インフォメーション

2019-05-07 07:42:00

訪問をありがとうございます。

 

いよいよ今日から世の中は通常営業となりました。

 

皆さんはモチベーションを上げておられますか?

 

 

 

 

さて、昨日本を読んでいて、気づいたことがあります。

 

それは、タイトルにも書かせていただきましたが、『実は人の強さの差異って、覚悟のあるなしや強弱なのかもしれない』ということです。

 

というのも、とても尊敬する方の本を読んでいたのですけど、その中でやたらと『弱い人』『弱者にも』というように、いわゆる世間で弱いとされている人についての対応策について書いてあったのです(あ、私はこの方の主張に総論賛成です)。

 

その時に、『そもそも人の強さとか弱さってなんだ?』ということを、悶々と考え出してしまった私です。

 

そして、夜中にやっと『あ、もしかしたら人の強弱って、実は覚悟の強さなのかもしれない』ということに気づき、今こうして書かせていただいています。

 

 

 

 

そう考えると、非常に様々なことがしっくりきます。

 

どうしても成し遂げたいことがある人は、それを叶えるために覚悟を決めて取り組むから強くなれる。

 

特別成し遂げたい何かがない人は、それに伴う覚悟は必要ないので状況に流されやすいのかもしれない。

 

そんなことを考えて、非常にすっきりした気持ちで眠ることができました。

 

 

 

 

で、ですね、これは個人的な考えですが、私は人が全員『何かしらの覚悟を持つ必要はないのではないかな』と思っています。

 

もとい、覚悟があるから偉いとか、ないからダメだとか二項対立的な捉え方ではなく、色んな生き方があって良いと思うのです。

 

私は自分で成し遂げたいビジョンがあると言えば何だかカッコよく聞こえるかもしれませんが、実はただのエゴだし、逆に言えばそれがなければ怠惰な毎日を送っていると思います。

 

だからこそ、明確な覚悟がなくても毎日をきちんと動かしている方々を尊敬するというか。

 

むしろ、明確な覚悟がない方が、他者の意見を素直に聴く事ができ、対立も少なくなるのではないかなぁ~、とすら感じています。

 

 

 

 

と同時に、自分の生き方には責任を持つ意味でも、『自分が何が好きで、何ができて、何を不得手としているか』は知っておいた方が良いと思います。

 

というのも、昔から父に『自分を知り、人に与える影響も考えながら生きなさい』と言われて育ちました。

 

自分を知るって言葉で書くのは簡単ですが、実行するのは本当に大変で、私は未だに自分を理解しきれたとは思えません。

 

みたくない部分は見なかったことにしてうやむやにすることはたくさんあるし、『今日は特別♪』という言葉は大好きです。

 

が、漫然と毎日を過ごすのではなく、自分の言動を意識し傾向を知ることができれば、倫理観を持って(目指す自分と現在の自分の乖離を把握できるため)襟を正して生きることができるというのが、父の理屈です。

 

 

 

話が逸れましたが、とにもかくにも人の強さが覚悟だとすれば、何となく世の中で『弱者』と言われている方々の対応は必然的にわかる気がします。

 

そして、それは金銭的に支援するということではなく、もっと別のアプローチが必要だということも視えてきました(それにしても、この弱者という言葉は本当に嫌いです!!!)。

 

 

 

 

そんなこんなで朝を迎えましたが、長男にその話を朝一番にした時に言われた一言☆

 

『お母さんって、社会に影響を与えることには覚悟が決まっているけど、甘いものを我慢するという覚悟もそのくらいあったらいいのにね』

 

う・・・うるさい!!!

 

『私は高校卒業時に、生涯、減量(ダイエット)はしないと決めたんだぁ~』と言い返しましたが、ニヤニヤしている長男を想像して、悔しくなっている私です。

 

皆さんは、覚悟を持って取り組んだ経験、または覚悟を持って取り組んでいることはありますか?