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2019-06-08 07:42:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は午後から東京都の市部(西東京方面)での研修委員会のお手伝いを行います。

 

連休明けから土曜日は夜の帰宅が続いていますが、家族の「 誰 か ら も 」寂しがられることのない私って・・・。

 

まぁ、帰宅している間は5人で一緒にいるので良しとしています(不思議なのですが、我が家は自室に籠る人が誰もいないのです)。

 

あ、ちなみにその中心にいるのは夫で、夫の近くにいる結果、皆が一緒にいるという感じです☆

 

 

 

 

さて、今日は自分の頭の中を整理する意味で書かせてください。

 

あ、今日は辛らつな文章になっていますので、心穏やかな気持ちでない方はスルーしてください。

 

一昨日衆議院本会議で行われた丸山穂高議員の糾弾決議に小泉進次郎君が乗らなかったという件について、彼の意見を読み「その通り」と思った私です。

 

このように、昔からかもしれませんが『メディア・世論が特定者を袋叩きにして潰そうとする』ということが、往々にして日本では見受けられます。

 

しかもエスカレート傾向にあるわけです。

 

で、ですね、私はこういう一辺倒的な『過剰ともいえる正義感』で『みんなで言えば恐くない感』というものを、非常に気持ち悪いと感じているわけです。

 

持論を『意見』として論理的に書くのは良いと思うのです。

 

でも大半はそうではなく、匿名で感情だけを垂れ流すというか・・・(しかも攻撃的に)。

 

 

 

 

例えば、先に書かせていただいた丸山議員に関しても、『ケシカラン!』『あんな奴は議員をすべきじゃない!』という声が挙がります。

 

一部大手企業の育休にまつわる転勤についても、『こんなに社員のことを大切にしない企業はケシカラン』と怒るわけです。

 

川崎市の通り魔事件では『無関係の人や幼い子どもを道連れにするなんてケシカラン!』『一人で死ねばいいのに!』とか、たくさん書かれているわけですよ。

 

そして、それを個人の意見として還元するコメント(『一部の方の感情を煽るような発言はどうでしょう』)に対しても袋叩きにしてしまうわけです。

 

匿 名 で 。

 

こんな感じで、感情の垂れ流しというかダダ洩れ現象が至るところで起きているわけです(ネットの普及でその広がりは急速に強まっています)。

 

これ、一部は悪意での行為でしょうが、大半は無自覚で行っているんじゃないかなぁ~と感じており、読んだ相手や周囲のことを慮れない人が増えているこの社会に寂しさを感じます。

 

もしかしたら、自分が読み手となったと想像してコメントを読み返すという思いやりや配慮は、今の社会では少なくなっているのかもしれません。

 

 

 

 

今のネットでは記事やコメントを書くこと自体は別に自由なので、感情を出そうが何を書こうが自由だと思っています。

 

が、こういう『自分は安全な場にいて、寄ってたかってその人の言動を批判するのではなく人格までも批判してしまう社会って、いったい何だろう?』と思うのです。

 

優しさを感じないのですよね。

 

先の例で言うと、『丸山議員の今回の発言は〇〇という部分に於いて△△ではないか』で良いと思うのです。

 

大手企業の待遇も『育児休暇を申請したら転勤という対応については、もう少し社員の状況を加味しても良いのではないか』で良いと思うのです。

 

今回の川崎の事件に関しては、ご遺族の心境を思うとコメントを控えさせていただいた方が良いと思うため記載しません。

 

 

 

 

これらに対して私は始め、『なんでこの人たちは、自分が匿名という安心な場にいながら、ここまでケチョンケチョンに他人のことを叩けるのだろう?』『なんでわざわざ怒りを増殖するような場に入り込むんだろう?』と不思議でなりませんでした。

 

もとい、自分事でないことに対して、そこまで怒りを露わにして攻撃的な文章を書く方々を理解できなかったわけです(語弊があるかもしれませんが、自分の行動につながらない事なら他人事でしょ?)。

 

そして、どんな投稿もコメントも人と会って話をする時も、『素晴らしい意見や正論をいう方』が本当に多いのですが、振り返って実社会をみてみると、社会は一向に優しい社会になっているという肌感覚は持てません(むしろ変な一部の声を拾って規則ばかりが増えているから窮屈)。

 

 

 

 

考えてみてください。

 

政治家を叩く人は多いけど、投票率は下がっている。

 

公務員や大企業の仕組みを批判する人は多いけど、就職希望数は向上している。

 

引きこもり等社会課題はどうにかしなきゃと正論を振りかざすけど、その対応は国や行政に丸投げする。

 

が、何となくわかったことは、『あぁ、もしかしたら、自分の課題から逃げていることに目を背けたいから、他人様のことを叩くことで正義感を全うした気になっているのかもしれない』というように思いました。

 

もしくは『良いこと言っている私』に満足して、行動までつなげることができないのかもしれません。

 

自分自身のストレスを勝手にニュースに重ね合わせて、ストレス解消しているのかもしれません。

 

何でも良いのですが、そういう人もいるのだということを理解してスッキリした私です。

 

 

 

 

とはいえその輪の中に入りたくないと思う私は、最近はいつもコメントまで読むニュースソースを1つに絞っているのですが、それだと思考が狭まると思うので、時々世間一般的に開放されているサイトも閲覧します(ちなみにそのサイトは、実名はもちろん勤務等所属先まで明確になっており、様々な意見がありますが感情垂れ流しではなく意見として、自分の言葉に責任を持って丁寧にコメントをしています)。

 

難しいかもしれないけど、安全なところから集団で石を投げて頑張る誰かを潰したり冷笑したり攻撃するような社会は明るくなるわけがないと思うので、もうちょっと緩くて優しい社会になれば良いなぁ~、と思いました。