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訪問をありがとうございます。
今日は、サービスB終了後、自転車で20分くらいかかる場所に取材に行ってきました。
いやね、今日は盛だくさんだったんです。
…というのも、朝一番から喫茶店で取り組んでいたのは7月経理の出納簿作成です。
本当に私、興味のないことは、ぎりぎりにならないと取り組めなくて、取り組むと、ものすごい勢いで集中して行うのです。
で、その後に、来週社内勉強会で使う事例を作成しながら、サービスBに参加をしていました。
毎年ですが、この時期のサービスBは自由参加にしており、決して無理してこないよう呼び掛けています。
が、ありがたいことに、皆さん極力休まずに来てくださいます。
今日は、娘さんといらした方もおられ、『あぁ、世間様はお盆休みだなぁ』と思いながら迎え入れました。
その中で、参加者の方は全員戦争体験者なのですが、皆さん、昨日の終戦日の話題をきっかけに、声を詰まらせながら当時の体験を語ってくださいました。
当区は、終戦記念日よりも原爆被災日よりも何よりも、3月10日に受けた東京大空襲が、皆さんの中では一番印象にあるとのこと。
この3月10日の夜間大空襲では罹災者が100万人を超えたと言われています。
その時の混乱の様子を、参加者の方が語ってくださいました。
語り手も聴き手も戦争体験者。
それぞれが、それぞれの想いを馳せながら過ごす時間は、言葉にならない時間でした。
私は両親が山口県出身で広島県に親戚もいるため、戦争というと原爆の印象が大きいです。
昨夜は遅い帰宅だったのですが、夜中からはだしのゲンの作家が書いた自叙伝を呼んでいました。
昨夜の書物と今日の話を聴きながら改めて感じたのは、どちらも被害にあっているのは一般市民ということです。
国同士の利害関係など様々な思惑で行われている戦争ですが、被害にあうのは一般市民なのです。
そして、戦争が起きる可能性というのは、いつの時代もあるのだということです(第二次大戦後、世界のどこかで毎日戦争は起きています)。
今の現代の便利さ・快適さに慣れてしまい、戦後74年間の間に哀愁として一つの歴史としてはいけないんだということを、改めて感じました。
日々の幸せに感謝して毎日を過ごす。
平和は当たり前ではない。
そのことを年配者はよく口にしますが、そうした実感のこもった言葉であり、このことに私たちは想いを馳せながらこれからも平和な社会を築いていくことが大切だと、改めて感じました。
最後に、参加者の男性が言っていた言葉です。
『あの時は、信じられないくらいにたくさんの人が死んだ。大空襲以外にも本当にたくさんの人が死んだ。その様子はすさまじいものだったし、においも忘れられない。あの出来事は一生忘れられないよ。(中略)戦争はね・・・どんな理由があっても絶対にしてはいけないんだ。それだけは、絶対に自分達の中で決意しないと、忘れたときに同じことを繰り返してしまう。今の若い人には想像もつかないかもしれないけど、家族を失う悲しみ、やるせなさ。日本は、そういう思いは二度としちゃあいけないんだよ』
終了後、ボランティアの方々が、『〇〇さんの話は今の若い子達にも聴いてもらいたい。戦争体験者が減っている今、書物だけでは感じ取れない空気を、生の声を、〇〇さんが元気なうちに話してもらう機会を創ろう』と話しておられました。
政治的な話をここですることはありませんが、1年に1回ですが、私たちは当たり前に享受している平和というものを、じっくりと考えることが大切なのだと、参加者の方々の話を聴きながら思いました。