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雲肌麻紙
刺青の作品を描く時は高知麻紙を使っている。
大きい作品を描くためなので岩絵の具を厚塗りするためあの麻紙の粗さは気にならない。
が、小品を描くには粗くて凸凹を取るためにヤスリがけや下地剤塗りと、手間がかかる。
それらを省くために何年かぶりの雲肌麻紙を手に入れる。
値段が張るがしっとりとした質感が作業していて心地よい。
水張りをしても端が綺麗に出て、張るだけでもう高級感がある。
学生の頃に先生が言っていた「何も描かなければ高くで売れる」という皮肉も納得の話である。
ほんのり黄味がかった色味をそのまま活かした絵が世の中にも多く存在するがそういう仕上げもわかる。
ただ、画商さんがこういうスキッとした仕上げは「安物くさい」とか言って気に入らなさそう。
本当はこういう素材が出ている方がごまかしが効かなくて大変なのだが。
座右の銘
展示会場に立っていて作品を購入してくださった方によくサインをする。
以前は慣れなくて下書きした画像を見ながら書いていた。
それも慣れてきて安堵していたのだが先日、座右の名を求められた。
真面目な良い人だったのでかなり困惑してしまった。
そのようなものを頭に入れておらず真っ白である。
ゆるい方になら高田純次的な「テキトー」とでも書いておこうと考えたのだがそのような人ではない。
かなり考えた挙句「永」を書いた。
その方が救いの手を差し伸べてくださったせいで一文字で許していただけた。
次回からは座右の名を真剣に頭に入れておく。
そして他にも色紙に書かされそうな事、も想定しておかねば。
美術品とは?
オークションサイトをよく見ている。
バブル時代に高騰した作家の作品の下落を見たり、友人の作品を見て苦々しく鑑賞している。
明らかに偽物も多く、しかし入札があったりと興味が尽きない。
大家の作品が激安(本物、共シールも付いていて)で出ているが取り扱い画廊は買い戻しをしないのだろうか。
高齢ではあるので見捨てているのか同じ作家の作品が多数出ていることも多い。
画商の役目としては扱った限りは責任を持っていただきたいが。
確かにバブルの頃の作家は近頃の作風には全くそぐわないので購買に繋がらないだろう。
画商の気持ちを考えると買い支えられないか。
いつか自分の作品もここへ登場することになるだろうからその時は自分で落札か。
近頃のお悔やみ
エディ・ヴァンヘイレンが亡くなった。
ヘビメタが好きな友人に勧められてよく聴いていた。
その友人が曰く「このバンドは自分で作った曲でヒットしていない」。
そのバンドがジャンプで大当たり。
それくらいからよくPVも見ていてとにかく楽しそうにギターを引く姿が印象的であった。
筒美京平のニュースはびっくりした。
と言うのも曲はいっぱい知っていたが本人の画像を見たのが今回。
あ〜、こう言うルックスなのか、と。
思っていたよりも年齢が行っていた。
ただ紳士的なイメージは本を読んでわかっていたのでそれには驚かなかった。
小学生の頃に歌番組を見ていると必ず筒美京平のクレジットが入っていた。
これもあれも、と言うぐらい。
洋楽を聞き出して歌番組を見なくなったがたまにちらほら見ているとアイドルにも提供していて驚いた。
それが平成にまで続いていてこれまたビックリ!
しかも聴きやすい口ずさみやすいいい曲ばかり。
テレビで特番やるかな?
東博の等伯
テレビを点けたら日曜美術館をやっていたので観て見た。
途中からだったので次週の晩の分を録画して最初から観賞。
現代美術の国際的にスターばかり。
村上隆は李禹煥と、杉本博は宮島達男と。
ならば奈良美智と草間彌生が対談かと思いきやそれぞれ個人インタビューであった。
村上と李は世界、杉本と宮島は時、奈良は個、草間は愛をそれぞれ語っていて興味深かった。
森美術館で展示をしているが村上隆の巨大作品は自分で描いていないであろうところがいつも見ていて驚異である。
上手い人が自分で描くのはあまり何も思わないがあれだけのクオリティーのものを自分でなく弟子たちに描かせるのは恐ろしい。
自分の手以上に人を動かせる、凄い。奈良美智の話は作品もいいが話の内容も自分の興味に近くて親近感をおぼえる。
杉本と宮島は作品がとてもクールで話もよかった。
自分の作品にも彼らの感じが欲しい。
全くないので。