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2016-08-24 16:54:00

訪問をありがとうございます。

 

今朝は、午前中に夫と話し合いの時間を持ちました。

 

予定では、夏休みを終えるにあたって、子ども達のことや家のことの申し送りをするはずでしたが、それは2割くらいで、殆ど仕事の話で終わりました(夫は家の話をしたいようでしたが、私が仕事の話しか乗らなかったことが原因です)。

 

そして、今回も『やりたいことに向けて全力で頑張るのも良いけど、たまには家のことも考えてね』と言われました。

 

こうして考えると、ライフワークバランスを上手に取っている方って、本当にすごいなぁ、と思います。

 

 

 

さて、今日は自分自身の器量について考えてみました。

 

突然ですが、仕事を離れた場所で繋がっている人達って、自分に似ているところがあると思うのは、私だけでしょうか?

 

これはちょっと言語化するのが難しいので、わかりにくかったらごめんなさい。

 

私の場合でいうと、私の周囲の方々は、様々な物事に対してポジティブ(発展的)な意識を持っている方が多いです。

 

物事を悲観的に捉えたり、損得感情よりも、『まぁ、楽しいからいいか〜』みたいなノリであり、『仕方がないよね』ではなく『どうしたら良いか?』を考えられる方々です(本当は皆さん素晴らしい考えをお持ちなのですが、私の認識ではこう変換されています)。

 

物事の優先順位・価値観が『楽しさトップ』というか。

 

 

 

このように、自分の付き合う人は自分と似た部分を持っているという、それ自体は特別おかしいことではなく、皆さんもそうだと思います。

 

自分と同じ思考の方が、話が早く進むというか、共感しやすいし、要は付き合っていて『ラク』なんですよね。

 

当たり前のことではありますが、改めて自己覚知について考えた時、自分の周囲にいる人や自分が好意を持っている人を振り返れば、自己覚知ができるのではないかな?と思いました。

 

自己覚知なんていうと、固苦しく考えててしまいそうですが、要は自分の思考の傾向がわかるというか。

 

そして、それを踏まえて、自分と違う意見に出くわした時、どのように処理するかで、自分の器量がわかるということに気がつきました。

 

 

 

と、こんなことを考えるようになったのも、昨日、自分と全く視点の違う人の話を聴いて、私自身がザラッとした感情を抱いたからです。

 

ここでは何度も書いていますが、起こっている事象に対して、どこに注目するかは人それぞれ違います。

 

そして、昨日受けた話が、まさに、私の価値観とは真逆の話だったのです。

 

 

 

抽象的な話になりますが、私はその(自分とは真逆の価値観の)話を聞いた時に、ザラッとした感情を抱きました。

 

そしてその後、『何で私は話を聞いて、ザラッとしたものを持ったのだろう?』と考えました。

 

それこそ、その場を離れて、一人、喫茶店で1時間以上。

 

原因がわかった後は帰宅し、今度は、その意見を『そういう意見もあるよね』と受け入れるために、私自身が、どう考えを変換すれば良いかを、ひたすら考えました。

 

私自身の中で出した結論としては、『私とは立ち位置が違うし、まぁ、そういう見方をする人もいるよね』という結論で落ち着かせたのですが、モヤモヤは晴れませんでした。

 

とどのつまりは、『器量が乏しい』ということを認識した、という話なんですけどね。

 

 

 

ここで学んだことは、『自分と違う考えの人ともっと接する機会を持って、視野を広げることの大切さ』です。

 

様々な視点で物事を捉えることが大切、とはわかっていても、それを実践できていないことを目の当たりにし、反省しました。

 

必要以上に気負うことなく、素直に他者の意見を『あ〜、そういう意見もあるよね』と言える自分になれるように、これからは、もっとたくさんの方々と接する機会を持ちたいと思いました。

 

 

 

皆さんは、ご自身の考え方や価値観を把握されていますか?

 

ご自身の考えを踏まえて、他者の意見を素直に聞くことができますか?

 

(あ、できている方は、そのコツを私に教えてください)