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2019-05-06 07:35:00

訪問をありがとうございます。

 

あっという間でしたが、今日は連休最終日です。

 

皆さま、充分に気分転換や英気を養えたでしょうか?

 

 

 

 

さて、明日から通常運転の日々が始まりますが、改めて5年前から取り組んでいる私の描いている社会について書かせていただきます。

 

ちょっと長くなり真面目な内容になりますので、興味のある方のみお読みいただけたら幸いです。

 

今までずっと、自分の思い描く世界観の言葉が思い浮かばなかったのですが、最近しっくりくる言葉を思いつきました。

 

それが、タイトルにも書かせていただいた『自己責任からお互いさま社会』です。

 

 

 

具体的には、『地域というコンパクトシティ(自分がリアルに継続的に関われる圏域)で自分に合った居場所を持ち、(無理のない範囲で)活躍することのできる社会』です。

 

昔のムラ社会のアップデート版、という感じをイメージしています。

 

根っこは地域に張りつつ、その中で自分に合った居場所と活躍の場を見つけられる社会というか。

 

昔のムラ社会とは違うのは、ムラ社会は地域に自分を合わせていたのですが、私が目指しているものは、自分に合った場所を地域内で探すというか、個人に合った環境を生活圏域で各々が持てる優しい社会の実現です。

 

ビジネス社会は個人に厳しいものかもしれませんが、個人が生活する社会は『ここに居れば自分の存在を認めてもらえ自分が誰かの役に立てる』と感じられる居場所を持てる人を増やしたいと、本気で考えているのです。

 

そして、そこでマネタイズを生める仕組みを作れたら、必要以上にギスギスした社会にはならないと思うのですよね。

 

 

 

安倍内閣は、『一億総活躍社会』をGDP(国内総生産)の部分に重きを置いて進めていますが、私は個人においては幸福度に軸を置いて個々が自分に合った活躍をした方がうまくいくと考えており、それは、数値化できない部分でも良いのではないかと考えているのです。

 

はい、現代はグローバリズムが強まっていますが、私の描く社会は思いっきりローカル路線まっしぐらです☆

 

ですが、この考え方が、これからの社会を救うと本気で考えています。

 

そして、ローカルが個人の幸福度を上げることができれば、それはグローバリズムにおいて『日本は素晴らしい』という評価を得ることができると信じています。

 

※現在の世界的課題である行き過ぎた競争社会に伴う精神疾患罹患者と高齢社会に対して、どの先進国も決定的な解決策を出していません。この部分で日本で一か所でも上手に乗り切る術を得ることができれば、それは世界にとって画期的なことになると考えています。

 

そしてそして、そこに地域の企業が関わることにより、小さい圏域(自治体単位)で優しさと経済の回る仕組みをつくることが、幸福度と経済のバランスを取りながら落としどころを見つけられると考えています(企業も今後は過度な数字遊びより、経営を通じていかに地域貢献できるかに比重を変えていった方が、巡り巡って自社の利益につながり、不安から生じる過剰な内部保留も解消すると感じています)。

 

 

 

 

と、こんなことを考えるのも、私は今の社会は本当の意味での資本主義ではないと感じているからです(以前から書いていますが国・日銀の過剰な介入や一部の利権保持が、本来の市場を歪めていると感じています)。

 

本来の資本主義とは、自由を求めて進められるものだと言われています。

 

それは、経済学の父と呼ばれたアダム・スミス氏が書かれていたような、『各々が(倫理観・道徳観の上に)自らの利益を追求すれば社会に富が生まれる』という考えで、それを“見えざる手”という表現をされています(アダム・スミス氏が求めていたのは、『全ての人があるがままで生きられる社会』であり、それが『市場』という言葉で表現されている、という学者もいます)。

 

この『社会の富』というのは、私はおカネや数字だけで測れるものではないと考えています。

 

企業はある程度効率化を追求し営利を数値化して良いと思うのですが、個人にまで効率化や数値化を必要以上に求めることに、違和感を感じているというか。

 

そうではなくて、個人においては、お金で測れない『優しさ』や『信頼』などで価値を測るのもアリだよね、という社会にしたいのです。

 

そして、いつかは優しさでも食べていけるような仕組みをつくることができたら良いなぁ~、と感じています(ここの詳細は地域企業と行政の協力が必要不可欠です)。

  

行き過ぎた成果主義・拝金主義の転換期にある今だからこそ、新たな価値社会を当区で成功事例として築きたいというのが、私の願いです。

 

そして、当区から日本人が行ってきた他者への優しさであり美徳である『お互いさま』の輪を拡げ、個人が肩ひじ張らなくても生きていける、優しい社会にしていきたいと本気で取り組んでいます。

 

 

 

 

というわけで、そんな社会を描いてはニヤニヤしている状態ですが、私はこれを『あるべき論』として強く推し進めようという気はありません。

 

優しさや信頼を価値の一つとしていきたいとは考えていますが、それを過度に押し付けるのではなく、『こんな生き方もあるよ』という一つの提案にしたいと考えています。

 

ここに入りたい人は一緒に活動しましょう、でも、無理にここに入らなくても良いですよ、というスタンスです。

 

どんな生き方も、自分なりに精いっぱい過ごしていればそれでよいし、その過ごし方の一つの方法として捉えていただけたら嬉しいなぁと思います(あ、でも、この生き方に乗っかっていただける方が増えたら社会は優しくなると思うので、やっぱりそれはそれで嬉しいかもしれない)。

 

なぁんて。

 

これからは色々なことが目まぐるしく変わると思いますが、先を暗く見るのではなく明るい道を考え、次の世代に過ごしやすい社会をつないでいきたいなぁ、と考える話でした☆

 

皆さんは、どんな社会で生活をしたいと思いますか?