当にお恥ずかしい話ですが、私自身、施設に勤めているときは、虐待や身体拘束を無意識に行っていました。
私は短大卒業後、平成9年、20歳の時から介護の仕事に就いています(介護福祉士の証書は、『厚生大臣小泉純一郎』さんです)。
当時の私は、介護に対しての使命感もなければ、プラス・マイナスのイメージもありませんでした。
入居者の人権を考えることもなければ、業務に疑問を感じることもない。
『毎日一笑できたらそれで良し!』という感じで、毎日の支援を行っていました。
当時の私の頭の中は恋愛一色だったので(若かった!)、『毎日仕事を楽しく頑張って、早く彼に逢いたいわぁ』という意識が5割以上を占めていたと思います。
あぁ、懐かしいです。
本当に、毎日が幸せだったなぁ(遠い目)。
・・・話が逸れました。
『高齢者虐待防止法』ができたのは平成18年ですが、それより10年ほど前は、『当たり前のように』、つなぎ服を着ている方がいて、Y字の抑制帯を車椅子に使用して、経管栄養の方にはミトンを使用していました。
食事の20分前には、食堂に移動して、テーブルにピッタリと車椅子をつける、なんてことも行っていました。
若さのせいかフットワークだけは良かったので、『ちょっと待って』などの心理的虐待をすることはありませんでしたが、改めて振り返ってみると、施設の雰囲気自体は明るく、笑いもたくさんあったので、私自身は入居者の方々と楽しく毎日を過ごしていたと思っていましたが、介護の質はどうだったのだろうと反省しています。
ただ、当時は、その中にいて、私はその状況に全く違和感を感じませんでした。
そして、本当に無知は怖い、『知らない』ということは、罪だと思いました。
今の介護職員は、インターネットの影響などもあり、学ぶ機会はたくさんあります。
だからこそ、日々の支援を振り返って、学ぶ姿勢が大切なのだと思います。
日々の業務を振り返って、改善すべきところはないか、見直すことが大切なのだと思います。
それが、日々の介護というものを『作業』でなく『支援』にするのだと思います。
なんて。
今日は何のオチもなく終わってしまいますが、皆さんは、ケアマネジャーの資格を取得する前、いかがでしたか?
訪問をありがとうございます。
今日は関東に台風が上陸するとかしないとか。
皆さん、万全の対策で出勤をされていることと思います。
それにしても、この時期に天候不安定が続くのは、なんとも辛いですね。
さて、今日は虐待について考えてみたいと思います。
施設と在宅では違う部分が多いと思いますが、どちらにも言えることで、私は『虐待をする前に、いかにそれをしない環境をつくるか?』をポイントに、支援を検討しています。
介護って本当に、理想論やきれいごとではできないことだと感じています。
だからこそ、介護者の心身の健康があってこそ、要介護者の介護が成り立つと、私は考えています。
相手を思う気持ちが強いからこそ、自分よりも相手に尽くしすぎてしまい、結果、虐待に走るなんて、どちらにとっても、悲しいことでしかないと思うのです。
・・・と、ちょっと抽象的な書き方になってしまいました。
具体的にあげると、初回面接では『介護に対する負担がどのくらいか?』に注目します。
同時に、介護者の要介護者に対する姿勢に注目します。
認知症等があり、何とか歩行ができる方が、在宅では一番大変だと、私は感じています。
転倒リスクがあるから、常時見守りが必要。
同じ話を何度も聞かなければならない。
etc
これらの状況に対して、どのような距離感をもって介護にあたっているかを聞き出し、その時の感情も確認します。
そして、その距離感があまりにも近すぎる場合や、継続的視点で考えた時に現実的でない関わり方をされている場合、『妻だから』『母だから』等、義務感を持っておられる方には、ある程度距離を置くことができるよう、支援の提案を行います。
私の場合は、虐待をしてしまう経過を聞くと、グレーゾーンからの発生が多いです。
初めは歩行介助をしていた。
動きが遅いので(モタモタするので)強く引っ張った(こずいた)。
強くひっぱたり、押したり、『早くしてよ』という言葉が常時出るようになった。
『強く』の加減が、徐々に酷くなり、結果、虐待になってしまった。
初めから虐待になるわけではない。
初めは『介護』をしていたのです。
それが、徐々に虐待になっていくということを、私はたくさんの方々へのケアマネジメントで学びました。
だからこそ、家族でも・・・家族だからこそ、介護が必要になった時には、『適切な距離感』が必要だと思うのです。
『今、介護者が介護できているから大丈夫』ではなくて、その介護が継続して何年も続けることができるか?介護を続けた場合に、介護者の心身はどうなるのか?等の、『予後予測』が大切だと思うわけで。
これは、たくさんのご家族と接してきたからこそ、学ばせていただいた視点です。
虐待がいけないことなんて、みんなわかっていると思うのです。
それでも、そうせざるを得ない状況を理解し、同時に、そうならない体制をつくることも、ケアマネジャーの視点として大切なのではないかな、と感じています。
要介護者の尊厳を守るということは、同時に、一番近くにいる介護者の尊厳を守ることでもあると、私は考えています。
介護者に心身の余裕がないと、介護はできないと感じています。
これが施設であれば、『虐待をしない環境を職場でつくる』が、一番大切だと思うのです。
それを、いかに職場の中で共有し、検討する体制ができているか?
皆さんは、虐待について、どのように考えて対応されていますか?