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2017-02-16 07:12:00

訪問をありがとうございます。

 

ここ最近、全くもって頭の回っていなかった私は、ぼんやりしていることが多いと反省しています。

 

今週でこの慌ただしさは終わる予定・・・なので、日曜日は休みを取ってリセットしようと目論んでいます。

 

皆さまは、いかがお過ごしですか?

 

 

 

さて。

 

昨夜は、地域を考える会を開かせていただきました。

 

ここにご参加いただいている方々には、毎回感謝の気持ちでいっぱいです。

 

私自身、ありがたいことに様々な方と関わらせていただく機会があり、その中で交流を深める人とそうでない人との違いがあるのですが、その違いは何だろうと考えてみました。

 

そして、これは私の価値観ですが、私が継続した繋がりを持っている方々って、行動を起こしている方々だと気がつきました。

 

 

 

理想やあるべき論を話してくださる方々、現状の課題を話してくださる方々って、たくさんいます。

 

一方で、それを行動に起こしている方って、本当に少ないと思います。

 

私自身、どんなに崇高な話をする人よりも、一つでも良いので行動を起こしている人に魅力を感じます。

 

そして、その行動を応援したいと考えるのです。

 

 

 

昨夜は、とある方との話の中で、『(起こしている活動が)失敗した場合、撤退すれば良いやという考えでは、そこに乗っかって協力した人たちに対して、失礼ではないか?協力してくれた人たちの善意をどう考えるのか?』という内容のご意見をいただきました。

 

それに対して私は『それは残された人たちが考えれば良い』と答えました。

 

『本当に必要な行動であれば、発起人が活動を辞めても、誰かがそれを引き継ぐだろう』ということです。

 

 

 

その活動に意味があると感じて立ち上げた方々は、それぞれ想いがあり、それを行動に起こす力を素晴らしいと考えています。

 

そして、それを素直に共感して応援する人たちって、その人が本気で真摯に活動に取り組んでいた場合、途中で活動を諦めたとしても『裏切られた!』とは感じないと思うのです。

 

また、その活動自体が本当に必要なものであるとしたら、たとえ発起人が活動を辞めても、誰かがその後を継ぐと思うのです。

 

 

 

ゼロから何かの行動を始めるって、本当に勇気と労力を使います。

 

同時に、絶対の成功保証なんて世の中にはありません。

 

行動を起こす人々に、その『成功保証』を求めてしまうのは酷だと思うのです。

 

トライアンドエラーの繰り返しで物事は進んでいき、それが結果として出た時、活動を中断するのも継続するのも、発起人が決めれば良いと思うのです。

 

そして、その決断を絶対に批判してはいけないと私は思うのです。

 

 

 

あぁ、今回はとてもざっくりとした話になってしまい、読んでいる皆さまには通じにくかったらごめんなさい。

 

私自身、様々な行動を起こしていますが、いつも心がけていることは『周囲に勝手な期待を抱かない』ということです。

 

『私はこんなに頑張っている。だから皆も私に協力して当然』という想いを持ってしまうと、周囲に対する感謝の気持ちを持てなくなるからです。

 

周囲に対する感謝の気持ちは、その共感してくれた行動が結果に繋がるように、全力で取り組むという行動になると思うのです。

 

これ、きっと行動を起こす方々って、多かれ少なかれ、同じような気持ちだと思うのですよね。

 

 

 

自身の仕事で手一杯な状況で、さらに負荷をかけて行動するって、本当に大変だと思います。

 

それを承知で、今の世の中の課題を、自分ごととして捉え、考え、行動にする方々について、どうか必要以上に責任を押し付けないで欲しいと思います。

 

 

 

どんな行動も、必要であれば継続するし、必要とされなかったら淘汰される。

 

これは自然の摂理です。

 

そこに、必要以上の責任や負荷をかけることは、してはいけないんじゃないかなぁ〜なんて、考えてしまいました。


2017-02-11 14:43:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は、1ヶ月ぶりの自宅業務です。

 

午前中は家族と時間を共にし、昼からは保留としているメールの返信やら、会社の書類関係や経理をしています。

 

明日は認定調査を作成しに出社予定です。

 

皆さんは、どんな一日を過ごしていますか?

 

 

 

さて。

 

ここでも何度か書かせていただいていますが、私は月に10件前後の認定調査を受けています。

 

今月も10件行っている最中ですが、その内の訪問先で言われたセリフが、タイトルの言葉です。

 

 

 

この言葉を言われたご家族は、一人で寝たきりの要介護者を介護しておられます。

 

この状況って、とてもプレッシャーやストレスを抱えてしまうものだと、私は考えています。

 

介護をしている方って、大半の方が変わりゆく利用者を前にどうして良いかわからず、とりあえず目の前のことに追われてしまっている。

 

介護の技術がないままに、自分なりに工夫しながら何とか目の前のことをこなしている。

 

誰かに助けを求めたくても、誰に求めれば良いのかわからない。

 

何を聞けば良いのかわからない。

 

うまく折り合いをつけて介護をしたいのだけど、折り合いをつけるためのリソース(資源)がわからない。

 

そういう方々って、多いと思います。

 

 

 

ケアマネジャーって、そういう方々に対して、必要なの情報を提供し、利用者や家族の選択を支持し、その選択に沿って連絡調整をするのが仕事だと思います。

 

なんて書くと、皆さんは『そんなの当たり前じゃない』と思われるかもしれません。

 

 

 

 

ただね、『知っている』と『できている』って、違うのですよね。

 

私自身、いつも自分自身に問います。

 

『私は、ケアマネジャーの業務を利用者や家族の期待通りにできているか?』と。

 

自分では行っているつもり、ではなく、相手が満足できる情報を提供し連絡調整を行っているか?と、いつも問いかけています。

 

そして今回、その不満を象徴するような言葉がタイトルの言葉で、思わずこれを機会に、改めて考えてみたいと思いました。

 

 

 

要は、こういうことです。

 

ケアマネジャーが、家族の希望する、家族にとって有益な情報をくれない。

 

毎月訪問しては、紙(利用票)を置いていき、『ハンコを押してください』というだけの仕事って、本当に楽ね。

 

藁にもすがる思いの家族が、知人から得た情報をケアマネジャーに聞くと、『それは家族の行うことですから』と申請の手伝いをしてくれない。

 

だったら、ケアマネジャーって、何のためにいるの?

 

なんで『ハンコ押し』だけこちらがしなくちゃいけないの?

 

そんな手間をかけさせられるなら、ケアマネなんていらないじゃない。

 

 

 

いろいろなケアマネジャーがいると思いますが、今回のポイント(考えられる原因)は3つだと感じました。

 

一つは、相手の求めていることが何かを把握できていなかったこと。

 

これはアセスメント不足ですよね。

 

もう一つは、ケアマネジャー自身の引き出しが少ないこと。

 

アセスメントはできていたとしても、それに対する支援を十分にできていなかった、ということ。

 

これは、ケアマネジャー自身がアンテナを立てていくしかないですね。

 

そして最後は、説明能力と伝え方。

 

 

 

この最後の『説明能力と伝え方』って、とても大きな不満に繋がると、私は考えています。

 

要は、言い方の問題ですね。

 

正しいことを言っていても、その伝え方によっては不満を持たれることって多いと思うのです。

 

大げさではなく、ここを押さえていないと利用者や家族の不満って、何かをきっかけに噴出します。

 

 

 

相手に響く(通じる)言葉で説明を行い、突き放すのではなく、寄り添いながら、家族の役割は家族が行えるように導く説明。

 

これができるようになるよう、少しでも上達するよう、自分自身を振り返りながら、改めて社内でも研修が必要と思いました。

 

 

 

皆さんは、ご利用者・ご家族が満足のいく支援を提供できていますか?


2017-02-06 21:18:00

訪問をありがとうございます。

 

『今日も一日、頑張った〜』と、自分自身を褒めている私です。

 

何を頑張ったかって、一番頑張ったのは自転車こぎ。

 

脚が、信じられないくらいにパンパンです。

 

皆さんは、どんな一日を過ごしましたか?

 

 

 

さて。

 

月前半を訪問に明け暮れる私は、平日の朝にサイトの更新を行うことができないため、こうやって夜にポツポツと書いているわけで。

 

今日は、行動を起こす際に注目するもの、『評価』と『結果』について書いてみたいと思います。

 

これって、似ているようで大きく異なると思うのは、私だけでしょうか(あ、普通はそんなこと気にしないですかね)?

 

というわけで、改めて辞書で調べてみましたが、評価と結果の違いはこんな感じです。

 

 

 

評価:ある事物や人物について、その意義・評価を認めること。

 

結果:ある原因や行為から生じた結末や状態。また、そのような状態が生じること。

 

(大辞林 第3版より引用)

 

 

 

このどちらに注目して行動を起こすかで、人の幸せ感は大きく異なると私は考えています。

 

『評価』を求めて行動を起こすと、他者の目を気にしなければならない。

 

これって、本当に辛いと思うんです。

 

なぜなら、他者の目って、気にしだしたら際限がないから☆

 

 

 

Aさんの期待を気にして行動を起こすと、Bさんの期待に添えない。

 

Bさんの期待を気にして行動を起こすと、Cさんの期待に添えない。

 

頑張っても、頑張っても、全員から満足のいく評価を得ることができない。

 

まぁ、そんなのは当たり前のことですけどね。

 

だって、人はそれぞれ価値観が違いますから。

 

第一、他者評価を気にして行動を起こすと、本来の行動目的を見失いがちになってしまう。

 

 

 

 

一方で、『結果』を求めて行動すると、とってもシンプルに進めることができます。

 

立てたゴールに向かって、がむしゃらに取り組めば良いのですから。

 

そして、時々振り返って、ゴールに対してどこまで成果が出ているか?方向転換や効率化する必要はあるのか?等々、『ゴール』からブレずに行動し続けることができるのです。

 

途中途中で、様々な人の意見を聞くことは大切ですが、それは一つの意見として受け止め、それらを踏まえて自分の行動(成果や方向性)を振り返り、改善していけば良いと思うんですよね。

 

 

 

本当に些細なことではありますが、行動を起こす時に、『評価』を気にして動くか、『結果』を気にして動くかで、負担もゴールも大きく変わってくると思います。

 

評価を気にして行動すると、自分の本来の目的(目標)から逸脱しやすい。

 

結果を気にして行動すると、自分の本来の目的(目標)から逸脱しにくい。

 

なぜなら、評価は人の価値観によって異なる曖昧模糊なものだから。

 

結果は自らが決めたゴールであり、自分自身がブレなければ、明確なものだから。

 

 

 

何が言いたいかというと、『自分が思っているほど、他人は自分のことを見てもいないし、正しく評価をしようともしていないんだから、他人の目を気にして行動するのではなく、自分がどうしたいかを考えて、行動した方が楽しいよ』ということです。

 

もっと言ってしまうと、『手段や方法に拘って、本来の目的を見失わないように気をつけよ〜』とも思うわけです(ここについて書き出すと長ったらしくなるので割愛します)。

 

 

 

とはいえ、自分の好き勝手になんでもすれば良いという話ではありません。

 

自分の起こす行動が他者に及ぼす影響については、行動を起こす前に十分に考えれば良いわけで、行動を起こしたら、ひたすらゴールを目指すのみ。

 

この思考の段階で、『三方良し』をゴールにすることは大切です。

 

行動の段階では、他者の目とか損得とか利害とか考えずに、『目標を達成するために』だけを考えて、真剣に行動を起こすって、本当に楽しいですよ。

 

ある意味、バカになれます。

 

そして、この『バカになる』って、本当に楽しいですよぉ♪

 

 

 

というわけで、本日の質問はこんな感じで☆

 

皆さんは、行動を起こす時、評価と結果のどちらを気にしてしますか?


2017-02-05 09:03:00

訪問をありがとうございます。

 

今日の関東は午後から天気が崩れるとのこと。

 

私は午後から、東京都社会福祉協議会主催の、地域を創るというシンポジウムに参加予定ですが、昨日、事務所のトイレ電球が切れてしまった為、事務所に寄ってから出席をする予定です。

 

皆さんは、どんな一日を過ごしますか?

 

 

 

昨夜は、職能団体繋がりの方と会合でした。

 

その方は非常に専門職としてのモチベーションが高く、話をしていると『あぁ、私も、もっとしっかりしないとなぁ〜』と思います。

 

昨夜も、様々な話を4時間ガッツリさせていただきましたが、こういう話のできる方を持てるということを、とてもありがたいなぁと思います。

 

 

 

彼女は、ケアマネジャーが対人援助技術(者専門職)として全体底上げができるように、様々な活動に参加しています。

 

職能団体への活動はもちろん、学会等にも積極的に参加して、常に前向きな取り組みをしているのです。

 

私自身は紆余曲折をしながら、結論として『地域から取り組みを行う』を選択しましたが、彼女は『全体底上げ』の全国の視野で取り組みを行っています。

 

その様子や、その中で感じたこと・課題に対しての更なる取り組みを聞いていて、たくさんの元気をもらいました。

 

 

 

話を聞きながら、『ねぇ、それってとても時間がかかるし大変じゃない?』と私が言うと、彼女は一言。

 

『誰かがやらなきゃダメでしょ』。

 

 

 

こういうスタンスで取り組みをされている人を、私は尊敬します。

 

様々な課題に対して、『誰かがやってくれるだろう』と他人任せにするのではなく、評論家になってあるべき論を言いながら自分は行動しない人よりも、自分ごととして捉え、できることから取り組んでいく彼女は、とてもキラキラしていました。

 

想いが強い分、ちょっと早口ですけどね☆

 

そういう人と会い、コミュニケーションを取ることで、私自身も元気をもらうと同時に、視野が広がります。

 

実践者との交流は、私にとって大きな宝の一つです。

 

 

 

そんなこんなで帰路に着いた時には、完全に日付が変わっていましたが、とても気持ちの良い時間を過ごすことができました。

 

そして、主体的に活動する人が周りにいる、その人と意見交換を通じて、自分の視野を広げることができる自分を、幸せだなぁ〜と感じます。

 

皆さんは、様々な物事に対して意見交換できる人は、周りにいますか?


2017-02-04 07:23:00

訪問をありがとうございます。

 

 

 

今日は、ケアマネジャーの支援の関わり方について考えてみたいと思います。

 

ケアマネジャーって、制度上の立ち位置が非常に曖昧な部分があって、その『明確な線引き』はありません。

 

だからこそ、個々のケアマネジャーの倫理観や価値観で、支援の線引きがなされていることって、多々あると思うのです。

 

皆さんは、自分の中に『ここまではやろう』という線引きの基準はありますか?

 

 

 

私の場合、ケアマネジャーの役割というものを『繋ぐ人(調整する人)』と認識しています。

 

役割の範囲については、運営基準の通りの認識です。

 

その為、どのような場合でも、本人の命が危険にさらされるという緊急時でない限りは、直接支援は行わないということを、自分自身の中で決めています。

 

 

 

 

ご利用者の生活状況を点ではなく、面で捉えることができているのって、ある意味、ケアマネジャーだけなんですよね。

 

俯瞰的に物事を見ることができる、というか。

 

チーム(支援者)が点の支援をしているのを面にして捉え、それをチームに伝える。

 

それが、ケアマネジャーの役割の大きな一つだと考えています。

 

支援者が行うケアが、その人にとってどのような効果を生み出しているのかを伝えることで、支援者自身が目的意識を持ってケアに当たるというか。

 

だからこそ、ケアマネジャー自身が直接支援に当たることはしない方が良いと考えています。

 

そこに力を注ぐのなら、支援者との関係性を強化することに力を注いだ方が良いと思っています。

 

そして、『〇〇さんの為なら頑張るわ』と言っていただける関係づくりを目指します。

 

(ここが出来ていないケアマネさんは意外に多いと感じています)

 

それが、『チーム形成力』をつけることだと思っています。

 

結局人は感情で動くから、日頃の関係構築が、いざという時に力を発揮してくれるのですよね。

 

 

 

なぁんて。

 

こんなことを書いているのも、今月中旬までに職能団体で『チーム形成力』に関する質問20個を考えなくてはいけないという宿題をもらっているのです。

 

その為、改めてこんなことを書いてしまいました。

 

 

 

さぁ、今日は病院で契約からの、モニタリング、入院時連携の挨拶、知人との会合とやること盛りだくさんですが、一日頑張ります☆

 

皆さま、充実した一日をお過ごしください♪


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