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2021-03-04 22:56:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は一日外部勤務でした。

 

※あ、本日は完全にオタクネタです。

 

 

 

 

この外部勤務の日は、電話や来客対応や書類整理等以外は、自分で書籍を持ち込んで学んだりできるのです。

 

そんなわけで、今日は『介護保険制度創設の背景』について、水曜日のうちに事務所で印刷したものと書籍を持参し読んでいました。

 

制度創設から21年が経って、7回目の法改正・報酬改定を機会に、今までの変化を改めて復習しようと思ったのですが、その前に、介護保険創設前のことをおさらいしてみようと思ったことがきっかけ何ですが、これが、おもしろくておもしろくて・・・。

 

他の職員がいる中で、一人没頭して資料と書籍を読み込みながらメモを取っていました(完全に変態です)。

 

『これ、いつか誰かにじっくり話したい♡』なぁんて思ってしまいました。

 

 

 

 

改めて整理し、時代背景を踏まえながら時系列を意識して読むと、様々なことが見えてきます。

 

女性の平均年齢が80歳を超えた昭和59年、

 

昭和60年には『人生80年時代』と言われ、このころから介護についての高齢期の過ごし方や諸々の制度について課題が出だしたため、政府全体として取り組みを始めました。

 

平成元年には『ゴールドプラン』が、平成6年には『新ゴールドプラン』が策定され、高齢者介護対策の補充が急ピッチで進められると同時に、平成7年2月から国の老人保健福祉審議会を皮切りに30回にわたる長期間の審議の末、介護保険制度が示されたのです。

 

 

 

 

その間の社会状況と言えば、昭和64年に昭和天皇が逝去され同年に消費税(3%)が導入されました。

 

平成2年には雲仙普賢岳の火砕流があり、平成3年にはバブル崩壊、平成5年には阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が起きています。

 

平成8年には薬害エイズ問題で国が謝罪したり、O-157が流行ったり、平成9年には山一證券が破綻したり、神戸の小学生殺害事件が起きたり(あ、私が介護業界に入職したのはこの年でした)。

 

1998年には若山市内カレー事件が起きたり完全失業率過去最悪となったり、長野冬季五輪が開催されたりしていました。

 

それぞれ、鮮明に覚えておられる方もおられると思います。

 

 

 

 

そんな時代の中、粛々と進められた制度創設に向けた会議ですが、社会保障審議会が首相に介護保険制度創設を提唱したのは、平成7年7月なんですね。

 

新ゴールドプラン策定のわずか7~8か月後には介護保険制度という形で提唱していたということを知り、何だかグッときました。

 

ほか、個人的に気になったのは1994年7月に設置された『高齢者介護・自立支援システム研究所』の存在です。

 

いや、この機関も本当にすごくて、7月に設置後、同年12月には『新たな高齢者介護システムの構築を目指して』という報告書で、7つの考え方を示しているのです。

 

これがね、『1)予防とリハビリテーションの重視2)高齢者自身による選択3)在宅ケアの推進4)利用者本位のサービス提供5)社会連帯による支え合い6)介護基盤の整備7)重層的で効率的なシステム』なんです。

 

かなり具体的です。

 

そして、紆余曲折はありますが、制度開始から今までの流れを振り返った時、1994年に出された報告書をなぞるように進められていることがよくわかります。

 

 

 

 

ちなみに10以上の資料や書籍を読み込んだ結果、やはり介護保険制度の基本理念などに繋がるほどの影響を与えたものは『新ゴールドプラン』でした。

 

ただ、この時期って、内閣が不安定だったりと政治が揺れている状況で、きっと政治力がスムーズに機能しない部分があったと思うのです。

 

それでも、これだけのものをまとめ、制度を開始させたというのは、改めてすごいことだなぁと思いました。

 

あ、ちなみに、新ゴールドプランで掲げた基本理念は『全ての高齢者が心身の障害を持つ場合でも尊厳を保ち、自立して高齢期を過ごすことのできる社会を実現していくため、高齢期最大の不安要因である介護について、介護サービスを必要とする人誰もが、自立に必要なサービスを身近に手に入れることのできる体制を構築する』となっています。

 

 

 

 

私は何か疑問に感じることがあった時は、歴史(なぜそうなったのかと時代背景)を調べて、そこから妄想を膨らませるのですが、今日は存分に楽しむことができました。

 

まだまだ整理しながら学ぶことはたくさんありそうなので、これからしばらくの間は介護保険制度の背景と変革を深追いしていきたいと思います☆