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訪問をありがとうございます。
昨日は午後から健康マージャンの団体さんが社団事務所を利用されたため、私も事務所でポチポチ実績入力を行ったり、主任ケアマネ会設立に向けての資料つくりをしていました。
で、夜は同友会幹部会(と言っても全員参加の会です)に参加をさせていただきました。
今日は一日、都のお手伝い事業です。
さて、最近様々なニュースを観たり取り組みを聴いたりしています。
敢えて意識的に行っているのですが、そこで感じるのは『あぁ、たくさんのニュースがあって取り組みがあって、その中で何が事実で何がそうでないかを見極めるのは無理だよなぁ』ということです。
で、最近特に感じることが、『結局、みんな自分が正しいと思ったことを信じるのだから、別に事実がどうこうまで追求する必要はないんじゃないかなぁ』ということです。
以前も書きましたが、正義って見る角度によって違うんですよね。
で、その『正義』の是非を争ったところで不毛というかなんというか。
例えば少子化について。
『少子化は国にとって問題だ!子どもが安心して育てられるような環境をつくることが大切だ!』という意見があったとします。
これは「少子化を何とかして食い止めよう」という考え方ですよね。
それは日本で考えた時、社会保険などの観点で考えると確かにそのとおりです。
一方で『現実、少子化は止められないんだからそこをどうにかしようという取り組み自体無意味じゃね?だったら少子化が進むことを前提でどうしたら良いかを考えようよ』という意見もあります。
こちらは「現実をみてどうするかを考えていこうよ」という考え方ですよね。
最近、この考え方にシフトしている気がします。
で、ですね、この2つの意見に対して「どっちが正しいか?」という議論こそが不毛だと、私は感じています。
であれば、「Aという意見もあるね。Bという意見もあるね。じゃあ、これらを踏まえてどうして行ったらいいと思う?」という議論に持ち込んでCの意見を考えることが良いような気がするのです。
さまざまなニュースやそれに付随する意見を読んでいると、物事を二項対立で捉える人って多いんだなぁ~、ということに気が付きます。
それはそれで悪くないのかもしれませんが、自分の意見は持ちつつも他人の意見も積極的に知り、そこから「様々な意見があるけどどうしようか?」と改めて考え方が良いと思うんですよね。
相手を論破するという思考ではなく、他人の意見を知ることで視野を広げ更なる良い意見を生み出すというか。。
なぁんて。
時代の過渡期だからこそ、さまざまなニュースが飛び交い主張する人が増える今だからこそ、こんなことを考えるのかもしれません。