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2021-02-15 20:33:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は、今まで江東区主任ケアマネジャー協議会の会議をしていました。

 

この会議は毎月1~2回開催していますが、参加メンバーをとてもとても尊敬しています。

 

何に尊敬しているかって言えば、皆、個人の損得を超えて『どうやったら江東区全体のケアマネジャーが、本来求められている役割を果たすために活動できるか?』を真剣に考えている方々だからです。

 

年々状況が厳しくなる中、今回の改定を機に原点回帰しつつ、『都合の良いケアマネジャー』ではなく『ご利用者をエンパワメントできるケアマネジャー』であるために、個々が頑張るだけでなく“オール江東”の視点で規範的統合をしていく大切さについて、それぞれが想いを交換することができました。

 

そして、ZOOMに慣れるため、試行錯誤しながら色々な機能を確認したりしました。

 

一歩ずつだけど、ケアマネジャーの気持ちを合わせられるよう、そして、本当の意味で地域に貢献できる存在になれるよう、それぞれが意見を出しながら話を広げ、対話できる環境があるということは、とてもありがたいことだと感じました。

 

また、途中で運営委員にはなっていないけれど、想いは同じ主任ケアマネジャーがいるということは、とても心強いと感じています。

 

 

 

 

さて、今日はタイトルとちょっとずれますが、『共同体』について書いてみたいと思います。

 

堅い話になるかもしれないですが、興味のある方はお読みいただくと幸いです。

 

【ナショナリズムとグローバリズムと分断】

 

最近、共同体というつながりについて考えることが多いです。

 

それを考えるきっかけとなったのは、“ナショナリズムとグローバリズム”という相反する存在についてなんですが、しょっぱなから『なんて堅い話だ』と思わずに読んでいただけたら幸いです(私自身、整理しながら書いているので勘違い部分があったらご教示ください)。

 

資本主義の考えでは、企業や個人はグローバリズムの流れに乗った方が『得』であり、そのことを各々が優先した結果、ナショナリズムは脆弱化し、バブル崩壊以降は、国を司る政治すらグローバリズムの思考が強くなっていると感じています(政治が経済中心で物事を考えるようになったというか)。

 

 

 

バブル崩壊後、橋本内閣時まではデフレ脱却に向けた取り組みを試みていましたが、その後は、経済中心の思考で政治は進んでいます。

 

小泉政権で掲げた『構造改革』という孤立化促進と、2000年から施行された『地方分権統一法』という名の自治体競争トリガーは、ナショナリズムに対して、予想以上の破壊力があったと、私は感じています。

 

更に追い打ちをかけるように、安倍政権の取った『三本の矢』は格差を促進してくれました(本当は、中曽根政権の新自由主義からその兆候はあったけれど割愛します)。

 

 

 

各政権が行った政策の是非についてここでは書きませんが、本来再分配の調整役である国が、経済優先格差拡大の方向に舵を切り、個人を競争させることで共同体を解体しながら国民を孤立化に向かわせたこと・・・つまり、個人より企業や株主の繁栄に目を向けて政策を創り出してから、より一層、おかしな方向に進みました。

 

結果、あちこちで分断が深まり、国民は個々がそれぞれの立場から様々な要求をするようになったため、民主主義は危うい状況に陥っていると感じています(分断により国民間の接点がなくなり、相互理解の上に意見をすり合わせるという作業が極めて困難になった)。

 

 

 

どこの国にも良い部分・悩ましい部分はありますが、日本人の悩ましい部分は、共同体を育めなかった結果、他人に対しての想像力や思いやりや、他人を通じて自己覚知するといった部分が育たないまま、『自由』という言葉に踊らされ、根無し草になっているという部分だと、社会保障の視点から私は感じています。

 

そして、更に悩ましいことに、本当の孤立化していない人が、孤立と孤独をはき違えたような発言をしたり、孤独を自由とはき違えた主張をしながら『お一人様バンザイ』という孤独を勧め、孤立化を一層助長しています。

 

でも・・・思うんですが、人間ってそもそも『社会的動物』なわけで。

 

文明が発達してどんなに社会が便利になっても、人はひととつながりながら、その関係性の中で生きていく生き物だと思うんです。

 

そういう意味で、今の社会の『見た目ではわからない個人の抱える課題』というものは、結構、根深い問題だと感じています。

 

 

 

 

戦争を体験したことのある人と、戦争の知識しかない人が発する『戦争は良くない』という言葉の重みの違いのように、共同体を体験したことのある人と、知識しかない人の『共同体は大切だよ』の言葉の重みは違います。

 

私は幸いなことに、本当の意味での共同体を体験してきた方々から話を聴くことができ、共同体の重要性を理解することができていますが、これをどうやって、今の社会に受け入れられる形にしながら、その重要性を理解してもらうかに、頭を悩ませています(とはいえ、強制するつもりはありません)。

 

同時に、本当の意味での共同体を知らない人が、共同体のように見せかけた搾取システムを構築し、そこに人々を乗せようとしている姿を見ると、なんとも残念な気持ちになります。

 

そして、『あぁ、こうやってナショナリズムは脆弱化するんだ』ということを実感してます。

 

物事って、声の大きい人が簡単に回答を出せるようなものではなく、もっと複雑で絡み合っていて、だからこそ、取り返しのつかないことはたくさんあるのですが、今は、社会全体が簡単に答えを出すことを求めているのか、そういう人たちが支持されているのをみると、それも時代なんだろうなと思います。

 

 

 

 

とはいえ、悲観的にはなっていません。

 

私は自分にできることしか取り組まないのですが、『江東区に住んでいる人だけは、それぞれに合った居場所と活躍の場を創る』と決めています。

 

そして、その中で気の合った仲間と関係性を育み、これからの江東区が、もっともっと住みやすくなるように行動すると決めています。

 

その土壌は、江東区にはあると確信しています。

 

 

 

 

『自分の地域だけかよ』と思う方もおられるかもしれませんが、一区民の私は、まずは自分の足元です。

 

一歩一歩着実に築いている関係性を大切にしながら、地域がより豊かになるようケアマネジメントスキルを活用しながら、コツコツと活動を続けていきます。

 

皆さんは、地域とどんな関係性を築いていますか?

 

※やばい。共同体について書こうと思ったのですが、前談で長くなってしまいました。

 

明日こそ、元気があったら『共同体』について書きたいと思います☆