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2022-04-06 08:00:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は、生活困窮者に対する支援について考えたいと思います。

 

 

 

 

まずは、今朝のニュースから。

 

「これが福祉なのか...」困窮者への特例貸付で破産連絡700件超 コロナ禍で大量申請、支援現場に葛藤

 

 

 

 

ニュースを要約すると、「コロナ禍の対策として低所得者への貸付要件を緩和したところ、返済のめどが立たずに自己破産する人が増えている」という内容です。

 

具体的な数字で記載すると、貸付申請数は約65万件(貸付金額は2400億円)ですが、集計可能な20年12月から今年2月までに、裁判所から利用者の自己破産通知が732件あったのです。

 

自己破産した人によっては、「こんなんなら素直に初めから生活保護を申請すればよかった」という声もあり、なんとも残念な状況に陥ってることがリアルに感じられます。

 

本来、こういう生活困窮者支援法に係る支援というのは、相談機関(社会福祉協議会)が返済計画などを一緒に作成し貸付を行うものですが、コロナ禍ということで、申請は自己申告(証明書不要)であり返済計画も作成する余裕はなかったようで。

 

これは、窓口になっている社会福祉協議会は大変なご苦労だっただろうなぁと感じるとともに、今回は、このニュースを踏まえ「人が生活に困った時、どういう支援をすることが今の社会で最善か?」ということについて考えます。

 

 

 

今回のニュースの課題は2つあります。

 

1つは、『そもそも生活困窮者に対して返済をしなければならない貸し付けを、伴走者もいない中で行うことが妥当なのか?(貸付という形が良いのか?)』ということ。

 

もう1つは、『本来、相談窓口として機能する社会福祉協議会が貸付窓口をすることは、返済に行き詰った場合相談しにくくなってしまうのではないのか?』ということです。

 

生活困窮になるまでにはいくつかの段階があると思うのですが、そもそも、それらの段階を一人でクリアできなかったからこそ困窮に陥るわけなのに、その状態の人に対して、さらにお金を貸し付けるという甘い誘惑のハードルを課し、伴走者もいない中、返済を期待する方がおかしいというか。

 

結果、返済が滞りさらに困った場合が生じても、その人たちは貸付窓口に相談に行きにくくなってしまい、本来の社会福祉協議会の存在意義が揺らぐリスクが生じるというか(社会福祉協議会の職員さんも辛いと思います)。

 

これ、せっかくニュースとして取り上げられたのだし、早急に制度の見直しをした方が良いと感じています。

 

 

 

 

初っ端から堅い話をしましたが、今度は『じゃあ、どういう仕組みにすればよいの?』という部分について考えたいと思います。

 

これは、以前、80歳を超える方から聞いた話ですが、1990年代に入るまでは、なんだかんだ言って人の生活は地域に密着している方が多かったそうです。

 

直接、町会や民生委員との関わりがなかったとしても近隣住民からの情報などで、地域に住んでいる方を大まかには把握できている状況だったのです。

 

その地域の相談窓口として民生委員が地域の困りごとを抱えている人から相談を聞き、丁寧に何度も足を運びながら、様々な制度の情報提供や人の紹介を行ったりしていました。

 

つまり、「同じ地域に住んでいる人の困りごとを自分事として捉え、こまめに足を運びながら信頼関係を築き、相談者の人と形(なり)を理解しながら、その人にとって最善と思える情報提供をしたり、地域の中で解決に向けて働きかけてくれる人につないでいた」ということです。

 

その上で、地域ではどうしようもないと判断した時は行政に一緒に行き、生活保護などの社会システム活用を申請したそうです(行政への申請には一緒に付き添うことが多かった)。

 

これは、「町会という同じ組織で過ごすものに対する仲間意識」と、「同じ町内という気軽に通える物理的距離の近さ」があったから、できたことかもしれませんが、とにもかくにも、この1990年代までは『困ったら地域に相談→地域で解決できないことは行政に申請』という流れが主流だったのです。

 

ここでのポイントは、『対象者と行政などのシステムの間に、人が介在していた』ということです。

 

 

 

 

人って、誰かに見守られている/誰かに気にかけてもらっていると感じると、わずらわしさを感じると同時に、安心感を得ることができるものです。

 

また、伴走者がいることで、その人とのやり取りを通じて自分自身の状況を整理したり、これからについて前向きに考えることができます。

 

地域という身近な場所に『住民という同じ目線で損得抜きで自分に関わってくれる人がいる』ということが何よりも重要だったのではないかと、今となっては感じるわけです。

 

 

 

 

とはいえ、昔に戻った方が良いとかそういう話ではありません。

 

今の社会では民生委員の役割も変わり、個人情報などの規制もできたことから町会での関わりは大きく変わりました。

 

それらを踏まえて、今の時代に合った『同じ目線で伴走してくれる人』をどうやって構築すればよいのか?というところは、ここ数年の私の課題です。

 

今のところは、いわゆる町会加入率の低下を地域活動で補完する形をとってますが、これをどのような形にすれば、誰もが地域に居場所と役割を持って過ごす地域がつくれるのか?

 

ここは、これからも考え続けたいと思います。

 

皆さんの地域は、システムと個人の間でクッションのような役割を果たすものはありますか?