岐阜県交響楽団101回定期演奏会に寄せて
「岐阜県交響楽団101回定期演奏会に寄せて」
指揮者 藏野 雅彦
1.101回定期演奏会のプログラムについて。
ヴェルディのレクイエムをご存知だろうか?
大指揮者カラヤン曰く「管弦楽、独唱、合唱のために書かれた世界最高の音楽」であるこの曲は、
キリスト教宗教音楽であるにも拘わらず、まるでイタリアオペラの音がする。
ヴェルディらしさという観点からも、宗教音楽という観点からも最高であるが、一聴してミスマッチに感じられる。
この現象こそが、実はヴェルディの魅力で、旧約聖書のユダヤ人の物語「ナブッコ」序曲でも、
その魅力をお楽しみ頂けると思う。
ワーグナーのオペラは12~13世紀の騎士が活躍した時代を背景としたものが多く、
勇者の大冒険物語はスペクタクルでファンタジックでわくわくする。
これは現代のゲームRPGに受け継がれている。
おそらくワーグナーの憧れと自身の人生や愛情についての考え方が音楽に表現されているのだと思うが、
多くの作品において「聖」と「俗」の厳しい対立を物語の核としている。
今回「ローエングリン」では聖なる情景を描いた2曲と英雄の飛翔を感じる曲、
そして不幸な結末を暗示する皮肉なことに「結婚行進曲」数小節を演奏する。
101回定期のコンセプトとして「原点回帰」が掲げられている。
これは昔を懐かしむというセンチメンタルな意味ではなく、
これからの岐響がさらに発展するために、出発点で感じたオーケストラへの高まる想いを再確認し、
今日から岐響の新たな素晴らしい歴史を創っていこうという事なのだと認識している。
「原点とは?」その答えは人により様々だと思うが、
101回定期においては「ベートーヴェン」なのだと思う。
岐響に入団し、初めてベートーヴェンを演奏した時の自分を思い出そう。
感動はあったのか、そこに何を加えるのか、今、自分にできる事は何なのか、
そういったことに思いを馳せながら、
良き仲間と音楽の時間を共有できる幸せと、70年培ってきた岐響の美しい音を紡ぎ合わせ、
サラマンカホールを大きな感動で満たしたい。
2.音楽を作る上で大切にしていること
指揮者となって数十年、この間ずっと大切にし言い続けてきたことがある。
「クラシック」という言葉について、である。
単に古いという意味ではなく、何百年、何千年と時か経過しても、価値が失われることなく、
現在も作られた時と同じ、またはそれ以上に輝き続ける創造物を意味するのだ・・・これが第一の内容。
第二の内容、大切にしていることは「絶対音楽」という言葉。
これを理解しいかに取り組むか、ということである。
昨今、言語によるコミュニケーションの重要性が盛んに謳われており、
音楽を奏でる前に、まず言葉、文字ありき、という風潮に憤りを感じている。
すでに故人だが、マイルス・デイヴィスというジャズのレジェンドが、
彼の音楽について雑誌記者からの質問攻めに会い、
うんざりして言い放った言葉が「音楽は音に語らせろ」という一言であったという。
「音ありき」・・あまりにカッコよい言葉で痺れてしまう。
自分もこうありたいと思うけれど、指揮者という立場上、作品について猛勉強して、
自分なりの曲想と、アプローチの方法をオーケストラに提案しなければならない。
文字情報は自分の仕事に不可欠で、扱う言語は簡潔かつ洗練されたものでなくてはならない。
しかし、音符が音となった瞬間、文字情報を消去し、純粋で美しい音として奏されるようサポートする。
音以外の何かが付属することを許してはいけない。
言葉では言えても、自分にそんなことができたか、これからできるのか?と問われれば、
「NO」である。
残念!なんと歯がゆい現状だろう・・・。
「クラシック」「絶対音楽」そのふたつを大切に思いながら、理想に向けて、丁寧に試行錯誤を繰り返す、
どうか、そんな僕に今しばらくお付き合い願いたい。
3.岐阜県交響楽団について
前回ご一緒したのが2011年の第78回定期で、
チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」より“ポロネーズ”、
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、ブラームスの交響曲第1番という素晴らしいプログラムで、
終演後の興奮と満足感を今でも思い出せるほどだから、とても良い演奏をしていただいたのだと思う。
さらに打ち上げの時、どなたかのスピーチで
「岐響と藏野さんは相性が良い!」という発言があったので僕は大変喜んだ。
こういうのはご縁の問題、2回目の共演となる今回まで結構間が空き、
実は、僕の知る岐響とは全く違うオーケストラと向き合うことになるのではないかと、
若干不安な気持ちになっていた。
4月20日の初回練習で、懐かしい岐響練習場に到着し、皆さんのお顔を拝見したとたん、
僕の気持ちは時空を飛び越え、2011年の岐響との時間に繋がった。
まるで昨日までブラームスのリハーサルをしていたかのような気持ちになれたこと、
それが本当に嬉しかった。
現在、3回のリハーサルが終了したという状態だが、
オーケストラのサウンドが本当に素晴らしいと感じている。
現時点では、ワーグナーで一番良い音が出ていると思う。
引き続きワーグナーにさらに磨きをかけることができれば、
19世紀のオペラの世界の対極に位置するヴェルディの音が浮き彫りになってくると期待している。
団員さん所有のチンバッソの音が、ヴェルディの音作りに大きな役割を果たしている。
こんなに珍しい楽器を所有しておられる団員さんには感謝している。
そして、ベートーヴェンの第6交響曲、
「音画ではなく感情の表現」という課題を作曲者から直接与えられおり、
この曲こそが101回定期のコンセプト、回帰すべき「原点」であり、新たに始めるべき「原点」である。
今岐響が目指すべき最高の美しさを創出し、ベートーヴェンの天才から畏敬の念を持って学び、
感動を創り上げるため、丁寧なアプローチを試みる、それが僕の仕事であり、
最高に真剣で最高に楽しい時間になると(すでになっている?)思っている。
かならず、良い演奏会となる・・・そう確信している。
【付録】対向配置について
僕が対向配置をお願いする理由は二つ。
一つは「1750年から1950年の間第1Vnと第2Vnは左右に分かれて配置されていた」という事実。
これは記録と映像で容易に証明できる。
そして、その間に活躍した作曲家の目の前には対向配置のオーケストラがあり、
対向配置でなければ意味をなさない音楽も多く書かれた。
ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、マーラー等のスコアを見れば必ず理解できる。
1950年以降の配置についてはステレオ録音がやり易い形態が選ばれたのだと思う。
もう一つの理由は「最も音が美しい配置」であると感じるから。
各パートがクリアーに分離して聴こえ、
さらに音バランスが調整がし易くスコアの再現に有利だと感じる。
かつて京都コンサートホールで、
ブロムシュテット指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏を聴き、
「今までの人生で聴いた最も美しい音」だと感じた。
オーケストラは対向配置で置かれていて
「僕も生涯、できる限りこの配置で指揮しよう」と決めたのだった。
2024年7月7日(日)岐阜県交響楽団定期演奏会に寄せて書き、機関誌「ひびき」に掲載された。



