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2022-05-13 08:00:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は金曜日、楽しみにしている総合事業『ご近所ミニデイ(サービスB)』の開催日です☆

 

ウチは、担い手であるボランティアさんの継続性を最重要視しているため、毎週ボランティアさんをチーム分けしています(第1週がAさんとBさん、第2週がCさんとDさん、という感じです)。

 

参加者の方々も『あぁ、今日は〇週目だからこのメンバーだね』と理解されており、地味にですが平成28年のモデル事業時から行っているこの事業、きっと恐らく、一番楽しみにしており元気をもらっているのは私です。

 

 

 

 

 

ご近所ミニデイの話から始めましたが、今日の話は対人援助を行う際のマインドの話をツラツラ書いてみたいと思います。

 

私が地域活動に本格的に関わるようになったのは平成26年からですが、以降、たくさんのボランティアさんと接しました。

 

また、介護自体の経験は25年になるため、実にたくさんの介護を担う家族や支援者と接してきました。

 

・・・で、よく感じることなのですが、介護など対人援助を行う動機づけを『〇〇のため』というふうに誰かに置いてしまうと、それはいつか『〇〇のせい』になってしまう可能性が非常に高いということです。

 

 

 

 

例えば、良く経験した例としては、ご家族が親のために自身の環境を変えて(仕事や従来行っていたことを辞める等)介護をする場合。

 

最初は『母(父)のため』と頑張って介護にあたります。

 

が、介護って医療と違って終わりがみえない長期戦なんですね。

 

『母(父)のため』と始めた介護を、ずっと頑張っていると息切れが生じます。

 

また、十分な知識や正解のない中で試行錯誤しながら介護にあたることは大きなストレスになります。

 

・・・で、いつか、そのストレスが溜まりに溜まり、自分の容量を超えた時に、この言葉が出るのです。

 

『私は〇〇も諦めて母(父)の介護を頑張っているのに・・・(全然よくならない)』

 

『母(父)のせいで、私は仕事を辞めた』

 

etc

 

 

 

 

支援者も同様の事例が多々あります。

 

介護職やボランティアを始めた動機付けやモチベーションを『〇〇に喜んでもらうため』にしてしまうと、相手が自分の期待通りの反応を返してくれない場合、相手を責めたり冷静に観察できなくなったり、必要以上にむきになって喜んでもらおうとアピールに夢中になってしまったり。

 

そうこうしているうちに燃えつき、『私は〇〇のためにこれだけのことをしたのに』『〇〇のせいで自分の時間を無駄にした』という、恨み節のような呪文が口をついてしまうのです。

 

 

 

 

私自身、日々様々な学びを得ながら毎日を過ごしていますが、一つだけ気を付けていることがあります。

 

それは、『自分の行動動機を他者に委ねない』ということです。

 

どんな活動も『自分がやりたいからやる』『おもしろそう(実験したい)からやる』というスタンスで挑戦しています。

 

・・・というのも、これはよく言われる普遍的な真理ですが『他人様を自分の思い通りに動かすことは無理』という気持ちがあるからです。

 

誰かに何かを期待するより・・・むしろ他者には期待をせずに粛々と行動すると、相手の反応は自分にとって『ありがたい』になるのですね。

 

想定外の反応をされても『まあ、人それぞれだから仕方ないよね』と割り切ることができます。

 

これは、ご機嫌についても同様で、周囲の環境で自分の気分が左右されないよう意識しています(意図的に怒ったりすることはあるけれど、私は本気で怒ることはめったにありません)。

 

 

 

 

介護業界に入った時、『長く続けるコツは、相手に期待しないことだよ』と熟練看護師に教えてもらったことは、今でも役に立っているし、この言葉をもらったから私は今でもケアマネジャーを続けられているのかもしれません。

 

そんなわけで、『〇〇のため』というのは、いつしか『〇〇のせいで』になる恐れがあるため、できれば自身の行動は自分の欲求に動機づけて行うことと、他人様に期待しないというのが、介護を長く続けるコツなのかなぁと思った次第でした。

 

皆さんの行動の動機付けやモチベーションはなんですか?