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2020-02-06 12:28:00
- 私は科学の徒です。
”子”じゃ無くて徒長の”徒”です。
子供の頃はサンタクロースや幽霊を信じる様なハッピーな子でした。
が、思春期以降は形の無い概念を信じない唯物主義でした。
参拝や葬式は宗教が行う詐欺行為だと思っていました。
自分には物質で無い”モノ”にお金を支払う価値がわからなかったのです。
社会に出てからの自分は発達障害や引きこもりという存在に近いのですが、それは何か、精神的な”モノ”の欠如と関係がある様に思います。
農業は祭事と密接なつながりがあり、信仰を持っている人との関わりも多数あります。
農業に従事した当初、そういう事との関わりに恐怖を抱く事もありましたが、多少価値観が変わってきた様に思います。
数年前に池上彰さんがテレビでアメリカの特集をしていた時、「アメリカ人の8か9割は神様を信じる宗教国家だ」といった話をしていて、ショックを覚えた記憶があります。
その時、ほんの一時だけ「己に足りないモノは信仰心か?」という考えが浮かんで、それは記憶に残っています。
農業を始めて、少し物質的豊かさに対する憧れが減り、しかし同時に精神的貧困を感じ…
そうなると、ほとんど今まで無関心だった神の存在が気になってきます。
科学信仰によって神の存在を否定していたけれど、完全にいなくなったわけでは無いのです。
豊作の時に言う「神様の恵み」は八百万の神様が有機物から無機物を生産して野菜を育ててくれた恩恵。
八百万の神様は存在し、今も土を少しずつ豊かにしてくれている。
でも現代の人口に対しては神様の恵みよりももっと圧倒的なエネルギーが必要になる。
化学肥料の恩恵によって現代人の殆どは生かされている。
神様の恩恵よりも科学の恩恵を享受する人の方が圧倒的に多い。
だから人間は科学を信仰する、ですよね?
大地の疲弊は100年前から心配されていて、再々自然派ブームが来ては、度々流行で終わる。
「今回の気候変動こそはホンモノだ」
かどうかは、やはり深刻になってみない限りわからないのですが、
私自身は科学信仰の未来がどうであろうと、神様の創造する事が未来を生きる糧になり得るのではないか?と思うのです。
八百万から始まり、神仏の概念は更新に更新を重ね、やがてキリストやブッダへと創られたのではないか?
神様という概念はみんなが何世代にも渡ってミクロの存在をマクロの存在まで繋いできた”育てる概念”なのではないか?
日本人の神様は急に創り変えたり、心中したり、輸入したり、無視してるウチに霧散霧消してしまったけれど、もしかしたらこれから必要になるのではないか?
科学が日本を覆い、神は不要になって見えなくなってしまったけど、物質層を剥がしたら、どっこい生きてるのではないか?
八百万神は昔も今も存在しています。
これからは神様を創る時代がやってくる!?
です。