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今日も、とても暑い一日でしたが、皆さま洋服などで上手に調整できたでしょうか?
今日は、午前中に助け合い活動連絡会の世話人会に出席し、午後からは、中小企業家同友会の支部長たちと行政(地域振興課)に新年度の挨拶をしました。
助け合い活動連絡会では、来月行われる総会の準備として活動報告や予算報告と活動計画の内容確認を行うほか、世話人の活動近況報告から様々な意見交換を行いました。
私自身、地域活動を行っていますが、世話人会など様々な活動をしている方々からお話を聴くと、毎回、積極的に地域に関わっている様子がよくわかり、本当に頭が下がります。
仕事でも義務でもないですが、地域のために主体的に活動する。
その行動から他の課題に気づいたり、活動によって顔が広くなり他所からの相談を持ちかけられたりして、更に活動が活発になる。
どんな分野もそうかもしれませんが、活動はすればするほどやることが増えていくループに陥りがちです。
しかし、決して嫌な顔をすることなく『お役に立てて良かった』と笑顔で話をされる姿を見ていると、すごいなぁと感じると同時に、ここまで活動を主体的に行えるモチベーションは一体何だろうといつも考えます。
そんな時間を過ごした後、中小企業家同友会の方々とランチをし、その後、行政に挨拶に行きました。
午前中は地域活動に参加し、お昼以降は仕事関連の方と行動する。
一見、真逆の関係性のように感じますが、私の中ではどちらの会員も『地域をもっと良くしたい』という思いは同じだということがよくわかります。
地域に住んでいる人にとっては地域を豊かにするということは強い希望となるでしょうが、地域密着の会社にとっても地域の発展は企業の発展に繋がるし、行政においてはその具現化をするための協力者となります。
そう考えると、地域というものは、そこに住む人と企業と行政が足並みを揃えて進めることが、何よりも大切であることが分かります。
ランチの中で同友会江東支部長が『つながりづくりや地域活動は、昔ながらの手法を単に継続するのではなく、かといって否定するのでもなく、良いところを継承しながら今の時代に合わせてつくっていきたいね』という言葉に、深く共感しました。
そして、午前中に顔を合わせた方々を思い出しながら、改めて、江東区の強みや良い部分を考えつつ、時代と重ね合わせながらどういう形で人のつながりを広げていったらよいかを考えました。
皆さんの地域では、人と人、人と団体、団体と企業のつながりは築けていますか?
訪問をありがとうございます。
今日は、午前中に感染者の方2件に食糧支援を配達してきました。
これは先月から行っている取り組みで、区のフードバンクを取り扱っている方と連携し、東京都から食料配布があるまでの『つなぎの食料』を配達しています(1人暮らしの多い地域ならではの支援だと感じています)。
この活動の真の目的は、『配達を通じて助け合いの輪を広げる』ことです。
勝手におせっかいをしているわけですが、ポチポチ依頼が来ることを考えると、そう無駄な活動でもないと感じていると同時に、このような活動の重要性を実感しています。
『できる範囲でを楽しめることを』をモットーとする地域活動は、個人の主体性を尊重しています。
これは、行政が予算も後ろ盾もしてくれる町会などと違い、後ろ盾も予算もない中、活動を行うということです。
同じ考えの仲間を募り、出来る範囲で活動を行う。
この、社会の多様性や不確実性が高まっている中で、あまりに個人の『主体性』という不確実なものに頼りすぎるのは、今の社会では危険な気がしているのは私だけでしょうか?
多様性という視点で社会を捉えた時、実は行政というシステムで動く支援よりはNPO法人など地域活動の方が、きめ細やかな対応が期待できます(制度に人を当てはめるではなく人に必要な支援をするという感覚)。
一方で、不確実性が高まる社会では、個人の善意にも限界が見えてしまいます。
本当は、行政と町会/自治会などのように、行政と地域活動団体がつながることができれば一番良いのだろうけど、なかなかそれも叶わず、素晴らしい活動を行っているにも関わらず存続の危機に陥っている団体もチラホラ見かけます。
また、構成メンバーの高齢化により負担をこれ以上増やせない為、出来る範囲を縮小して活動をしている方々もおられます。
地域を豊かにすることを願った時、一番に大切なものは『人』です。
当区では個人でボランティアや地域活動を学習できる支援はあるのですが、人と人をつなげたり、既存の活動をしている方々のノウハウを後人に伝える仕組みが当区にはありません(俗人的な繋がりとなっている)。
行政の方々は、地域の現状を良く理解しており、出来る限り寄り添った対応をしてくれますが、仕組みがない以上、できることは限られている現状があります。
これは非常にもったいないと思うと同時に、テクロノジーの進化を加味しながら、10年後20年後を見据えた地域づくりを真剣に考え、人を育てる仕組みを構築することが地域満喫の課題であり、ここがクリア出来たら地域はもっともっと豊かになるのではないかと考えました。
皆さんの地域では、持続可能な助け合いの体制がつくれていますか?
訪問をありがとうございます。
今日は、生活困窮者に対する支援について考えたいと思います。
まずは、今朝のニュースから。
「これが福祉なのか...」困窮者への特例貸付で破産連絡700件超 コロナ禍で大量申請、支援現場に葛藤
ニュースを要約すると、「コロナ禍の対策として低所得者への貸付要件を緩和したところ、返済のめどが立たずに自己破産する人が増えている」という内容です。
具体的な数字で記載すると、貸付申請数は約65万件(貸付金額は2400億円)ですが、集計可能な20年12月から今年2月までに、裁判所から利用者の自己破産通知が732件あったのです。
自己破産した人によっては、「こんなんなら素直に初めから生活保護を申請すればよかった」という声もあり、なんとも残念な状況に陥ってることがリアルに感じられます。
本来、こういう生活困窮者支援法に係る支援というのは、相談機関(社会福祉協議会)が返済計画などを一緒に作成し貸付を行うものですが、コロナ禍ということで、申請は自己申告(証明書不要)であり返済計画も作成する余裕はなかったようで。
これは、窓口になっている社会福祉協議会は大変なご苦労だっただろうなぁと感じるとともに、今回は、このニュースを踏まえ「人が生活に困った時、どういう支援をすることが今の社会で最善か?」ということについて考えます。
今回のニュースの課題は2つあります。
1つは、『そもそも生活困窮者に対して返済をしなければならない貸し付けを、伴走者もいない中で行うことが妥当なのか?(貸付という形が良いのか?)』ということ。
もう1つは、『本来、相談窓口として機能する社会福祉協議会が貸付窓口をすることは、返済に行き詰った場合相談しにくくなってしまうのではないのか?』ということです。
生活困窮になるまでにはいくつかの段階があると思うのですが、そもそも、それらの段階を一人でクリアできなかったからこそ困窮に陥るわけなのに、その状態の人に対して、さらにお金を貸し付けるという甘い誘惑のハードルを課し、伴走者もいない中、返済を期待する方がおかしいというか。
結果、返済が滞りさらに困った場合が生じても、その人たちは貸付窓口に相談に行きにくくなってしまい、本来の社会福祉協議会の存在意義が揺らぐリスクが生じるというか(社会福祉協議会の職員さんも辛いと思います)。
これ、せっかくニュースとして取り上げられたのだし、早急に制度の見直しをした方が良いと感じています。
初っ端から堅い話をしましたが、今度は『じゃあ、どういう仕組みにすればよいの?』という部分について考えたいと思います。
これは、以前、80歳を超える方から聞いた話ですが、1990年代に入るまでは、なんだかんだ言って人の生活は地域に密着している方が多かったそうです。
直接、町会や民生委員との関わりがなかったとしても近隣住民からの情報などで、地域に住んでいる方を大まかには把握できている状況だったのです。
その地域の相談窓口として民生委員が地域の困りごとを抱えている人から相談を聞き、丁寧に何度も足を運びながら、様々な制度の情報提供や人の紹介を行ったりしていました。
つまり、「同じ地域に住んでいる人の困りごとを自分事として捉え、こまめに足を運びながら信頼関係を築き、相談者の人と形(なり)を理解しながら、その人にとって最善と思える情報提供をしたり、地域の中で解決に向けて働きかけてくれる人につないでいた」ということです。
その上で、地域ではどうしようもないと判断した時は行政に一緒に行き、生活保護などの社会システム活用を申請したそうです(行政への申請には一緒に付き添うことが多かった)。
これは、「町会という同じ組織で過ごすものに対する仲間意識」と、「同じ町内という気軽に通える物理的距離の近さ」があったから、できたことかもしれませんが、とにもかくにも、この1990年代までは『困ったら地域に相談→地域で解決できないことは行政に申請』という流れが主流だったのです。
ここでのポイントは、『対象者と行政などのシステムの間に、人が介在していた』ということです。
人って、誰かに見守られている/誰かに気にかけてもらっていると感じると、わずらわしさを感じると同時に、安心感を得ることができるものです。
また、伴走者がいることで、その人とのやり取りを通じて自分自身の状況を整理したり、これからについて前向きに考えることができます。
地域という身近な場所に『住民という同じ目線で損得抜きで自分に関わってくれる人がいる』ということが何よりも重要だったのではないかと、今となっては感じるわけです。
とはいえ、昔に戻った方が良いとかそういう話ではありません。
今の社会では民生委員の役割も変わり、個人情報などの規制もできたことから町会での関わりは大きく変わりました。
それらを踏まえて、今の時代に合った『同じ目線で伴走してくれる人』をどうやって構築すればよいのか?というところは、ここ数年の私の課題です。
今のところは、いわゆる町会加入率の低下を地域活動で補完する形をとってますが、これをどのような形にすれば、誰もが地域に居場所と役割を持って過ごす地域がつくれるのか?
ここは、これからも考え続けたいと思います。
皆さんの地域は、システムと個人の間でクッションのような役割を果たすものはありますか?