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京都教育大学管弦楽団です。11月26日はぜひ宇治文化センターへ!心をこめて演奏いたします!!
京都教育大学管弦楽団の団員さんとの一枚です。
楽器を持っていないのは、実はこれプログラムに載せる集合写真で、採用されないほうの写真なんです。
かわいいですねー!
演奏会当日にお配りするプログラムには、各パートで楽器をもった写真も掲載する予定です。
マスクをとった団員さんの素敵な表情を久々に見ることができました。
どのオーケストラも「コロナウイルス感染防止」のため、活動に制約を受け苦しい日々が続いています。
少し、日常がもどりつつあるようにも思いますが、油断はできません。
そんななか、京都教育大学管弦楽団もできる限りの努力をして、音楽を磨いています。
当日は、ぜひ宇治文化センターにおいで下さい。
管弦楽団一同、心よりお待ちしています。
「少年の不思議な角笛」が届いた。
”Des Knaben Wunderhorn”
Alte deutsche Lieder
Gesammelt von Achim von Arnim und Clemens Brentano
Vollständige Ausgabe
1246 Seiten.
「少年の不思議な角笛」
古いドイツの歌
Achim von Arnim と Clemens Brentano が収集
完全版
1246ページ。
マーラーの声楽付きの曲を指揮するにあたって、
ずっと昔から欲しかった本。
聖書のような装丁で、
手に取るととてもかわいらしい印象だ。
腕時計と大きさを比較できる写真を撮ったので載せておく。
(昔はこんな場面ではタバコが比較対象だったなあ・・・)
本当は対訳されている完全版が欲しかったのだが、
そんなものは発見できなかった。
でもきっとこの本は僕を助けてくれると思っている。
ブルックナーの第7番を聴きながら歩く。
新しく購入したワイヤレスステレオヘッドセットHA-EC25Tがとても良い。
で、ウォーキングの時、マーラーとオフィシャル髭ダンディズムを聴きまくっていた。
でも、マーラーを聴き続けていると、まるで底なし沼に引きずりこまれて、
地獄へ向かっているような気持ちになってくる。
1番、2番、3番、4番、6番、7番、大地の歌と聴いて、
9番の時は1938年の、ブルーノワルター指揮ウィーン・フィルの演奏ばかり聴いてしまうので、
9番以外の交響曲とはまったく異なった曲に感じる。
9番はいいなあ・・・・
マーラーにいよいよ疲れてしまったら、オフィシャル髭ダンディズムを聴く。
「Editorial」を繰り返し聴く。
所謂「はまってしまった」わけだが、いつまでこの気持ちが続くのだろう。
で、今朝はマーラーを聴く気持ちになれず、心が平安を欲していると思ったので、
ブルックナーの第7を聴くことにした。
この曲は東京藝大のF年の定期で演奏した、僕たちの学年にとって大切な思い出の曲だ。
シュナイダー先生の過酷なトランペットのレッスンも思い出した。
もっともレッスンはC年の時の話だけれど・・・
3楽章のソロ、たった4小節のフレーズを何十回も吹かされたが、
決して先生からの「gut」は頂けなかった、
ひたすら「Noch einmal, bitte!」もう一度どうぞ!と言われ続けた。
そして、その演奏ではラファエル・クーベリックとはできないと言われた。
ウバルト・シュナイダー教授は、元バイエルン放送交響楽団の首席奏者で、
ラファエル・クーベリック指揮の元、数々の名演奏を成し遂げた人だった。
実に優しく楽しい方だったが、レッスンは厳格で妥協がなかった。
まだ二十歳前の自分は本当にへたくそだったし、音楽的にも未熟過ぎた。
・・・そんなことを思いだしながら、今日聴いた演奏は、
ロブロ・フォン・マタチッチ指揮、チェコ・フィルハーモニー。
本当に美しい、音色も音楽の形もすべて美しい。
この、オーケストラにしか出すことのできない音色だと思う。
ゆっくり歩いて、音楽に浸って、ひろびろとしたところに寝転んで、
空を見ているような、とても落ち着いた気持ちになった。
ブルックナーの7番、8番、9番は指揮していて天国の存在を感じる。
Ives' trap ?
アイヴズの交響曲第2番は、
たくさんのアメリカの旋律をモチーフとして用いる事と、
4楽章の最後でとんでもない事が起きる事が特徴の曲だと、
これまでずっと思ってきた。
バーンスタインの指揮と解釈で聴いていたのと、
題名のない音楽会での取り上げかたが、そのまま僕のこの曲に対するイメージとなった。
今朝、マイケル・ティルソン・トーマスの指揮の録音を聴いていたら。
まず第一に曲の美しさに感動した。
ソナタ形式より循環形式に近く、
最も重要と思われる場所ではフーガの技法が使われているようだ。
そしてアメリカらしい旋律は、控えめに、
遠くから聞こえる懐かしいメロディーの「断片」として表現されていた。
こんなアプローチもあるのだと、
これまで曲の奥に隠されていた「美しさが」表面ににじみ出てくるようだ、と感じた。
このアメリカの旋律のルーツを探りたくなる誘惑と、
曲の最後の破壊的な部分を強調したくなるのは、
加えて「マーラーのパロディではないか?」と思わせるのは、
指揮者、演奏者や批評家たちに仕掛けられたアイヴズの罠かもしれない。
あるいは、あまりにも美しい曲を作ってしまい、
照れ隠しで良く知られたメロディーを出し、
最後の和音を改変したのかもしれない。
いずれにせよ、
粛々とスコアを読んでいく。









