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訪問をありがとうございます。
昨夜は毎回チェックしている放送が更新されていたので、それを観ました。
NHKBSが放送している『欲望の資本主義』シリーズで、今回は『欲望の貨幣論2019』です。
https://www.dailymotion.com/video/x7ddulh(前編)
https://www.dailymotion.com/video/x7dj2q4(後編)
興味のある方はご覧ください。
そんなわけで、資本主義経済と人間の幸福という、本当にどうでも良いことを悶々と考えてしまったのですが、うまくまとまりそうで、今ひとつ、うまく思考をまとめることができていません。
というわけで、今日は別の話題を書こうと思います。
最近、様々な社会課題を目にしていますが、それらに対して感じること。
それは『実は、直接的な支援よりなにより、今の社会に一番必要とされているのは“理解”ではないか』ということです。
認知症、発達障害、虐待、いじめ、引きこもり、対人の悩みetc.
こういうのって、いわゆる『その道のプロと呼ばれる専門職』が介入して支援を進めることも必要だと思いますが、それ以上に大切なことは、『認知症(発達障がい・虐待・いじめ・引きこもり)の人が引き起こす言動を理解しようとすること』なんじゃないかなぁ・・・と思うわけで。
例えば『Aさんは発達障がいがある』という場合。
発達障がいというものを、きちんと理解していないと『障がいがある』にフォーカスしてしまい、『支援が必要!』となってしまいます。
でも、実は発達障がいって、社会不適合部分もありますが、同時に秀でている強みもたくさんあるんですよね。
『発達障がい』という言葉に引きずられるのではなく、『Aさん』という個人の言動をみて、『なんでAさんはこんな行動を取ったのだろうか?』と理解しようとする気持ちが必要だと思うのです。
認知症についても同様です。
『Aさんは認知症』ときくと、『支援が必要!』ではなく、認知症という症状を正しく知り、理解することが必要なのではないかと思うわけで。
※私達は介護の専門職だから認知症と言っても、その進行具合によって様々な症状レベルがあることを知っていますが、世間様はそのあたりをよく知らず、認知症と聞くと『大変!』と思ってしまう人が多いわけです。
引きこもりや虐待については、その背景を知ろうとせずに、『状態』に注目してしまい、『なんとかしないといけないんじゃないの?』となってしまっていますが、必要なのは『なぜそうなったのか?』の理解の部分なのではないかと思うわけで。
今の社会には、そういうカテゴライズすることで『理解しよう』と言う気持ちが減ってしまったことが、生きにくさを助長している気がします。
そうではなく、『個人』をみて、『Aさんは認知症(発達障がい等)があるけど、こういう強みがあるよね』というように、状態を理解した上で、個人の持つ強みにフォーカスすることなんじゃないかなぁ、と思うのです。
これが本当の意味でのダイバーシティ(多様化)だと思うんですよね。
今の時代は『ちょっと変な人』の存在を許してくれません。
昔だったら、『ちょっとずれているよね。でも一緒にいるから折り合いをつけよう』というのが、『あぁ、あの人は〇〇(疾患名)だから(排除しなきゃ)』という感じになっています。
疾患名のついていないものには、状態を掲げて『問題ある人』にカテゴライズしてしまいます。
そして、お決まりのように、疾患や問題行動等を理由に社会の目に見えるところから排除しようとしてしまいます。
こういう社会って、なんだかつまらないと感じてしまうのは、私だけでしょうか?
いろいろな人がいて世の中は成り立っていて、だからこそ、大変だけどおもしろい一面がある。
その大変を排除すると、同時におもしろさも失われてしまうんですよね。
そんなことを考えながら、様々な年代の人がいる喫茶店で、朝からぼーっとし、『あぁ、どなたさまか私の面倒くささを受け入れてくれる人はいないかしら?』なんて考えている私でした☆