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2019-07-15 07:31:00

訪問をありがとうございます。

 

5月の連休以来、久々の連休となりましたが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

 

私は、昨日、これからの社会について、サイト構築を交えながら真剣に考えていました。

 

まぁ、私ごときが真剣に考えたところで、社会が大きく変わるとは思えませんが、それでも何もしないよりはましかなぁ~なんて思いながら思考していたわけで☆

 

※今日の更新内容は、介護保険に関わるめちゃめちゃ面倒くさい内容なので、興味のない方・お忙しい方はスルーしてくださいませ。

 

 

 

 

さて、何度も書いていますが、私は『本来の人が持つ善意を最大限引き出した社会とはどんなものか?』に興味があり、『その善意を次の世代につなぐこと』を目標としています。

 

会社を興したのも、それがきっかけです。

 

そのため、ケアマネジャーという職業を社会に認めて欲しいとか、そこで儲けたいとかで起業したというわけではありません。

 

そうではなく、この業界にいる中で、断絶され孤立化した社会に本気で危機感を感じていて、地域包括ケアシステム(今は共生社会)構築を『お互いさま』で育んでいきたいから開業した、というのが始まりです。

 

そんなわけで、決して『私、ケアマネジャーという仕事にすごくやりがいを感じているんです!(キラキラ)』みたいなものは、ありません。

 

社会全体のお互いさまをつくる事業に取り組むために、ケアマネジャーの事務所を開設した、という感じなので・・・。

 

そして、ケアマネジャーという仕事に就いているからには研鑽することは必要と感じていますが、『何が何でもケアマネジャーという地位を社会に認めさせるぞ!』みたいな気概はありません。

 

ケアマネジャーの社会的地位向上に向けて取り組んでいる方々を尊敬していますが、個人的には、社会が良くなるためであれば、ケアマネジャーには固執していないという考えです

 

また、私が職能団体や区の活動に貢献しているのは、税金というものをいただいて事業を行っているため、そのお返しです(なぜお返しかは長くなるので割愛)。

 

で、計画から8年、開業から6年目にして、ようやく想いと時代がマッチして、本格的に活動できる時期と機会がきました☆

 

そんなわけで、前置きが長くなりましたが、今日は、『どうして善意とかそういうものを次世代に繋ぎたいと思ったのか?』と、『どうすればそれが実現できると思っているのか?』について、書かせていただきます。

 

 

 

 

そもそも人が生きる意味って『次の世代にらせん状に進化を繋いでいくこと』だと私は思っています。

 

これは、いわゆるテクノロジーの進化とか、そういうハード面だけではなく、精神的な意味も込めて、です。

 

介護の業界に入ったきっかけは、高校3年生の時に顧問から勧められたからという、なんとも締まりのない理由ですが、2年間短大で学び、3年間老人保健施設で就労した後、介護保険が始まりました。

 

この介護保険制度(もとい、新ゴールドプラン)、始めてその趣旨等を知ったときは、『次の世代にらせん状に進化を繋いでいくこと』の具現化を期待していた私です。

 

しかし、どうも議論が進むにつれ、本質と離れていく傾向が強くなっていると感じたわけで。

 

初めに感じた違和感は、『何で保険事故に使うものを“サービス”と表現するのだろう?』という疑問でした(対等感を出すためと言うことですが、これは今でも私の中では腑に落ちていません)。

 

そして、次に感じた違和感は、亀井サンの『家族がいる人は家族が介護することが正しい』という理由で、生活援助が家族のいる世帯から外されたことです。

 

保険だから必要な支援を行うという考え方は分かりますが、本来の目的が『社会的入院』を減らすために創られたとするのであれば、何か矛盾してないか?と感じていて。

 

核家族化して、さらに共働きで介護をする人がいないから社会的入院が増えているのに、『家族がいるから』という理由で介護保険の利用に制限をかけたら、本末転倒だよね、と思ったわけです。

 

 

 

 

そんな疑問を抱きつつ始まった介護保険ですが、『走りながら創っていく』と言うだけあって、まぁ~、たくさんの迷走をみせてくれました。

 

とはいえ、これは国だけの責任ではありません。

 

細かい内容は割愛しますが、要は『サービスという名前で民間導入を進める→人口構造から儲かると思った企業が参入→制度の弱点を突いて利益を拡大→思ったよりも給付率の伸びてしまった状況に国が規制と報酬単価減額→運営の厳しい企業は、さらに網の目をくぐってくる→国のより厳しい規制と報酬単価減額』が続くわけで、結果、介護保険はツギハギだらけのヘンテコなルールがたくさんできてしまいます。

 

そして、現場は『それおかしいだろ!』と思っても声を挙げる術もなく、また、声を挙げる努力も怠ってきた部分があると、私は反省しています。

 

そんなわけで、介護保険創設から10年目で、私は『あぁ、このままこの制度で働いていても、大局的に社会へ貢献はできない』と、現状の介護保険制度ではなく、それ以外の社会全体に対してのアプローチを考えるようになりました。

 

 

 

 

そして、改めて真剣に『どうしたら今後の社会が良くなるかなぁ~』と考えた時、日本人の超孤立化と過剰な国家依存気質を変えない限り、どんな制度を創っても、どんなに公費や保険料をつぎ込んでも、きっと根本解決には至らないと思いました。

 

で、考えた結果、国が地域包括支援センターを創ったときに本来想定していた『軽度者の総合事業移行』が進められるので、その時に、軽度者(と呼ばれる方々)を地域住民がお互いさま精神で助け合うことができれば、多分恐らく現在の介護保険に関する課題は、ほぼ解決すると考えたのです。

 

現代の社会では共同体を構築する術は地縁が最適で、地域住民が必要に駆られてでもつながりを再構築することで、国のシステムに対する過剰な依存は軽減し、地縁が育まれれば安心できる居場所が持てる(向こう三軒両隣の緩いバージョンです)。

 

これに、現代のテクノロジーを絡ませて、リアルとデジタルの両面から緩やかな縁を育むことができれば、孤立化した状態からでも大きな負担なく、人々の精神的安心は確保できるのではないかと思ったわけです。

 

また、(いわゆる)軽度者が介護保険から外れれば、介護報酬単価は上がると思ったのです(1,000円を100人で分配するより、1,000円を10人で分配すれば、一人あたりが得られる単価は上がるよね、という考え)。

 

つまり、棲み分けをすることで、地域は地縁を通じて人の精神的安心感と治安を向上し、介護専門職は浮いたお金で報酬単価を上げることで待遇改善が図れ、本当の意味で専門性を発揮できるのではないかと思ったのです。

 

 

 

そんなわけで、2年かけて会社を円満退職し独立したわけですが、初めは、地縁づくりに参入する部分で、試行錯誤ばかりしていました。

 

開業当時直近の包括にいた主任ケアマネさんと、4年前に知り合った地域のWさんとの出会いがなければ、私は多分、ここまで地域活動を進めることはできなかったと思っています(そのくらいひどい迷走っぷりでした)。

 

そのほか、皆さんにたくさん助けていただきながら、ここまでやってくることができました。

 

本当にありがたい限りだなぁ~と思うし、私はついていると思っています。

 

というわけで、今週から、サイト構築に向けて本格稼働し、7月下旬からは取材をガツガツ進めていきます。

 

2025年まであとわずかですが、できることを精一杯進めていきたいと思いますので、これからもご協力のほど、よろしくお願いいたします☆