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訪問をありがとうございます。
昨日は、朝からサービスBを開催しつつ、お昼からは全国首長交流会という勉強会に参加してきました(交流会が主目的ですが、私は交流会よりその前の勉強に重きを置いていました)。
今日も9時半から17時まで開催されるため出席しますが、首長さんの全体を俯瞰的に捉えて課題に優先順位をつけながら市区町村の事業に取り組むという仕事は、本当に大変そうだなぁ~、と思いました。
ちなみに昨日は、「人口減少社会における社会・経済システムを展望する」「環境改善について」「地方創生を新たなビジネスで」「司法による地方自治体支援」等について、各省庁の方々より受講しました。
興味の有無に関わらず講義を受けることで、私自身の無知の知を十分に感じることができました☆
今回も勉強会案内をくださったNさん、ありがとうございます。
さて、今日はタイトルの数字についての話です。
これは、財務省が10日に出した国債や仮入金などを合計した「国の借金」の額を国民(1億2623万人)一人あたり平均で出した数字です。
借金といっても、そのまますべてが借金ではなく投資もある為、この金額がマルっと負担と思うのは違いますが、それでも3年連続で過去最大額を出しているという状況を、私は異常だと感じています(大体、国民の借金と言われていますが、正確には政府がした借金なので、「はぁ、そうですか」と素直に受け入れることができないのは私だけでしょうか?)。
とは言え、日本国が背負っている借金の額は人口減少に反比例しており、昨日の参院本会議で決まった幼児教育・保育無償化等を考えても、(10月に消費税が上がったとしても)これからは、さらに厳しい時代に入ると感じており、国はどこで折り合いをつけようとしているのかは注視していくことが必要かと思っています。
ちなみに、2018年度末時点で1103兆3543億円になっており、1年前に比べて15兆5414億円増えていると出ています(うち、国債が976兆8035億円)。
※私は借金自体が問題とは捉えていません。今は景気回復の必要もあると思いますが、金融緩和を含めバランスを考えてほしいと、個人的には感じています。
・・・とそんなことを考えつつ、先日読んだ「日本沈没」というマンガの一節を思い出しました。
これは、タイトルのとおり「日本が1年近くかけて水没する」という内容を記したマンガなのですが、本質を捉えているセリフがいくつかあり、読み応えがあると感じています。
ちょっと長くなりますが、引用させていただきますね。
「これから起こる事は間違いなく“国難”だ。君は君の責務を、『D計画』は『D計画』の責務を、政府は政府の責務を、国民は国民の責務を全うしなければ乗り越えられない。
一人で背負い込んだつもりの者が声の大きな代表者になり、責任を放棄した多くの人々がその代表者に喝采を送れば、それは20世紀に“独裁”と呼ばれたシステムだ。そうではなく、チームプレーにより、全員の納得する結果を目指さなければならない。その為には…誰かひとりが領分を超えて奪ったり、逆に背負い込んだりしてはならない。同時に、社会の中の誰ひとりとして、個人の責務を放棄してはならない。この世界はそうしたルールによってのみ、まともに動くようになりつつある」
「もし…誰もが…その責務を負わなかったとしたら?」
「情報理論の見地において、そういう“社会”をもう“社会”とは呼ばない。もし日本人の「責任放棄者」の率が限界地を超えているなら…実はこの国は、もうとっくに終わっている事になる」
「日本沈没:一色登希彦(原作:小松左京)」4巻より
国民の責務というものは(教育・勤労・納税)の三大義務を始め、それぞれの制度などに沿って「義務」という形であります(例えば、介護保険で言うと第4条には“国民の努力義務”という形で「自らも健康に努めなさいよ」というものがあります)。
こんな感じで、どんなルールにも「義務と権利」はセットであるものです。
が、これは私見ですが、最近はどうも「自由の権利」という名の下に、義務の部分がおざなりになり権利ばかりが主張されているように感じています。
本来、日本人は真面目で愚直で個人の損得よりもお互いさまを美徳とする国民性があると捉えていますが、そのバランスが崩れてきているように感じるのは、私だけでしょうか?
キッカケは国の借金からでしたが、そこから今後の国民の在り方というものを、今一度私たちは考えなければならない時期に来ているのかなぁ~、と実感したニュースでした☆
皆さんは、現在の社会についてどのように考えていますか?