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つくづく
今回の東京オリンピックはもうヤバすぎる。
現在の日本を表しているかのようなヤバさ。
今回のヤバさは小山田圭吾。
90年代に好きで良く聴いていたし、ラジオも面白いので耳を傾けていた。
今回の騒動はその昔その記事を読んだ時はなぜこれが活字として出ているのか理解できなかった。
今のニュースではその時代の空気がそうさせた的なことが書かれているが、そうか?
ルックスから判断するとどちらかと言うといじめられていた方かと思っていたのにいじめる方だとは思わなかった。
しかもその程度がビックリするくらいでその当時は作品の良さと人間性を分けて考えるようにしていた。
絵描きでもこのようなことは多いのでそう考えることは難しいことではない。
ここまで問題ばかり起こるオリンピックって必要だろうか?
京都小旅行
どれくらいぶりか覚えていないが京都を廻った。
絵に関することばかりであるが久しぶりの人にあうとつい長話になって1日かかってしまった。
絵の具やを2件伺ったが絵が売れないらしいとの話。
絵が売れないと絵の具も当然売れず悪循環のようだ。
最近は岩絵の具も使わずアクリルや水彩絵の具で済ます学生ばかりのよう。
以前所属していた団体展にも伺う。
画像はその展示画像。
その後刺青の個展をさせていただいているギャラリーへ。
モデルさんの紹介とまた個展のお願いを約束する。
金箔屋さんはどうしようか迷ったがいい素材があれば欲しいので一応行ってみた。
いいものがあったのでかなり少量を手にする。
ひとつまみ単位の次の単位が1キロとべらぼうに大きいので3つまみほどを買って見る。
一応試作用。
京都の人混みはコロナ禍で少ないのかと思いきや、結構人はいた。
カップ工船
纏を続けて描いている。
何年ぶりかはわからない。
ここ最近でカップヌードルを120枚強描いたがその間に刺青と政治家も描いた。
ただ1枚づつだったので続けて描いたことで絵を描いている実感が湧いた。
色を微妙に変えたり、ヒビをどう入れるかを考え、手を動かさないで見ている時間ができてしまうことからくるものだ。
カップヌードルの作業はそうではないので絵を描いている実感はない。
仕事のチェックとしての細かい箇所を「見る」時間はあるが絵を描くための「見る」という時間はない。
精神衛生的にも良くなかっただろう。
いつもと違う作業が心地よい。
これからは合間々々にカップヌードル以外も入れよう。
第26回尖
以前参加していたグループ展の案内が来た。
無所属のグループという、今考えたらどういうことかわかり難いグループ(団体)である。
当方は日本画の団体と考えていたがメンバーは違うと思っていた人ばかりだった。
そんなことはさておき、いつものように中は各々の言い分が載っているのだが日本画の人にありがちな感情や精神性先行の文章である。
当方はそれらが苦手でできるだけ考えを表していた。
作品に対する考え方が他のメンバーと全く違っていたので作品も浮いていた。
できるだけ毎回違う作品を出すようにもしていた。
というのは団体展なのに審査がなく、なんでもオッケーなので自由なのだ。
それは本当にありがたかった。
作品の評判も大してよくはなかったが自分勝手に作品を作ることができるここの場があって今の自分がある。
カップヌードルも刺青も畳もポルシェも描くことができたのだ。
できれば今回京都へ絵の具を買いに行くついでに観に行く予定である。
https://kyotocity-kyocera.museum/exhibition/20210713-20210718-3
セオリー不確立
新しい纏の絵を描いている。
ヒビを入れるシリーズであるがまだセオリーが確立されていない。
まずは胡粉の膠の濃度。
いつもは100ccの水に飛鳥三千本を一本で溶いている。
これで塗ると膠がきつくて思う通りに胡粉が割れない。
次回は200ccに一本で溶いてみよう。
絵の内容にもよるが割れ目をどこへどういう風に入れるかがかなり時間がかかる。
今回もまる一日かかってまだ納得が行かない。
割るにあたって側面もどうするか考え込んでしまう。
あれこれ考えてばかりで進まない。
カップヌードルの作業と違って絵を描いている。
