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2020-10-28 00:05:00

以前から「安全安心」という言葉には違和感がありました。

私はどちらかというと理屈バカの気があり...なにをもって「安全安心」となるのかがわからなくなるのです。

 

農薬は殺虫剤だから体に悪い。

化学物質は純度が濃いから扱いが怖い。

それはわかりますが一方、

有機的な毒と言うのもあります。

善玉と悪玉に菌を分けるように、ほんのちょっとの違いで人間にとって有毒か無毒かが分かれてしまいます。

 

また、玄米は体に良い悪い、大豆は体に良い悪い等、前に良いとしたものがが来年には良くないになるという事が健康に関する知識にはよくあります。

 

 

だから考えれば考えるほど、安全安心という軸のみで見た場合、正しいのかどうか、よくわからなくなるのです。

 

しかし、そこを考えても無限ループするだけなので、とにかくできている物を信じるしかありません。

 

ただ、安全安心を求める人の中には科学的根拠のみを指して言っているのではない人がいる、というのは無意識で(と言うのも妙ですが)何となくわかっていました。

 

この"科学的では無い安心安全の根拠"というのが、最近になってようやく意識として浮かび上がってきました。

 

 

それは何かと言うと、

「人間はルーツに安全安心を求めている」

と言うことです。

 

「和食」は無形文化遺産に登録されましたが、農作物に関して、その多くの要素が今は殆ど外国で作られます。

 

種の9割は外国で採られており、

肥料の9割は外国で作られている。

家畜の飼料の9割は外国産、

米以外の穀物の9割が外国産、

醤油や味噌、油の原料も9割が外国産...

 

これを偏った理屈脳で考えると、

「例え成分分析したとしても、海外産だからというだけで問題なのか?」

「なにを使っているのかわからないから安全では無い、と言っているのか?」

となりますが、そうではなく、

 

自分達の文化だと言ってる物が実際は日本では成立しないという事、

"和食はほとんど実態の薄い、虚構で出来ている"

という事に「不安がある」のです。

 

仮に国産の大豆が100%無くなったら、豆腐や味噌は過去の産物であって、もう遺産とは言えなくなる気がするのです。

 

歴史の文脈でも似た様な事を言います。

「戦後の歴史は分断されていて、今の日本人は首から下はアメリカ人」とか。

「現代の日本カルチャーは過去の文化を継承していない」とか。

 

過去に存在していたのは確かだけど現在の日本からはなんだか遠い..」

 

 

昔と今が切り離されてる事に多くの人は慣れてしまい、当たり前になってしまっていますが、敏感な人にはわかるのではないかと思います。

そして気にしない人でも無意識の中で、ルーツの断絶が不安や自信の無さに繋がっているのではないでしょうか?

 

 

"安全安心"という言葉は、

「自分達と切り離されてる現在の"食"を日本の文化と呼ぶ事に"不安"がある。

だから"ルーツ"を求めている」

という事なのです。

 

 

そして、"ルーツ"との親和性が高いのは有機農業です。

自分がしている農業には、そういう潜在的需要を持っているのでした。