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2019-08-03 11:48:00

訪問をありがとうございます。

 

昨日は良く動き、夜はたくさん考えることがありました(内容は割愛させていただきます)。

 

そして、正解がない物事は、事実をきちんと確認し、その上で多角的に検証することが大切だな、と感じた次第です。

 

日々勉強、そして、学びや気づきを増やして、自分自身の思考や許容を増やしていきたいと、改めて思いました。

 

今朝は、喫茶店で昨日取材した団体のテープ起こしをしつつ、10時過ぎからモニタリングを行い、今に至ります☆

 

 

 

 

さて、先日、ニュースを読んでいるときに、『権利の弊害』という言葉に引っかかりました。

 

というのも、『権利』の行使には、正しいものとそうでないものが、ごちゃっと一緒くたになっており、それらが思考の分断を生んでしまい、本来行うべき大切な議論に発展せずに、声の大きい者が勝ったり、ウヤムヤになっている現状に疑問を感じているというか・・・。

 

これ、最近私自身がモヤモヤとしていた部分なのです。

 

というわけで、今日は『権利』というものについて書いてみたいと思います。

 

 

 

 

現在、私たちはさまざまな権利が保障されています。

 

同時に、皆が自分の権利ばかりを主張していては、世の中は停滞してしまいます。

 

これを永井孝尚士は『たった一人の反対で前に進めなくなる、過度な個人の権利の尊重の弊害』で、『ほぼ全員が賛成していたのに、一人だけが『私の事情も考えて欲しい!困る!』と強硬に反対していたので、進められなかった』という経験をした人は多いのではないかと述べ、『個人の権利、確かにとても大切です。ただそれだけを金科玉条のごとく守って思考停止状態になると、全体が少しずつ不幸になってしまう』と警笛を鳴らしてます。

 

そして、『個人の権利と公共の利益の利害調整という難題から逃げずに、最適解を探す』ことの大切さを書かれています。

 

つまり、個人の視点と権利、そして同時に、俯瞰し全体の視点と利益の間を行き来しながら思考し、全体のバランスを考えながら『落としどころ』を探すことが大切だというわけです。

 

 

 

 

一方で現在の社会を振り返ってみると、個人や団体、さまざまなところで『自分の立ち位置からしか物事を見ない主張』が横行していると、私は感じるのです。

 

当たり前ですが、社会はさまざまな価値観・状況の人がいるわけで、それらの状況を鑑みることをしないで、『自分、自分』の意見を全員がすると、まとまるものもまとまらなくなります。

 

だからこそ、多様な価値観・状況を知るために、ニュースを確認したり、それに対する自分と違う意見を聴いたり、社会で多く指示されている意見を確認しながら、『自分の主張や思考は本当に正当なものだろうか?』ということを、絶えず確認したり、考え直すことが大切だと、私は考えています。

 

意見の違う人と対立するのではなく、自分の主張を声高に訴えるのでもなく、自分の意見と同意する人たちで徒党を組んで『やっぱり私たちは正しいよね』と納得するのでもなく、さまざまな角度から課題を検証し、『最適解』という落としどころを見つけていく・・・という過程が、とてもとても大切だと思うのです。

 

 

 

 

なぁんてことを考えながら電車に揺られていたわけですが、ぼんやり景色を見ながら、『あぁ、私は区民のさまざまな意見や価値観を知りたくて地域に入り込んでいるんだな』ということに、改めて気付きました。

 

そして、『こういうことを、当区の議員さんが主体的に行ってくれたら、地域は本当に良くなるんじゃないかな』とも考えました。

 

まぁ、現時点でそれは困難な状況っぽいので、先んじて地域限定サイトを立ち上げながら、区民の価値観や意向を集約してみたいと思います。

 

地域力を高めると同時に、正解を探すのではなく最適解を探す。

 

なんだか、ワクワクすると思いつつ、とあることに気付きました。

 

『あぁ、昨日盛り上がって3時間半もしゃべり通した会話のテープ起こしをしなくちゃ・・・』

 

そして、今夜は22時からデ〇ーズに行くよう予定に入れ込んだ私でした☆