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2017-06-04 00:29:00

訪問をありがとうございます。。

 

今日は18時に帰宅後、子ども達(と言っても、ほぼ次男とですが)と、イチャイチャして過ごしました。

 

私にとって、家族と過ごす時間は至福の時であり、同時に苦痛の時でもあります。

 

なぜなら、彼らの居心地の良さの中にいると、“家族のことだけを考えて過ごしたい”と考えてしまうからです。

 

皆さんにとっての家族は、どんな存在ですか?

 

 

 

さて。

 

今日は、とある記事を転記したいと思います。

 

心屋仁之助さんという方のブログですが、『拡散オッケー』と書かれていたので、転記させていただきます。

 

私自身は数か月前にこれを知ったのですが、視点がとても面白いな、と感じました。

 

仕事としてはまた別の視点となりますが、対人援助を行う上で、知っておいても良いかな、と思える内容です(ただし、この考え方が絶対と思ったり、これを基準に相手をカテゴライズしない方が良いとも思います)。

 

ちなみに、私自身はこの方を存じ上げませんので、何を生業にされているのかもよくわかっていませんので、この記事を読んで、どのように感じたかについては責任を負えませんので、あしからず☆

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー以下、転記-------------

 

 

**** 前者・後者論とは? ********

 

人間は大きく分けて マルチタイプ(前者)・集中タイプ(後者)の二つのタイプに分けられる。

 

それぞれの特性を知ることで「自分らしさ」に気づき、努力なく、ムリなく、豊かで幸せな人生に転換しようという、心屋の独自理論です/継続研究中

 

自分との戦いを終わらせ、自分を好きになる、それが前者・後者論です。

 

 

 

★前者・後者論の効用

 

・前者・・・

 

空気が読め、理解、理論、表現、処理能力が比較的高い マルチタイプ

 

・後者・・・

 

天然、癒し系、言葉をストレートに受ける 集中タイプ

 

 

 

自分が前者か後者かを判断する基準は1つだけ

 

●人の話を聞いてて、頭がシャットダウン(真っ白)になるか?



・怒られたり失敗したり、あせったときにすぐにパニック(混乱)になる


・難しい話や、まくしたてられると心の中にシャッターが下りて「しまう」


・思考がすぐにどこかに飛んで行って「しまう」

 

・説明を受けたり怒られている最中に、うわの空で他のことを考えて「しまう」

 

 

 

この質問の例にひとつでも「イエス」があれば、後者。

 

NO! ならば前者、という判断です。

 

※もちろん、どの分類も「例外」はありますが、大基本がこれです。

 

※「意識的に」シャッターを下ろすのではなく「気が付けば下りている」のが特徴

 

 

 

★あたま真っ白のバリエーション

 

※仕事が出来る、勉強ができる、などの「できる」は判断基準に入りません。

 

※前者・後者はひとりのひとにどちらもあるものではなく、「どちらか」という「絶対的」な話です。

 

※前者は、ここまで読むだけで理解できます。(理解できた=前者 ではありません)

 

 

 

※後者による前者・後者の説明(後者には、後者による表現がわかりやすいらしいです)

 

・多くの人に衝撃を与えた「向江(むかえ)」さんの記事

【拡散希望】後者による 「後者に何が起こってるのか/前者との決定的な違い」

 

 

 

・理論を語れる後者、水野さんの記事

 

 

 

 

******* ここまで ***********************

 

 

以下は、追記解説(長くて読めないと後者にいわれるの覚悟で、読める人だけ)

 

■はじまりは、前者である心屋が 「天然の人」との話の合わなさを解明し始めたことです。いくら説明しても通じない、ストレートな表現しか通じない、すぐパニックになる、などの自分にはない感覚に戸惑ったから。

 

やがてそれは、ある女性との会話から

 

「大人になりたくて、大人になれた人」と、

 

「大人になりたくて、大人になれなかった子どものままの人」

 

の二種類に分けられるのではないか、と気づき、便宜上、先に書いたものを前者、後に書いたものを後者として分けた代名詞が、そのまま前者・後者という名称になりました。

 

■【永久保存版】大人になりたくてなれなかったひと、大人になりたくてなれてしまったひと

 

 

最初は

 

・前者・・・・わりと何でもでき、空気を読み、理解力や理論、表現能力が高いマルチタイプ

 

・後者・・・・いわゆる天然、癒し系で、言葉を真に受ける空気の読めない直球タイプ

 

という「状況判断」的な判断での分類でした。

 

しかしこれは後に「後天的にトレーニングで身につけられるものが多いため、本質ではない」と気づきます。

 

 

 

■後天的なものはいったん排除します。

 

なので、前者・後者論は「わたしは、前者40、後者60」というような「どちらもある」ものではなく、パソコンやスマホののOSのように「前者か後者かどちらか」という二者択一であり、「前者っぽく仕事が出来るところがある」「後者っぽくミスが多い」なども排除して考えます。

 

それは、育った環境やトレーニングで後付けされる要素が多く、「本質」が見えないからです。

 

ウインドウズと、マックは同居できませんが、ソフトは共有できるものが多いため、「基本は前者、後者っぽい後付け」という「基本・大前提」だけに目を向けるものです。

 

前者は、子どもの頃から前者、後者は、子どもの頃から後者なのです。

 

 

 

■現代社会の弊害

 

世の中はひとに「前者」であることを求めます。

 

「ちゃんと」「理解して」「空気を読んで」「人の気持ちを考えて」「決められたとおりに」と、会社でも、家でも、学校でも求められます。

 

だから、前者も後者も「できる」前者を目指してきた。しかし、後者にとっては、前者を目指すことは、果てしない継続した努力が必要。

 

逆に、後者の特徴である、集中したときに圧倒的な成果を残したり、癒し系で愛されるキャラがうらやましくて、愛されたくて、頼られたくない前者が「できないぶりっ子」を装ったりする場合も。

 

そうやって、それぞれが「本来・本質の自分」から離れることで、結果としてそれぞれが苦しんで生きづらくなりカウンセリングに来ていることに気づいたのです。

 

「自分らしくない生き方」のせいで、人間関係・恋愛・親子・夫婦・お金・健康 などの問題が発生するのは当然のことといえましょう。

 

 

 

■前者・後者の新基準と混乱

 

その後、前者と後者は、先にあげたように「頭が真っ白(思考停止・浮遊・フリーズ・パニック)になるかどうかという決定的な違いで分けられることに気づきます。

 

この質問に「イエス」となるのが後者」「ノーが前者」ということです。

 

「状況」での分類から「白くなるかならないか」という絶対的な分類への移行です。

 

■【最重要記事】ひさしぶりに「前者・後者」の話。やっぱり、この話は世界を救うから

 

 

 

 

しかし、「真っ白」という「心の中のことという見えないもの」の表現に対し、後者は自分の感覚に忠実なので「いや、グレーです」「思考停止はするんですが・・」「わたしは、フリーズする感じ」などと、後者特有の「100%一致しないと納得できない」という自分の感覚優先の感性とさらに「劣等感」「罪悪感」というものが絡んできて、「できるのが前者」「できないのが後者」という、現代社会の問題がかかわってきて、「真っ白にならないけど、仕事ができないから、自分は前者と言うのもはばかられる」「真っ白になる後者だけど、色んなことや勉強もできるから私は前者だ」と、自分が「前者」「後者」であると、「認めたくない」という、本来とは別の問題が話をややこしくしていき「混乱」「前者・後者難民」を多数生み出しました。

 

また、前者でも、聞きたくない話や興味のない話は、意識をシャットダウン「する(手動)」ことができるので判断に迷う人もいたのですが、前者は、「手動」でダウンさせますが、後者は、自分の意思と関係なくシャットダウン「してしまう」ところが違うのです。

 

さらに、前者でも、長い文章や興味のない文章は読めませんし、後者の特徴のように言われる「ドジ」や「凡ミス」や「忘れ物」なんかも普通にするし、合わない仕事はうまくできないのです。

 

 

 

■前者・後者を分ける意義

 

前者と後者が、お互いが全くう感覚の世界で生きていることを深く知ることによって、今まで理解できなかった自分や他人の言動の理解できなかった部分や、悪意だと感じていたものが理解できるようになることで誤解が解けたり、理解することで人間関係のストレスがなくなることを発見。

 

フリーズしないマルチ型の大人タイプ(前者)と、フリーズする集中タイプ(後者)の言語や表現特性を互いに理解することで、「がんばらずに」互いに助け合うことでうまくいき、平和に生きることを可能とする理論です。

 

前者が、後者になろう(カワイコぶりっこ)としたり、後者が前者になろう(デキルひとになろう)とすることによる弊害がなくなり、前者らしく・後者らしく生きることでそれぞれ最大の魅力と能力を引き出そうとするものです。

 

特に、「がんばって」後者が前者になろうとしたとき、後者(前者モドキ)が後者を「ちゃんとしなさいよ」と責めまくったり、後者リーダーが、前者のようにリーダーシップをふるおうとして後者を責めるという地獄絵図が展開されたりします。

 

また、前者が「さらに前者」つまり「できる」にこだわったときも同様の弊害が現れます。

 

これは、血液型占い、動物占いのような「統計学」できなものではなく、どちらかといえば「右脳系・左脳系」に近い、「絶対的な」「物理的な」違いをもとにして分けて自分と他人を理解するものです。他にも表現として、前者と後者は、それぞれ

 

広角レンズと、単焦点レンズ

 

人間と、天使

 

常時接続Wi-Fi、と電話回線モデム

 

温泉の源泉と、先頭のシャワー(自動で切れるやつ)

 

マネージャーと、タレント

 

イチローと、長嶋さん

 

笑わせる突込み芸人と、笑われるいじられボケ芸人

 

飼育員と、珍獣

 

などの表現もある。

 

 

 

■前者・後者のそれぞれの役割

 

前者は、努力しなくても比較的マルチに仕事を同時にこなすこともできる秀才タイプ、後者はトレーニングによってそこまでなることも可能だが、基本的には何か一点に集中する天才タイプ。また、後者は「決められたこと」「決められた手順」を反復して覚えることができるので、「学校の勉強・成績」は良かったりする。

 

傾向としては、前者は後者を助け、後者は前者に助けられて、それぞれの能力を発揮するようにできていて、後者はときに前者の常識の枠を壊すような能力を発揮したり、前者を癒すこともある。

 

とはいえ、前者は後者の世話をするばかりでなく、そのなかでも「したいことはする」「いやなことはしない」ことで、前者本来の生き方となり、世話をすることに負担を感じる必要もない。

 

後者も前者を頼りながら「したいことをして、したくないことは任せる」というスタンスで、輪が、和が出来上がるのです。

 

 

 

■スーパー前者・後者

前者が前者の特性を知り、前者らしく、できることはできる、できないことはできないとして生きている人を「スーパー前者」、後者が後者の特性を知り、後者らしく、できることはできる、できないことはできないとして生きている人を「スーパー後者」と呼びます。

 

それぞれ、できることは淡々と楽しくやり、できないことは人に頼り、他人の評価を気にせず生きているので、自由に楽しく生きていますから、色んなことがうまくいきます。

 

現代の病気としてされているADHDや、LD,ADなどの学習障害系のモノも、実はただの「後者の特徴」であって、ただ「前者から見て自分たちと違う」ために「違和」として「病気」として扱われているのではないかと考えています。

 

 

 

■前者・後者論を展開する目的

 

要は、前者・後者をはっきりさせるのが「目的」ではなく、「自分を責める」「今の自分はダメだ」と責めるのをやめようというのが目的です。自分が前者か後者がわからない人でも「今の自分で、この自分でいいんだ、他の誰かになろうとしなくて、そのために頑張らなくていいんだ。できるものだけをやって、できないものは人に頼ればいいんだ」と、自分を全肯定するための、前者後者という「ツール」なのです。

 

自分に関わる人が、前者なのか後者なのか理解することで、ひととの付き合い、上司部下の関係、教育、子育て、夫婦生活に応用できるものだと信じております。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー転記終了--------------

 

 

 

これ、実は心屋さんという方のこの説明よりも、向さんという方の書いた記事の方がしっくりと来ました。

 

【拡散希望】後者による 「後者に何が起こってるのか/前者との決定的な違い」

 

 

私には、さっぱり理解できない感覚で、斬新でした。

 

 

 

冒頭でも書きましたが、これを読んで『あの人は前者だから合う』とか『あの人は後者だから仕方ない』とか考えることを勧めるわけではありません。

 

第一、私の中では前者であろうと後者であろうと、仕事に於いては(その仕事を本人が選んでいるのであれば)関係なく、『責任を持って役割を全うする』ことが、一番大切だと考えています。

 

 

 

皆さんは、この記事を読んで、どのように感じましたか?