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訪問をありがとうございます。
今日は、夜に職能団体の全体会がありました。
どうやったら、東京で職能団体の存在意義をケアマネジャーに感じてもらうことができるのか?
悩ましいです。
他県と比較して加入率の低い原因はわかるのですが、それに対する具体的対応まで考えが行きつかない未熟な私です。
そして、個の損得ではなく「ケアマネジャー」という資格に対して真摯に考え、活動に取り組んでいる参加者の皆さんに、元気をもらいました。
皆さんは、職能団体の存在意義をどのように感じていますか?
さて。
私事ですが、ここ数日(と言っても2・3日ですが)悶々としている日々を過ごしていました。
曰く、「時間がほんとーーーーーに足りない」という自分自身の不甲斐なさについてなのですが。
これ、私の中では「落とし穴」と勝手に呼んでいるのですが、自分がいっぱいいっぱいになると、他者様の話が耳に届かなかったり、視野が狭くなり配慮に欠けてしまいます。
もう、負のスパイラル☆
年に数回陥る穴ですが、まさに今日はそのピークでした。
私の性格を熟知してくれている職員は、いつもと違う様子にも気づいているだろうにそれを突っ込まず、報告すべきところはきちんとしてくれたりと普通に接してくれて、その様子を感じては『完全に職員に甘えているなぁ~』と反省し、それがまた不甲斐なさを感じ・・・。
周囲には(心の中で)『ごめんなさい』と謝りつつ、夕方近くまで過ごしていました。
が!!!
夕方のモニタリング訪問で、とあるご利用者に、落ちてしまった穴から引き出してもらいました☆
現在は要介護認定を受けておられますが、企業戦士です。
モニタリングが終わり、その後に予定していた支援者が来るまで30分弱ですが、自分自身の課題について、実に的確にアドバイスをもらいました。
課題の詳細は語らず、大まかに『こういう時はどうしますか?』という質問をしたのですが、実に的確に返答をくださって。
本当に本当にありがたいなぁ~、と思うと同時に、手帳にたくさんヒントを書き留めました。
ちょっとした視点の切り替え・ヒントをもらってすぐに浮上する私は単純なのかもしれませんが、今日はご利用者に救ってもらいました。
多分・・・ですが、自惚れでなく、私の周囲は『素晴らしい方々』が多いです。
それは、地位とか名誉とかそんな素晴らしさではなく、本質を踏まえてアドバイスをくれるという素晴らしさです。
他人様に苦言する・アドバイスをするって、かなりの労力を使うと思うのです。
適当に『大丈夫じゃん』と流すこともできると思うのですが、ありがたいことに大抵の方は私が課題を抱えていると、丁寧に質問を繰り返しながら課題を整理してくれます。
また、違った方向に進んでいる時は、『私はこう思うよ』と、一意見としてコメントをくださいます。
これって、違う視点から物事を見るきっかけになったり、新たな気づきに繋がったり、暴走を止めることができるので、本当にありがたいです。
そして、ダメ出ししたいだろうに、見守っていてくださる職員をはじめとする皆さんにも感謝ですね。
負の感情を感じているときは辛い部分もありますが、だからこそ、周囲の暖かさに気づくことができるのかもしれません(私の場合は浮上すのが早すぎるので、もっと内省をした方が良いのかもしれませんが☆)
皆さんは、身近な人の暖かさに触れていますか?
それを感じながら、毎日を過ごせていますか?
訪問をありがとうございます。
今日は午前中にモニタリングを行い、これから飯田橋で職能団体の研修です。
16時には終了となるので、その後は超特急で家族の元へ帰らなければならないというミッションを担っている加藤です(そのため、スキマ時間にサイトを更新しているという)。
皆さんは、いかがお過ごしですか?
今日は『アセスメント』について話をするのですが、2時間という長いのか短いのか判断のつきにくい時間で行います。
私は研修や勉強会をする時、グループワークを必ず2回以上はその時間を設けます。
一方的に話すのではなく、受講者自身にも考えたり感じてもらうということを大切にしたいのです。
今回は、2つグループワークの内容を考えていましたが、急遽、もう一つ、グループワークを行ってもらうことにしました。
もともと考えていたのが、『2人一組でアセスメントをお互いに行う(10分)』と『アセスメントを行う際に工夫していること(15分)』についてグループで意見交換してもらうこと。
これは、昨今言われている『効率化』を意識しての取り組みです。
そして、今思いついたこと。
それは、受講開始時に『最近、ケアマネをしていて良かったなぁ〜』と感じたことを、自己紹介と一緒に話してもらうということです。
1テーブル6人だから、余裕を持って15分。
私が話すことは、面談、特にアセスメントには対人援助職者として、技術が必要だということ。
アセスメントが事情聴取にならないように。
そして、利用者や家族の強みを引き出すように。
そのためには『質問力』が大切だよね、という内容を伝えようと思っています。
アセスメントの醍醐味は、2票の長期目標を一緒に立て、それを叶えるためにどうしようか一緒に考えることですからね♪
ケアマネ自身が、アセスメントの意味や目的ををきちんと理解することで、その取り組み方は大きく変わると思っています。
そこを上手に伝えることができるように頑張りたいと思います。
皆さんは、最近充実した研修や勉強会に参加されましたか?
訪問をありがとうございます。
最近、本当に時間に余裕がありません。
週4〜5日は夜の予定に追われている状況。
もとい、何でも全力で取り組んでしまうため、単に要領が悪いというだけですが・・・。
通常の2倍近くの担当件数を持っての本業や経理等雑務、地域での勉強会企画と準備、一般社団の開始に伴う活動と運営、総合事業の、職能団体、紡ぐ会etc
今だけだと思いたいです。
皆さんは、いかがお過ごしですか?
さて。
今日は総合事業サービスBを開催しました。
これ。
0から始める事業なため、本当に本当に大変ですが、それ以上に楽しいです♪
今日は、1名の参加者と2名の体験者(申し込みをしていないだけできちんと3時間一緒に時間を過ごしました)、2名の担い手で行いました。
その中で、包括の方が昼食前まで一緒に参加してくれたり、行政の方も途中参加で一緒にビンゴを行ってくれたり、社協の生活支援コーディネーターの方が担い手候補を連れてきてくれたり、人の出入りが多い3時間でした。
地域の方々に協力をいただきながら運営できるって、本当に幸せだと思います。
そして、さまざまな理由でいろいろな事情を持ちながら参加されている方々が、同じ時間と空間を共有し、そこに自分の居場所をつくっている姿に元気をいただきました。
ちなみにね。
当区でサービスBの愛称は『ご近所デイ』です。
これ、本当は『ご近所デイサービス』だったのですが、『サービスってつくと、過剰なものを期待するのでは?』『あくまでも参加者を特別視するのではなく、一緒に創り上げていくのが良いのでは?』という意見があり、結果、『サービス』を取って、『ご近所デイ』になりました。
個人的に、こういう感覚は好きです。
そして、『一緒に創り上げていく』ということを理由に、要介護2のご利用者(私が担当の方ですが、ご近所なので担い手を頼んだ方)と、体験者の方と、3人で近所のお弁当屋に昼食を買いに行きました。
あ、私一人で行くのが大変だからじゃあないですよ。
『心身活性化の一環』ですからね。
私一人で6人分のお弁当なんて持てないし、暑いからダルいし、なんて理由では、決してありませんよ(しつこい)。
お弁当を買いに行く道すがら、体験者の方と話をしたのですが、その時に言われた言葉がとても嬉しかったです。
お昼を食べながら、皆さん地元に30年以上住んでおられるとのことで、地元話で盛り上がったり昔遊びの話をしたり。
話をする参加者・担い手の方々の表情は、とても素敵でした。
よく笑いよく話し、口腔体操なんてしなくても十分顔の筋肉はほぐれていました。
帰りは参加者同士、3人で脚取り不安定ながらも話をしながら帰って行かれました。
担い手さんは、終了後1時間半話(振り返りや今後の確認)をしてから解散しました。
『楽しく過ごせたからよし』ではなく、きちんと振り返りの中で課題を出し、今後の対応も一緒に考えていただけたことがありがたかったです。
今日は、『参加者全員でその場を創る』ということを強く感じました。
参加者だから受け手になるわけでもなく、担い手だから取りまとめなければならないわけでもなく、自然にお互いが周りを見ながら『楽しく過ごそう』という配慮をしていただけたことに感謝感謝です。
何事も、行動を起こすことは大変だし、相応の労力は必要としますが、それ以上のものを得ることができます。
来週は何名の方が来てくださるでしょうか?
楽しみにしつつ、準備は気を抜かずに行いたいと思います。
なぁんて、浮かれたことをかいていますが、終了後に気づいたことが☆
本日の参加者は(多分要介護になるであろう)区分変更申請中であり、サービスBを開催しているんだけど、保険者に請求はできないということに。
がぁ〜〜〜ん、赤字が増えてしまったわ。
8000円でトントンの運営を計算しているので、今回の出費は誤算でした。とほほ。
あ、でも『損して得取れ』という言葉があることだし、これから巻き上げれば良いですよね(楽観的すぎる?)。
皆さんは、周囲に協力をいただきながらしている活動、ありますか?
訪問をありがとうございます。。
今日は18時に帰宅後、子ども達(と言っても、ほぼ次男とですが)と、イチャイチャして過ごしました。
私にとって、家族と過ごす時間は至福の時であり、同時に苦痛の時でもあります。
なぜなら、彼らの居心地の良さの中にいると、“家族のことだけを考えて過ごしたい”と考えてしまうからです。
皆さんにとっての家族は、どんな存在ですか?
さて。
今日は、とある記事を転記したいと思います。
心屋仁之助さんという方のブログですが、『拡散オッケー』と書かれていたので、転記させていただきます。
私自身は数か月前にこれを知ったのですが、視点がとても面白いな、と感じました。
仕事としてはまた別の視点となりますが、対人援助を行う上で、知っておいても良いかな、と思える内容です(ただし、この考え方が絶対と思ったり、これを基準に相手をカテゴライズしない方が良いとも思います)。
ちなみに、私自身はこの方を存じ上げませんので、何を生業にされているのかもよくわかっていませんので、この記事を読んで、どのように感じたかについては責任を負えませんので、あしからず☆
ーーーーーーーーーーーーーー以下、転記-------------
**** 前者・後者論とは? ********
人間は大きく分けて マルチタイプ(前者)・集中タイプ(後者)の二つのタイプに分けられる。
それぞれの特性を知ることで「自分らしさ」に気づき、努力なく、ムリなく、豊かで幸せな人生に転換しようという、心屋の独自理論です/継続研究中
自分との戦いを終わらせ、自分を好きになる、それが前者・後者論です。
★前者・後者論の効用
・前者・・・
空気が読め、理解、理論、表現、処理能力が比較的高い マルチタイプ
・後者・・・
天然、癒し系、言葉をストレートに受ける 集中タイプ
自分が前者か後者かを判断する基準は1つだけ
●人の話を聞いてて、頭がシャットダウン(真っ白)になるか?
・怒られたり失敗したり、あせったときにすぐにパニック(混乱)になる
・難しい話や、まくしたてられると心の中にシャッターが下りて「しまう」
・思考がすぐにどこかに飛んで行って「しまう」
・説明を受けたり怒られている最中に、うわの空で他のことを考えて「しまう」
この質問の例にひとつでも「イエス」があれば、後者。
NO! ならば前者、という判断です。
※もちろん、どの分類も「例外」はありますが、大基本がこれです。
※「意識的に」シャッターを下ろすのではなく「気が付けば下りている」のが特徴
※仕事が出来る、勉強ができる、などの「できる」は判断基準に入りません。
※前者・後者はひとりのひとにどちらもあるものではなく、「どちらか」という「絶対的」な話です。
※前者は、ここまで読むだけで理解できます。(理解できた=前者 ではありません)
※後者による前者・後者の説明(後者には、後者による表現がわかりやすいらしいです)
・多くの人に衝撃を与えた「向江(むかえ)」さんの記事
【拡散希望】後者による 「後者に何が起こってるのか/前者との決定的な違い」
・理論を語れる後者、水野さんの記事
******* ここまで ***********************
以下は、追記解説(長くて読めないと後者にいわれるの覚悟で、読める人だけ)
■はじまりは、前者である心屋が 「天然の人」との話の合わなさを解明し始めたことです。いくら説明しても通じない、ストレートな表現しか通じない、すぐパニックになる、などの自分にはない感覚に戸惑ったから。
やがてそれは、ある女性との会話から
「大人になりたくて、大人になれた人」と、
「大人になりたくて、大人になれなかった子どものままの人」
の二種類に分けられるのではないか、と気づき、便宜上、先に書いたものを前者、後に書いたものを後者として分けた代名詞が、そのまま前者・後者という名称になりました。
■【永久保存版】大人になりたくてなれなかったひと、大人になりたくてなれてしまったひと
最初は
・前者・・・・わりと何でもでき、空気を読み、理解力や理論、表現能力が高いマルチタイプ
・後者・・・・いわゆる天然、癒し系で、言葉を真に受ける空気の読めない直球タイプ
という「状況判断」的な判断での分類でした。
しかしこれは後に「後天的にトレーニングで身につけられるものが多いため、本質ではない」と気づきます。
■後天的なものはいったん排除します。
なので、前者・後者論は「わたしは、前者40、後者60」というような「どちらもある」ものではなく、パソコンやスマホののOSのように「前者か後者かどちらか」という二者択一であり、「前者っぽく仕事が出来るところがある」「後者っぽくミスが多い」なども排除して考えます。
それは、育った環境やトレーニングで後付けされる要素が多く、「本質」が見えないからです。
ウインドウズと、マックは同居できませんが、ソフトは共有できるものが多いため、「基本は前者、後者っぽい後付け」という「基本・大前提」だけに目を向けるものです。
前者は、子どもの頃から前者、後者は、子どもの頃から後者なのです。
■現代社会の弊害
世の中はひとに「前者」であることを求めます。
「ちゃんと」「理解して」「空気を読んで」「人の気持ちを考えて」「決められたとおりに」と、会社でも、家でも、学校でも求められます。
だから、前者も後者も「できる」前者を目指してきた。しかし、後者にとっては、前者を目指すことは、果てしない継続した努力が必要。
逆に、後者の特徴である、集中したときに圧倒的な成果を残したり、癒し系で愛されるキャラがうらやましくて、愛されたくて、頼られたくない前者が「できないぶりっ子」を装ったりする場合も。
そうやって、それぞれが「本来・本質の自分」から離れることで、結果としてそれぞれが苦しんで生きづらくなりカウンセリングに来ていることに気づいたのです。
「自分らしくない生き方」のせいで、人間関係・恋愛・親子・夫婦・お金・健康 などの問題が発生するのは当然のことといえましょう。
■前者・後者の新基準と混乱
その後、前者と後者は、先にあげたように「頭が真っ白(思考停止・浮遊・フリーズ・パニック)になるかどうかという決定的な違いで分けられることに気づきます。
この質問に「イエス」となるのが後者」「ノーが前者」ということです。
「状況」での分類から「白くなるかならないか」という絶対的な分類への移行です。
■【最重要記事】ひさしぶりに「前者・後者」の話。やっぱり、この話は世界を救うから
しかし、「真っ白」という「心の中のことという見えないもの」の表現に対し、後者は自分の感覚に忠実なので「いや、グレーです」「思考停止はするんですが・・」「わたしは、フリーズする感じ」などと、後者特有の「100%一致しないと納得できない」という自分の感覚優先の感性とさらに「劣等感」「罪悪感」というものが絡んできて、「できるのが前者」「できないのが後者」という、現代社会の問題がかかわってきて、「真っ白にならないけど、仕事ができないから、自分は前者と言うのもはばかられる」「真っ白になる後者だけど、色んなことや勉強もできるから私は前者だ」と、自分が「前者」「後者」であると、「認めたくない」という、本来とは別の問題が話をややこしくしていき「混乱」「前者・後者難民」を多数生み出しました。
また、前者でも、聞きたくない話や興味のない話は、意識をシャットダウン「する(手動)」ことができるので判断に迷う人もいたのですが、前者は、「手動」でダウンさせますが、後者は、自分の意思と関係なくシャットダウン「してしまう」ところが違うのです。
さらに、前者でも、長い文章や興味のない文章は読めませんし、後者の特徴のように言われる「ドジ」や「凡ミス」や「忘れ物」なんかも普通にするし、合わない仕事はうまくできないのです。
■前者・後者を分ける意義
前者と後者が、お互いが全くう感覚の世界で生きていることを深く知ることによって、今まで理解できなかった自分や他人の言動の理解できなかった部分や、悪意だと感じていたものが理解できるようになることで誤解が解けたり、理解することで人間関係のストレスがなくなることを発見。
フリーズしないマルチ型の大人タイプ(前者)と、フリーズする集中タイプ(後者)の言語や表現特性を互いに理解することで、「がんばらずに」互いに助け合うことでうまくいき、平和に生きることを可能とする理論です。
前者が、後者になろう(カワイコぶりっこ)としたり、後者が前者になろう(デキルひとになろう)とすることによる弊害がなくなり、前者らしく・後者らしく生きることでそれぞれ最大の魅力と能力を引き出そうとするものです。
特に、「がんばって」後者が前者になろうとしたとき、後者(前者モドキ)が後者を「ちゃんとしなさいよ」と責めまくったり、後者リーダーが、前者のようにリーダーシップをふるおうとして後者を責めるという地獄絵図が展開されたりします。
また、前者が「さらに前者」つまり「できる」にこだわったときも同様の弊害が現れます。
これは、血液型占い、動物占いのような「統計学」できなものではなく、どちらかといえば「右脳系・左脳系」に近い、「絶対的な」「物理的な」違いをもとにして分けて自分と他人を理解するものです。他にも表現として、前者と後者は、それぞれ
広角レンズと、単焦点レンズ
人間と、天使
常時接続Wi-Fi、と電話回線モデム
温泉の源泉と、先頭のシャワー(自動で切れるやつ)
マネージャーと、タレント
イチローと、長嶋さん
笑わせる突込み芸人と、笑われるいじられボケ芸人
飼育員と、珍獣
などの表現もある。
■前者・後者のそれぞれの役割
前者は、努力しなくても比較的マルチに仕事を同時にこなすこともできる秀才タイプ、後者はトレーニングによってそこまでなることも可能だが、基本的には何か一点に集中する天才タイプ。また、後者は「決められたこと」「決められた手順」を反復して覚えることができるので、「学校の勉強・成績」は良かったりする。
傾向としては、前者は後者を助け、後者は前者に助けられて、それぞれの能力を発揮するようにできていて、後者はときに前者の常識の枠を壊すような能力を発揮したり、前者を癒すこともある。
とはいえ、前者は後者の世話をするばかりでなく、そのなかでも「したいことはする」「いやなことはしない」ことで、前者本来の生き方となり、世話をすることに負担を感じる必要もない。
後者も前者を頼りながら「したいことをして、したくないことは任せる」というスタンスで、輪が、和が出来上がるのです。
■スーパー前者・後者
前者が前者の特性を知り、前者らしく、できることはできる、できないことはできないとして生きている人を「スーパー前者」、後者が後者の特性を知り、後者らしく、できることはできる、できないことはできないとして生きている人を「スーパー後者」と呼びます。
それぞれ、できることは淡々と楽しくやり、できないことは人に頼り、他人の評価を気にせず生きているので、自由に楽しく生きていますから、色んなことがうまくいきます。
現代の病気としてされているADHDや、LD,ADなどの学習障害系のモノも、実はただの「後者の特徴」であって、ただ「前者から見て自分たちと違う」ために「違和」として「病気」として扱われているのではないかと考えています。
■前者・後者論を展開する目的
要は、前者・後者をはっきりさせるのが「目的」ではなく、「自分を責める」「今の自分はダメだ」と責めるのをやめようというのが目的です。自分が前者か後者がわからない人でも「今の自分で、この自分でいいんだ、他の誰かになろうとしなくて、そのために頑張らなくていいんだ。できるものだけをやって、できないものは人に頼ればいいんだ」と、自分を全肯定するための、前者後者という「ツール」なのです。
自分に関わる人が、前者なのか後者なのか理解することで、ひととの付き合い、上司部下の関係、教育、子育て、夫婦生活に応用できるものだと信じております。
ーーーーーーーーーーーーーー転記終了--------------
これ、実は心屋さんという方のこの説明よりも、向さんという方の書いた記事の方がしっくりと来ました。
【拡散希望】後者による 「後者に何が起こってるのか/前者との決定的な違い」
私には、さっぱり理解できない感覚で、斬新でした。
冒頭でも書きましたが、これを読んで『あの人は前者だから合う』とか『あの人は後者だから仕方ない』とか考えることを勧めるわけではありません。
第一、私の中では前者であろうと後者であろうと、仕事に於いては(その仕事を本人が選んでいるのであれば)関係なく、『責任を持って役割を全うする』ことが、一番大切だと考えています。
皆さんは、この記事を読んで、どのように感じましたか?
訪問をありがとうございます。
今日は気持ちの良い暑さでしたね。
皆さんは、どのような1日を過ごされましたか?
私は今日、総合事業のサービスBのため10時から3時間、事務所に詰めていました。
この日、ご利用者は受診のため欠席されたのですが、担い手2名が来てくださったため、3人で3時間話をしていました。
これがですね。
とてもとても密度の濃い内容で、物事の本質を捉えるものばかりでした。
哲学的・・・といえば、ご理解をいただけるでしょうか?
そして、私はこういう話は大好きです(ただ単に考えるという事が好きなのですが)。
途中で、ケアマネ仲間であり一般社団の理事をお願いしている方も来てくださり、4人で話をしていました。
『己の持ち時間をどのように過ごすか?』という話を皮切りに、『いろんな人がいるよね』という話から物事を捉えるフィルターの話になり、『人は自分が見たい景色しか見ないよね』という話で盛り上がり、『相手をきちんと見たいなら、自分がきちんと生きる事が大切』ということを学び、『人の喜びをどこに置くか?』や『生きるということ』『コモンセンス』などについても話しました。
こうして話をして気付いたことですが、3人に共通しているのは『内なる自分を高めることを追求でき、自分という存在を通して社会に対して何ができるか?』ということを考えられることです。
わかりにくいかもしれませんが、『個の確立の上での共生』ということです。
この感覚を持っている人って、今の社会ではとても少ないと思うのです。
物事の本質を考えることなく目の前の利益や拝金主義な現代(悪い意味ではないですよ)で、ある意味生きにくさを感じていた私にとっては、本当に本当に楽しい時間でした♪
多分・・・恐らくですが、この3人だったからできた話です。
感謝感謝です。
最後に。
たくさんの話をした中で、担い手の方から私自身がいただいた助言について書かせてください。
『縁っていうのはね、無理してどうこうなるもんじゃないんだよ。
縁がある人には、アポイントを取らなくても自然と会うことができる。
そうでない人は、自然と離れていくだけ。
私はわかるからいいけど、加藤は人より5歩先の世界を観ているから、多分そのままストレートに物事を伝えても、大多数の人には理解してもらえないと思うよ。
あんたの課題は、展開の仕方だからね。
ポイントは、質と方向性だよ。』
はい。
私自身が、重々承知しています。
そして、とある縁を何とか繫ぎとめたいと感じていた自分自身に気づき、その執着を外せるかもしれないと、感じることができました。
一生懸命自分と向き合い気づいたことをすぐに見抜き、あえて言語化してくれた担い手さんに感謝です。
私の良い点も改善点も言ってくれる人がいる。
そのことを素直に嬉しく思います。
そして、私自身、これから大きく成長できるかもしれないと(勝手に)思ってしまいました。
皆さんは身近に、自分の良い点も改善点も言ってくれる人はいますか?